第15話
それからしばらくは二人とも無言だった。
僕と彼女は少し離れて、お互いに背を向けて床に腰を下ろしていた。
愚かなことに、行為が終わった途端、霧が晴れたように僕は我を取り戻し、そして絶望した。
村瀬を傷つけたことも、剣崎を沈黙させたのも、これまでここで起きたことの全ては彼女の罪だった。
その彼女に対して、僕は罪を作ってしまった。
さらに愚かなことに、僕の中では罪を犯したことへの罪悪感より、男として何かを成し遂げた達成感が勝っていたのだ。
物音に反応して振り返ると、彼女が床に転がっている新しい服の中から自分に合うサイズのものを見つけて着替えようとしているところだった。
見てはいけないと思い、僕は壁と向きあった。今さら何を恥ずかしがっているのだろうか。
「そ、その……」ほとんど無意識に口を動かしていた。「は、はじめてだったんだね……」
今この場所で声に出すべきではない百の言葉があったとしたら、僕が発したそれは、たぶん百一番目の禁句。
言った瞬間、自分で自分を殴った。
こうでもしておかないと、このわけのわからない興奮はおさまりそうにない。
背後に気配を感じて振り返ってみると、新しい制服に着替えた彼女が立っていた。
僕を見下ろしていた。その表情は暗くて確認できない。
息をのむ。
そして、自分の犯した罪の重さを再確認した。もはや謝罪などなんの意味も持たない。
骨を砕かれるほどの暴力を浴びせられることになっても、無抵抗で受け入れるべきだ。
そう覚悟した。
でも、違った。
「立って」
彼女の小さな口から短い言葉がこぼれた。
言われるままに、僕は立ち上がった。
すみやかにスマートフォンを差し出してくる。
『まおう の こうげき まおう は むらむすめ を りょうじょく した』
彼女の細い指が『ヒット』を指している。
早くここをタップしろと言われているような気がして、僕はそこを指で押した。
つづけて彼女がメッセージウインドウをタップして、ゲームを先に進める。
刹那、彼女の腕が鋭く伸びてきて、僕の後頭部を掴んだ。
なるほど。とりあえずゲームを進めてから報復をしたかった、と。
頭を固定してきたということは、おそらく顔か目が狙われている。
僕は恐怖でまぶたを強く閉じた。
次に僕を襲ったのは唇の感触。
わけがわからず、まぶたを開けると、涙の届く距離に少女の顔があった。
瞳を閉じて、僕と唇を重ねている。
僕の口の中で何かをなくしたのか、口内で丁寧に舌を
ほとんど無意識に僕も彼女の動きに
数秒後、彼女の唇はゆっくりと僕から離れていった。
状況が飲み込めず唖然とている僕に彼女はゲーム画面を見せてきた。
『むらむすめ は まおう の くち に きす を した』
ということらしい。
彼女は『ヒット』をタップする。
『まおう は ゆうしゃ に なった』
『むらむすめ は まおう に なった』
そしてゲームは振り出しに戻った。
この物語に終わりはくるのだろうか。
そんなことを考えていると、おもむろに彼女の口が開いた。
「ねえ、どっちだと思う?」
「何のこと?」
「魔王と勇者が
交わるの意味がわからなくて少し考えた。理解して赤面する。
先ほどのことを言われているのだろう。
そういえば僕まだ、彼女にごめんなさいの一つも言えていない。
でもあれはゲームのイベントであって、僕はそれを実行したにすぎず、彼女もそのことについて怒っている様子はない。少なくとも今のところは。
そんな都合のいい処理をする自分の頭に一度こぶしをぶつけた。
「ねえ、どっちだと思う?」
彼女は答えを求めている。
善の象徴である勇者と、悪の象徴である魔王。
その二つが交わってできるもの。天使か悪魔か。
僕は少し考えてから「天使じゃないかな」と答えた。
僕なりの願いを込めてそう言った。
「そうなんだ」彼女は少し微笑んで「私はただの人間が生まれると思うけどな」と言った。
ずるいじゃないか。二択を迫せまっておいて、自分は三番目の答えを持ち出してくるなんて。
どう返せばいいのかわからず、僕は画面をタップして、ゲームを進めることで逃げた。
すると突然、音楽が響いた。
チープな雰囲気のファンファーレだった。
何事かと思って画面を見ると『げーむ くりあ』と表示されている。
さすが、全てがランダムの世界だ。
永久につづくかと思った物語は、あっけなくゴールにたどり着く。
「ねえ、どっちだと思う?」
彼女が訊いてくる。
「何が?」
「消えるのはどっちだと思う?
「…………」
世間で最もつまらないと評されるゲーム『ゆうしゃとまおう』
このゲームは二つのルールで成り立っている。
一つは『結果の選択』
もう一つは『絶対的なランダム展開』
しかし厳密にいうと、このゲームにはもう一つのルールがある。
それはゲームのエンディングで勇者か魔王のどちらかが、必ず死を迎えるということ。
そこに例外はない。
そこに三番目の答えはない。
嫌だ。
ここにきて僕は新たな恐怖と直面した。
自分が死ぬのが怖いんじゃない。
彼女が死ぬのが怖いんだ。
いつもいつも悪い予感ばかりが報われる人生を繰り返してきた。
きっとエンディングでは
そして僕が取り残されるだろう。
メッセージウインドウに表示されていれば、親友を殺めることも自分が汚されることも
自分の死ですら迷わず実行に移してしまうだろう。
もちろん、そうなれば僕は全力で阻止する。
彼女には償うべき罪があるし、聞きたいことも本が書けるほどたまっている。
でも、できるだろうか。これまで重要なイベントは何一つとめることができなかった僕が。
でも、もし死ぬのが
「…………」
よく、わからない。
ただ、これから訪れるかもしれない自分の死を想像しても不思議と恐怖は感じなかった。
単に恐怖の度合いが大きすぎて感覚が麻痺しているだけなのかもしれない。
おそらく彼女なら、チョーク一本あれば自殺も他殺も
そんな魔王の前で無駄な抵抗や思考は、それこそ無駄でしかない気がする。
「心の準備はいい?」
彼女は言った。
正しい答えなどわかるはずもなく、僕はただ、導かれるようにうなずいた。
彼女は笑った。ように見えた。
「それじゃあ、エンディングを楽しみましょう」
彼女は自分の指先をじっと見つめてから、それを画面の上に落とした。
きっと、これが最後のタップ。
おわりをはじめる、はじまり。
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