第35話 聞いてない!
「『白皇后』?」
耳にした瞬間、それが本名だとは思わなかった。
ルリ姐さんの『千年硝子』『千歳瑠璃』のような通り名なのだろうと。
だが――。
「あまり聞かない名ね……」
『白皇后』と聞いたナキは首を傾げる。
どうやら俺同様、彼女にとってもそれは聞き馴染みのない名だったようだ。
ならばと、俺はテティスに「なにか知らないか」と尋ねる。
すると、彼女は「どうしてあたしに振るんですか」と悪態を返しながらも、すぐに心当たりを口にしてくれた。
「あたしも『白皇后』というのは聞いたことがありません。けど、異名に『白』を冠する女雀士なら一人知っています。ただ……」
「ただ?」
「いえ、あたしが知るその雀士。『
淡々と話していた筈のテティスが急に口をつぐむ。
しかし、最後まで聞かずとも、テティスが次に何を言おうとしていたのかは、すぐにわかった。
「あるいは……『白』を背負う自負が、そいつにはあるってことか」
「はい……もしそうなのだとしたら、よほど手強い雀士の筈です」
それは緊張の表れだったのだろう。
テティスはこくんと小さく喉を鳴らして空唾を飲み込み俺を見つめた。
すると、こっちまで気持ちが引っ張られ、肩に無駄な力が入る。
だが、そんな中でナキだけは何かを思い出すかのようにぼうっとしていた。
「……ナキ?」
「『白亜の、姫騎士』……?」
「何か、心当たりでも? いえ、彼女の話はそれなりに有名ではありますが……」
うつむくナキにテティスが訊ねた。
しかし、ナキは静かに首を振り、一人難しそうに眉根を寄せる……が!
そうして表情を曇らせていたのも束の間!
「ちょっと、私様子を見てくるわっ!」
「えっ?」
「へt?」
ぴしゃりと言い残すなり、ナキは店の奥――おそらく『桃の間』へ向かって走り出した!
「これは……追いかけない訳にはいかないな」
「それって、暗にあたしにもついて来いって言ってます?」
テティスの直訴的な視線が俺に刺さる。
「言っときますが、まだ雇用条件も何にも決まってないんですよ? そんな内から荒事でただ働きなんて嫌ですからね?」
「なら、そこでちょっとの間待っててくれるか?」
「……ふ、へぇっ?」
テティスが妙な声をあげた直後、俺はスーの名を呼び、彼女に『桃の間』までの案内を頼むことにした。
「スーちゃん。『桃の間』までの案内、頼めるね?」
「は、はい! かしこまりましたっ」
すると――。
「ちょ――ちょっと!」
急にあたふたとし始めたテティスに俺達は呼び止められる。
「あ、あたしも行きますからっ! こんな恥ずかしい場所に置いてかないでくださいっ!」
……一つ。この少女は、案外肌色に耐性がないのだというのがわかった。
◆
「なるほど。『白皇后』ね」
ルリは『桃の間』へ通した『白皇后』と名乗った女性、そして彼女が連れ添った一人の少女を見てつぶやく。
「……ずいぶんと大層な名を名乗るようになったじゃない?」
その時、牌魔国一と呼ばれる美貌。彼女の表情が冷徹に染まった。
今、ルリの声は毒のように聞く者の耳を侵し、視線は冷気をおびて向かい合う者の背筋を凍らせる。
だが、この場で……ルリの目前で『白皇后』と名乗った女性は涼し気な顔をして笑ってみせた。
「ええ。だって、そう名乗ればあなたはきっと会ってくれると思ったもの。あの子以外が『白』を冠するのを……あなたは許さないでしょうから」
『白皇后』――彼女はまるで、ルリが自身に激しい感情を向けることを望んでいるかのようだった。
彼女はルリの言葉に、視線に……明らかな敵意が滲むのを承知で、数々の言葉を紡ぐ。
「ねえ、素敵だったかしら?
「ええ、そうね。とても不適よ。そしてえらく
「……ああ! うん……なるほど、ね」
ルリの言葉を聴き、白皇后はぐるりと周囲を見渡した。
彼女が通されたのは手狭な、だが豪華絢爛といった感じの和室だ。
壁には美しい風景画が飾られ、三人分の茶が置かれた座卓には繊細な彫り物が施されている。
ここはいわば、ちょっとした上客を千歳瑠璃が一対一でもてなす場としては申し分ないといっていい空間だった。
だが。
「へぇ……」
白皇后はつまらなそうに部屋の壁を指先でなぞると――。
「まあ、確かに。こう名乗ればあなたは怒るとは思ったけど……まさか、こんな部屋に通されるとは思わなかったなぁ……」
――こつんと、指先で小突いてから再び口を開いた。
「絶対優位の部屋。ひどく限定的な条件でのみ成立する結界術ね? あなたは魔力の全てを失ったと思っていたけど……まだこんな術が使えたの?」
「あら、ひどい勘違いをされたものね。私が失ったものは自身が持つエルフとしての側面の大部分よ。だから、サキュバスとしての力は十二分に健在なの。わかる?」
「あはっ! それでこのお部屋ね? 素敵! まるで遠い異国に聞く座敷持ちだわ! でも……」
つまらなさそうにしていた白皇后は一転していたずらっぽい笑みを浮かべると、ルリへとにじり寄り……。
「……サキュバスは男を篭絡するものでしょう? この部屋の結界。女の身である私にどこまで効くのかしら?」
挑発的な言葉で、ルリの激情を誘う。
しかし――。
「試してみる?」
彼女の言葉に、ルリは一切表情を崩さなかった。
すると、白皇后は肩をすくめ、楽し気に歪めていた口元から笑みを抜き去る。
「やめておくわ。まだ、あなたの命が惜しいもの。それに、今日はお願いをしに来たの。これ以上あなたを怒らせるのもやめにするわ」
「お願い?」
「ええ、そう。お願い」
疑るように聞き返すルリに、白皇后は再び笑みで返す。
それは、異性だけでなく同性でも思わず見とれてしまいそうな微笑みだったが、ルリは目にした途端に苦い顔をした。
「お願いですって? あなたが、私に?」
「お願いなの。私が、あなたに」
「……そのお願い。私が叶えてあげるとでも?」
「ええ、聞いてもらえると思うわ。だって……あなたも、やりたいことを邪魔されたくはないでしょう?」
直後、ルリは『ああ、やっぱりね』と胸の内で呟き「はぁ」と小さくため息を吐く。
「ようするに、取引というわけね」
ルリは気付いたのだ。
いや、そもそも白皇后と名乗った昔馴染みが、この時を選んで現れた瞬間から察してはいた。
白皇后が、自分達――ナキの企てを知っているだろうことを。
「たとえ誰に隠せてたとしても、あなたにだけはバレるだろうと思っていたわ。でも、あなたは邪魔しないだろうとも思っていた」
だが、刺すような口調で告げたルリに対して、白皇后は「あら?」と心外そうな声を漏らす。
「私、邪魔する気なんてないわよ? むしろ、あなたに協力しにきてあげたの」
「協力、ですって?」
それは、ルリにとってよほど想定し得ない申し出だった。
驚きを隠せない彼女を見て、白皇后が嬉しそうに頬を緩める。
「あなた、強い雀士を欲しているのでしょう? 一人、とても強い子を知っているのだけど?」
「その子をくれる代わりに、私に自分のお願いをきけと?」
「うーん? ちょっと違うわね」
白皇后が、後ろに控えさせていた少女を手招く。
そして、少女の長い髪を撫でると、ルリを流し見て答えた。
「それ自体が私のお願いなの。この子をあなたの魔王討伐計画に加えなさい。じゃないと、全力で邪魔しちゃうんだから」
直後、ルリの表情は驚愕の一色に染まる!
だが――!
「な、なんですってぇっ?」
ルリが反応するよりも早く、部屋の外から素っとん狂な声があがった。
それはルリにとって聞き馴染みのない、少女の叫び声だった。
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