第4話

 頭痛が痛い。


 文法として間違いだというのは知っている。けれども、現在の僕の状況を的確に表現すると、頭痛が痛いで正解だ。


 普通の頭痛の上から追い打ちをかけるように、ねじねじとした痛みが追加された感触。


 だから、頭痛が痛い。


 その原因は風邪でも持病でもなく、ゲーム画面に表示された一文にあった。


『ゆうしゃ の こうげき ゆうしゃ は まおう を おしたおした』


 悪意ある誰かからの遠隔操作を疑いたくなるような、ふざけたメッセージの連鎖に、思わず眉間をおさえる。


 もちろん文章に忠実な愚かな行動をとったりはしない。


 なぜなら、僕はこのゲームの攻略法を見つけたからだ。


 本作『ゆうしゃとまおう』には二つの大きな特徴がある。


 その一つはこれまで何度か繰り返してきた『結果の選択』だ。


 メッセージウインドウに表示される勇者と魔王の行動がヒットしたのかミスしたのか、結果だけを選択してゲームを進行させていく。


 そしてもう一つの大きな特徴。


 それこそがこのゲームが世間から多くの低評価を集める原因となったものである。


 それは『完全なランダム展開』


 見てくれこそロールプレイングゲーム風味ではあるものの、このゲームには体力や攻撃力といったパラメーターは存在しない。


 ゲームは勇者か魔王、どちらかの死によって幕を閉じる。


 その勝敗に、そこに至るまでの経緯は一切考慮されない。


 一方的に勇者が魔王を攻めたとしても、特に理由もなく勇者が敗北することもあれば、その逆もある。


 僕がはじめてこのゲームをプレイしたとき、開始数秒で魔王が勝利してしまい、何が起こったのかしばらく理解できなかった。


 どこまでいっても絶対的にランダム。一つ一つの選択に意味はない。


 だから、僕はこれを選択する。


 僕はしっかりと悩む素振りを見せてから『ミス』をタップした。


 次は魔王の攻撃。相変わらず彼女はまじめにメッセージに従順な行動をとる。


 ありがたいことにゲーム開始直後のような刺激的な指示はなくなり、手足をぽかぽかと叩かれる程度のイベントがつづいた。


 僕は基本的にミスをする。


 彼女はヒットさせてくる。


 こうしていれば、そのうちランダムで終わりがやってくるだろう。


 離れた場所から見れば、僕たちは仲の良い男女がじゃれ合っているように見えているのかもしれない。


 これはこれで楽しい。


 少なくとも、僕は楽しかった。


 ただ、彼女はそうではなかったようだ。


「ねえ」


 声の冷たさに、体温を奪われるかと思った。


「どんなにおもしろいものでもつまらなくして、どんなにつまらないものでもおもしろくする魔法って知ってる?」


 突然のなぞなぞ。ゲームは僕のターンだが、スマートフォンは彼女の手のひらの中にある。


 どうやらこの問題に正解しないと次に進ませてもらえないらしい。


 ぼんやりと考えてみたけれど、それらしい答えは思い浮かばなかった。


「ごめん、わからない」


 僕は小さく手をあげて降参した。


「ダメ、もっと真剣に考えて」


 彼女は強い口調で糾弾してきた。


「…………」


 ふいに抱きついてきたり噛みついたりする彼女と出会ったのは今日がはじめてだけど、こんなふうに叱咤しったしてくる彼女と出会ったのもはじめてだった。


 ほんの数時間前まで彼女のことを竹のようにまっすぐで嘘のない、全校生徒から厚い信頼を得ている優秀な生徒会長だと信じて疑わなかったのに、こんなに多面性のある女の子だとは思わなかった。


 一体、どれが本物の彼女なんだろう。


 あるいは、まだ『それ』とは出会えていないのだろうか。


 僕は言われた通り、彼女の謎かけと真剣に向き合った。


 それでも答えはひらめいてくれなかった。


「すみません」僕は頭を下げ、さっきよりもさらに強い降参の姿勢をとる。「やっぱりわかりませんよ」


 彼女からの反応がないので、顔を上げてみると、彼女はほんのり笑みを浮かべていた。


「うん、それでいいんだよ」


「どういうことです?」


 わからないことこそが正解であると、哲学的な話題に移行するつもりだろうか。


「きみは今、真剣に問題と向き合ったよね」


「ええ、まあ、そうですね」


「でも、きみはさっきから真面目にゲームをやってなかったでしょ」


「……えっと」


 間違いではないけれど、間違いだ。


 確かに真面目にプレイはしていなかった。でも、ちゃんと真面目に逃げていた。


 真面目にプレイするとなれば、どうしても彼女の体にふれる必要があって、それはなんだかやっぱりよくないことのように思えたからだ。


 それに、異性との不純な接触は推奨しないと普段から全校生徒の前でスピーチしているのは他ならぬ彼女である。


「どんなにつまらないことでも真剣に向きあえば楽しくなるものよ」


 そこだけ聞くと、とても生徒会長らしい、いい言葉に聞こえてくる。


「つまり、どんなにおもしろいことでも適当にすると途端につまらなくなるということ。不真面目なゲームほど退屈なものはないわ。そんなことに時間を費やすくらいなら、家に帰ってマグカップとお喋りしていたほうがマシよ」


 きついことを言われてしまった。でも確かに今の僕にはマグカップほどの価値もないだろう。少なくとも、熱いココアをそそがれてじっとしていることは、僕にはできない。


 すうっと、彼女は一歩前に出て僕との距離を詰めてくる。僕と彼女の間には握りこぶし一つぶんほどの空白しかない。


「次の問題よ。真面目にゲームをプレイしてくれない人を本気にさせるにはどうすればいいかわかる? 考えなくてもいいわよ。答えは簡単、スポーツと一緒でペナルティーを与えればいいの」


 魔王は薄く笑った。


 何か恐ろしいことをされる。本能が警笛を鳴らした。だからといって、相手が何をしてくるのかわからないので、対処のしようがない。


 彼女の手の中にあるのはスマートフォンだけ。そこから銃弾や刃物が飛び出してくるなんてこともないだろうし、いざとなれば出入り口まで走って逃げてればいい。


 そうだ。僕は心の中で膝を叩く。


 蜃気楼みたいな彼女の雰囲気に惑わされていたけれど、ここはただの生徒会室であって、密室でもなければゲームの世界の中でもない。出入りは自由なのだ。

 

 そういえば、藤沢先生はいつになったらここへくるのだろう。


「ちょっとだけ、上を向いててくれるかな」


 彼女はニコリと笑って僕にそう告げた。


 これは酷い武器だ。間違いなく何かされるのはわかりきっているのに、その愛らしさに感情が突き動かされ、「うん」とうなずいて、僕は犬のように上を向く。


「いいよって言うまで下を向いちゃダメだからね」


「……わかりました」


 実質、視界を奪われているようなもので、恐怖心は増大していく。あまり痛いことはしないでほしいと願いを込め、ぎゅっと手を握りしめた。


「はい、もういいよ」


「──え?」


 まだ十秒も経っていないのに、解放を許可された。


 体に何かされた感触も痕跡もない。


 単に怯えさせたかっただけなのだろうか。


 疑問の答えは電波に乗って返ってきた。


 机の上に置いていた僕のスマートフォンが軽快なメロディーを鳴らしてメールの到着を伝えてきた。


 ほとんど条件反射でスマートフォンを拾って、メールを確認した。差出人は母からだった。


 件名は『どうしたの?』


 本文は『なによ、これ』

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