花畑の汚染工場

 彼は部屋にある唯一の窓から外を見ていた。地平線まで続く汚れた荒地。七つ口の三日月に照らされた地上には枯れた草花が折り重なって倒れていた。虫は枯れ葉の下に隠れ、獣は萎れた花を踏みつけ闊歩する。

 星々は月に喰われ、空は七つの口を持つ三日月だけとなった。と、同時に明るい空へ切り替わる。大地は俄かに震え、命ある全ては唐突に駆け出す。空へ、地平へ、あるいは地中へ。

 やがて遥か彼方から、光の残像を残して太陽が駆け上がる。七つ目の太陽が、張り付けた笑みを浮かべながら月を弾き飛ばす。ほの暗かった世界は瞬時に晴天の輝きを取り戻し、漂う雲は蒸発し光が降り注いだ。

 汚れた大地は太陽の光を浴び、死骸がそのまま動き出したような不気味さで景色を歪ませる。晴天月天、ただ一度の入れ替わりで終わる生命サイクル。

 若々しい深紅の葉は空へ延びながら風船のように膨らみ、破裂した。赤紫色の破片を伴った液体は周囲に降り注ぎ、生長を続ける萌芽や骸を溶かしていく。どろどろになった土壌のスープに破片が沈み、突如として赤い茎が絡みながら急速な成長を始めた。

 空飛ぶ花弁は七つ目の太陽の光を一身に受け、空を覆う雲の如くその花を広げる。その下にある銀色の枝は空飛ぶ花弁へ続々と伸び、貫く。太陽光を求める他の植物も、空を覆う蓋を破壊すべく銀の枝に絡みつく。しかし花弁から銀の枝へ向かって膨大な熱が伝わり、妨害する植物は焼き付き、やがて銀の枝と花弁を支える構造物へ変貌していった。

 この苛烈な生存競争は、花畑において氷山の一角に過ぎない。目に見える争いは、土の中で行われるものと比べれば幼稚だ。今や寄せ餌の必要すらない植物はただ己のために、それ以外の全てを消化する。生態ピラミッドの頂点は彼らであり、最底辺も植物だ。そこに一抹の動物が紛れ込む余地はもはや存在しない。

 七つ目の太陽は花々の殺戮をにんまりと見下ろし、窓から覗くもう一人の傍観者に微笑みかけた。彼は顔を顰めてカーテンを閉めたが、太陽の光は焦点を合わせ、夥しい光量を伴いカーテンに浮かび上がる。彼は舌打ちをしてシャッターを落とす。莫大な光量でシャッターが赤熱しだすも、すぐに止まった。他にいくらでも微笑みかける相手がいることに気付いたようだ。

 彼は静かになった屋内でコーヒーを一口飲む。自動掃除機は床や壁面を滑り、中空に浮かぶホログラムディスプレイは数値と共に正常である緑色の発光を繰り返していた。台所には使いっぱなしの皿や鍋が置かれており、花瓶に生けられた花はただ咲いている。

 この世界は異常だ。その原因は分からない。元々が何であったかなど知るはずもないのに、強い違和感と忌避感を覚えていた。もっと別の場所で、違うことを繰り返していたはずだ。輪郭すらおぼつかない記憶を探ろうと深く、深く沈みこもうとした。あれは静かで、清潔で、不愉快で、騒がしく、不潔で、愉快で……。

 人知れず伸ばしていた手が視界に紛れ込む。


――腕 それが4本


 普通の腕と、肘から枝分かれしたもう一つたち。この腕も本来はなかったはずだ。しかし、意識の始まりから確かにあった。

 花は歌わない。花弁で虫を貪らない。葉は太陽を浴びて振動しない。草は自ら編まれて罠を作らない、通りがかった獣を切り裂かない。太陽は笑わず、月は睨まない。それでは元は何だったのか。……やはり、思い出せない。


―システム修復完了

―状態観測開始......完了:異常件数 0件

―ノイズ成長率:0%


 ホログラムに浮かぶ文字を眺めて、手元の端末を操作する。数秒して壁と同化していた隔壁が開き、ピアノの如き和音が響いた。


―AI:.........起動完了

―PI:.....起動完了

―AI-PI:データ同期......完了

―En.Gene:起動成功


 奥から子供が歩いてくる。金色の髪と瞳をした、半袖にショートパンツの少女。その服は薄く、右肩は布が切り取られ露出していた。彼女は生気のない足取りで彼の前までくる。小柄だが、彼と同じ背丈。彼女の丸い目を睨み付けるように、彼は見ていた。

「お前に違和感はない」

 彼は呟く。少女は反応を示さない。

「だが、この世界では不自然だ」

 彼は少女の頬を撫で、手元の端末を叩いた。

 床がせり上がり、天井が窪み、様々な機器が飛び出し、数本のチューブは彼女の体へ向けて四方から進み、貫いた。無色透明のチューブは震え、ぐちゃぐちゃの色に満ちた粘液がその内を通り少女へ迫る。程なくして少女は染まる。あらゆる色が皮膚を、髪を、瞳を、服すらも支配し、流動的に変わり続ける。

 オーロラは美しい。あれは秩序に従った光景だ。彼女は違う。無秩序だ。あらゆる絵具をかき混ぜているのに、黒へ落ちない色たち。彼は顔を顰める。酷い違和感と忌避感。見ているだけで不愉快になる姿。

「そう……それでいい」

 静かに呟いた。

 少女は色に満ち、さらなる装飾を施そうと彼女の体にアームは伸び行く。


―ペンキパイルブースター:接続完了

―ペイントシステム:起動継続中

―ペンキ燃料:圧縮率 58% 充填率 13%

―ノイズ成長率:0%


 少女の背中にブースターが接続される。X字状に延びた先端に推進装置が備え付けられたものだ。可動域は広く、4本それぞれが独立して動き、場合によっては切り離しも可能。足元からせり上がった箱は開き、身の丈を優に超える銃が現れる。少女は長い銃を右手だけで持ち、腕と脇腹に挟んで固定した。


―カラーチャージカノン:充填率 02%

―ペイントコントロールシステム:起動開始


 彼は携行型の通信端末を少女の首に巻き付けて、通信テストを行う。その間にもホログラムディスプレイでは異常無しを示す緑の項目が増えていく。あらゆる少女の視覚は色に飲み込まれ、服と肌はおろか、髪と瞳の区別をすることさえできなくなっていた。滅茶苦茶に色の混じったシルエット。

 外では花の爆砕音が轟き、屋内にまでその衝撃が及ぶ。鍋は盛大に床へ落ち、花瓶は落下し、花と水と自身を撒き散らした。そのとき、全ての準備が完了した旨を知らせるアナウンスが響く。

 データ入力もすぐ終わる。彼はそう思いながら天井の隔壁を解除した。何層にも重なって封じ込められていた空への道が開き、ついに澄み切った昼空が覗かせた。少女は飛び立つ準備に入り、真上の空を睨んだ。七つ目の太陽がにんまりと笑いながら、直下の少女を見下ろしていた。


―ノイズ成長率:28439.2%。対応まで2.341296秒。異常発生まで5.000000秒。

―遮蔽:成功。異常ありません。

―AI活性:完了。自律性思考へ移行します。

―PI抑制:完了。外部干渉能を低減しました。

―ペンキ燃料:圧縮率 97.45%、装填率99.98%に到達。飛行ユニットを作動します。

―En.Gene:全行程が完了しました。目標地点を確認、移動を開始します。


 4基のブースターからびゅるりとペンキを吐き出し、程なくしてカラースプレーのように噴き続ける。ピアノの如き綺麗な和音を響かせて、滅茶苦茶な色の噴射炎を伴い少女は空へ飛んだ。その直後に天井の隔壁は閉じ、忌々しい太陽は拒絶された。

 彼女がいた場所は色鮮やかに焼け焦げていた。


―アクティブステルス起動しました。七つ目の太陽、こちらを見失いました。移動を続行します。


 手元の端末に移る彼女の視野には七つ目の太陽がいた。それは彼女を見てはいない。俺に、気味の悪い微笑みをかけている。

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