第17話
──二ヶ月前。
『たたかう』『まほう』『どうぐ』『にげる』
ノートパソコンのディスプレイに表示された選択肢を適切に選んで、戦闘を進めていく。
雑なドットで描かれた骨を
かれこれ三十分以上も戦いを繰り広げているのに、まだ倒れる気配はない。さすが最後の敵。
さらに三十分が経過。四人いたパーティも今や立っているのは勇者と魔法使いだけ。
ここまできて全滅は避けたい。何としても勝利したい。
僕と同じ名前の勇者が魔法の力で強化された剣をドラゴンに向けて振り落とす。
バシンと小気味の良い効果音が響く。そして次の瞬間、地響きのような音と共にドラゴンの姿は消滅していった。
「よし」手にぐっと力が入る。
死闘の末に僕たちは勝利した。
エンディングがはじまり、それをぼうっとながめる。
今日もまた、世界を一つ救ってしまった。
ふと、視線を感じて振り返ると、大きな瞳がドアの隙間から僕を見つめていた。
「…………」
妹だ。
何か言ってくるわけでもなく、電柱みたいに、じっと立っている。
僕はそれを見なかったことにして、ディスプレイと向きあった。カクカクしたアルファベットのスタッフロールが流れている。
エンディングを最後まで見届けず、ソフトを終了させてブラウザを起動した。
何年も前からひいきにしている海外のゲームファンサイトに飛ぶ。
ここの管理人のミヤモトさんは日本のレトロゲームの大ファンで、古いゲームの大半はここでダウンロードできるようにしてくれている親切なフランス人だ。
ミヤモトさんの奇怪な日本語で書かれた日記に目を通してから、ソフトの物色を開始する。めぼしい作品をいつくかダウンロードしてブラウザを閉じ、さっき終了させたばかりのアプリケーションソフトを叩き起こして、USBケーブルでつながれたパッドを握り、落としたてのゲームをはじめる。
高校生になってから、一人ぼっちの休日はずっとこんな調子だった。
「で、きみはまた貴重な休日を古いゲームに費やしていたと」
そして平日はこんな感じだ。
「別にいいだろ。僕の休日を僕がどう過ごそうが、僕の勝手だ」
「おお、兄に向かってなんという乱暴な言葉遣い。反抗期か?」
「反抗期じゃないし、きみは兄貴でもないだろ」
「やっぱり反抗期だ。それもかなり深刻だな」
僕の机に腰掛けている男子は額に指をあてて、難しい表情を作る。
彼の名前は杉野君。彼が主張するように僕の兄ではないが、友人と呼べるくらいの関係ではあると思う。
「最近あれこれ忙しくてきみとの時間を作れなかったけど、それはいいわけだな。このままでは兄失格だ」杉野君は、うむっと強くうなずいた。「今度の三連休のどれか一日を使って兄弟水入らずで遊ぼうじゃないか。カラオケかピクニックでもどうだ?」
ピクニックなんて単語を人の口から聞いたのは、生まれてはじめてな気がする。
「別に無理しなくていいよ。漫画、忙しいんでしょ?」
「僕は仕事と家庭は両立するぞ」
「だから──」
家族じゃないだろ、と言いかけたけど、それは喉の奥に引っ込めた。
杉野君との出会いは高校一年の入学式当日まで
これからはじまる高校生活への期待と不安、お互いがお互いにどう接するべきなのか距離感をつかめないでいる初々しい緊張感。
そんなものであふれていた教室で、異質なものを放っている少年が一人いた。
そいつは新品の木製の机に油性マジックで必死に何かを描いていた。
誰もが同じことを思ったはずだ。こいつに関わってはいけない、と。
当然、僕もその一人ではあったのだけれど、何を描いているのか少し気になって、背後からそっと
マイナーなアニメの主人公と、その主人公が操っているロボットが机いっぱいに描かれていた。さすが堂々と学校の備品にペンを走らせる勇気の持ち主だけあって、絵はかなり上手い。
僕の視線に気づいたのか、くるんと絵描きの少年が僕に振り向いてきた。
驚いたことが二つ。まずは単純に覗き見していたのがバレたこと。もう一つは、そいつの顔が予想していたイメージとずいぶん違っていたことだ。
目がクリクリと大きく、少し長めの髪も手伝って、なんというか、女の子みたいだ。
着てくる制服を間違えてるんじゃやないかと、本気で思った。
「何?」威嚇するような声。
でも、その声の響きも何だか幼い。やっぱりこいつ女子なんじゃないか。
「えっと、その……」
初対面の相手に敵意を向けられ、どう返していいものかと悩む。
「その、きみが描いてるそれって、あれだよね」
苦肉の策で、彼が熱心に机に刻んでいた作品のタイトルをあげた。
途端、彼の大きな瞳から発せられていた敵意が消えた。にまっと小さな口がつり上がる。
「え? きみこれ知ってるの?」と言って、机を指す。
「小学生のころやってたよね。毎週楽しみに見てたよ。何かすごく中途半端に終わって残念だったけど」
競合していた同じジャンルの作品に人気で差をつけられすぎて打ち切られたと知ったのは、かなり後になってからのことだった。
「わかってんじゃん」
そう言って彼は嬉しそうに正拳を僕のみぞおちにぶつけてきた。
綺麗に決まって、ぐはっと
「
これまた男とも女とも受け取れるやっかいな名前だ。
関わりたくもないけど、敵にするのも面倒そうなやつなので、とりあえずその手を握り返して僕も自己紹介をした。
「おっと、自分だけ座ったままってのは失礼だよね」
言いながら、杉野君は僕の手を握ったまま立ち上がる。
「…………」
「どうかした?」
「いや、その、何て言うか」
着席していたから気づかなかった。杉野君は小さい。
思いがそのまま口からもれる。「きみ、背が低いね」
百五十センチもないんじゃないか。
その刹那、漫画みたいに邪悪なオーラが杉野君から漂いはじめる。
「きみさあ、誕生日いつよ?」
気のせいだろうか、手を握る力が強くなっていく気がする。
「え? 誕生日? っていうか杉野君、手が痛いんだけど」
「いいから、教えろよ」
握力が更に増す。杉野君は強い。
「痛い、痛い、誕生日なら──」僕は自分が生まれた日を答えた。
「なんだ。僕のほうが早いじゃないか」
それでやっと手をはなしてくれた。
「よし、決めた」
「なにを?」
びしっと杉野君は人さし指で僕をさす。
「今日からきみは僕の弟だ」
「…………はい?」
「僕の弟になれ。ちょうどいいだろ、きみは僕より後に生まれたし、僕もちょうど弟がほしかったところだ。ういんういんの関係じゃないか」
ういんういん? ウィンウィンの関係と言いたかったのか? どこが?
「いや、ちょっと待ってよ杉野君」
「きみはバカなのか? どこの世界に兄を名字で呼ぶ弟がいる」
こいつバカだ。
予想以上に関わってはいけない人種だった。足早に立ち去ろうと背を向ける。
「待てよ、弟」と言って僕の
「え、いや、それは、ええっと──」
こうしてずるずると沼のように杉野君は自分の世界に僕を引き込んでいった。
それは一年経った今も変わっていない。
放課後の教室。いつものように二人ぼっち。
「よう、ゲイカップル。今日もよろしくやってんのか?」
名前もしらない隣のクラスの男子数人が笑いながら茶化してきて、どこかへと走っていった。
「うるさいな」僕は彼らをにらむ。
「気にするな、弟。
「…………」
「やましいことをしていないなら、恥じることなんて何もない」杉野君は後ろの机に置いていた自分の鞄を手に取った。「さあ、そろそろ帰ろうか」
「うん」
衝撃の入学式から早一年。杉野君と同類とみなされた僕は、もしかしたら友達になれたかもしれない人たちから距離を置かれ、気づけばいつも杉野君と一緒だった。
六月の帰り道。
「だんだん暑くなってきたな」と杉野君は言う。
夏の杉野君は危険だ。
ただでさえ女の子の外見をしている彼は、やけに露出度の高い服を好む。
去年の夏休み。一緒に図書館にいこうと誘われて、待ち合わせ場所に現れた彼のショートパンツから伸びたすらりとした脚を見たとき、目覚めてはいけない何かに目覚めそうで、勉強どころではなかった。
「そういえばレトロゲームに夢中の弟よ。あれはもうプレイしたのか?」
「あれってどれ?」
将来は漫画家を目指している杉野君は様々な分野に
「ロストプレートという作品だ。八十年代日本製RPGの最高傑作と言われているぞ」
「知らないけど、そんなにすごいやつなら帰ったらすぐに探してみるよ。ありがと」
そろそろお別れの道だ。
「それじゃあ、また明日」いつものあいさつをした。
「──なあ、弟よ」でも杉野君のそれは、いつもと少し違っていた。
「どうしたの?」
「い、いや、何でもない。ゲームをプレイするときは、なるべく部屋を明るくしろ。それから夜更かしはするなよ。じゃあな」と言って早足で帰っていった。
朝から感じていたことだけど、今日の杉野君はどこか様子がおかしかった。
帰宅して早速ミヤモトさんのサイトで杉野君のおすすめをダウンロードした。
それから三時間が経過して、僕はすっかりこのロストプレートという作品に魅せられていた。
古いゲームとはいえ、グラフィックは当時の他の作品と比べても粗が目立っているし、敵のデザインも音楽もそんなによくはない。
しかし、それを補って余るのがイベントの豊富さと、世界の広さだ。
次々と起こる意外な展開。イベントをクリアするごとに町や村に住む人たちの会話が細かく変化していき、確かにそこに世界の存在を感じることができる。
なるほど、これは掘り出しものかもしれない。僕は杉野君に感謝した。
僕は新しくたどり着いた村で、一番手前にある家に入ってみた。
家の中では男が一人、壁に向かって立っている。
このゲームはとにかく会話が楽しい。さて、彼はどんなことを言ってくれるのか。
僕は男の背後まで移動して、ボタンを押す。
男は言った。
『今は、話しかけないでくれ』
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