第3話
勇者の攻撃。勇者は魔王の胸を刺した。
と読める。としか読めない。
画面を見た。全身を黒い衣装でつつみ、奇妙な杖を持ち、凶暴な顔をした、いかにも魔王といった出で立ちの魔王が大雑把なドットで描かれている。
目の前を見た。白い半袖のスクールシャツと黒に近い紺色のミニスカートをはいた、どうやら今は魔王を演じている生身の少女がそこにいる。
無意識に彼女の胸部に視線が
「どうしたの?」
その声に心臓が高鳴った。
彼女はじっと僕を見つめている。次はあなたの番よ早くして、と催促されているようだ。
もしかすると彼女にはテキストが見えていないのかもしれない。
僕はスマートフォンを彼女のそばまでスライドさせた。
彼女は画面に目を落とす。
僕の予想ではこの後、顔を赤くした彼女がスマートフォンをしまって、先生がやってくるまで別の娯楽で時間を潰そうと提案してくるはずだ。
画面から顔を上げ、彼女は口を開く。
「どうしたの? 次はあなたの番よ、勇者さん」
顔色一つ変えず、声色一つ変えず、冷静に魔王の少女はそう言った。
「…………」
言葉に詰まる。同時に自分の顔が赤くなっていくのが、はっきりとわかった。
『ゆうしゃ の こうげき ゆうしゃ は まおう の むね を さした』
読み間違いを期待して、もう一度読み返してみたものの、淡々とした単純なひらがなの列にあやまりなどなかった。
なぜわざわざ部位を指定してくるのだろう。胸じゃなくて、せめて肩や腕ならよかったのに。
いや、理由は何であれ女の子の体に勝手にふれて許されるわけがない。
僕は笑い声を作って彼女を見た。人が悪いですよ生徒会長、もう僕の負けでいいですから、二人だけでスピーチの練習をはじめませんか、そんな言葉を伝えようとした。
視線がぶつかる。闇色とでも名づけたくなるほど黒い瞳が、僕の喉の奥から声を奪う。
魔王のように冷徹な視線が、僕から『逃げる』の選択肢を奪う。
ここ最近、僕はこの『ゆうしゃとまおう』のようなレトロスタイルのゲームをいくつかプレイしていた。
それらの作品には様々な特徴があったけれど、一つだけ絶対的な共通点が存在した。
魔王からは逃げられない。
『ゆうしゃ の こうげき ゆうしゃ は まおう の むね を さした』
テキストを黙読しながら考えた。
先ほど『ふいうち』をしてきた彼女のそれは、確かにふいうちではあったけど、攻撃的なものではなかった。
僕がするべきことも、それと同じ類いのものだと思う。
言葉をストレートに実行してはいけない。要求されているのは想像力と発想の転換だ。
『ゆうしゃ は まおう の むね を さした』
『むね を さした』
「…………」
ダメだ。何も思いつかない。
我ながら実に貧弱な脳をしている。
さすがに刃物で刺そうとは思わないし、そもそも物騒なものは所持していない。
そのあたりにあるものを使い、指定された箇所にふれることで許してはもらえないだろうか。
僕は目だけ動かして周囲を観察した。机の上にある球体のついたトロフィーとウマアザラシのヌイグルミはどうだろう。
かりそめとはいえ、どちらも武器として扱うにはふさわしくない気がした。あとは椅子やホワイトボードといった備品しかない。これらはトロフィー以上に論外だ。
もう限界だった。
僕はあきらめて、最初から考えていた最後の手段を実行することに決めた。
そっと腕を持ち上げ、ゆっくりと指先を彼女に近づける。
彼女の体と僕の指先の距離が徐々に縮まる。
接触まであと数センチ。
そこで僕は指先を机に落とした。正しくは、机の上にあるスマートフォンの画面の上。
テキストの右上に表示されている『ヒット』と『ミス』の選択肢。
僕は『ミス』をタップした。
『ゆうしゃ の こうげき は はずれた』
失敗を告げるメッセージが表示され、僕は安堵する。
この行動をどう思われたのか、ちらりと彼女に目を向けて様子を覗(うかが)ってみた。
猫のように野性的な視線に射貫かれて、思わず息がとまる。
「失敗とは思い通りに行動できなかったことではない。何も行動しなかったことこそが失敗である」
何か格言めいたことをつぶやき、彼女は画面をタップしてゲームを進めた。
僕のとった行動がお気に召さなかったことは、何となく伝わった。
メッセージウインドウには次の展開が表示されている。
『まおう の こうげき まおう は ゆうしゃの くびに かみついた』
ふいうちの次は噛みついてくるらしい。なかなか過激な魔王だ。
生徒会長はこれをどう表現するつもりなのだろうか。
小さな期待と少しの不安を募らせていると、僕のつま先に何かがふれた。
白い室内用シューズのつま先が、僕のつま先にふれている。
それはつまり、誰かが僕とほぼ密着状態にあるということ。
それが誰かなんて考えるまでもない。
まっすぐ前を見ると、艶やかで深い黒髪があった。生徒会長と僕の身長差は頭一つ分くらいなんだなと、この距離まで近づかれてはじめてわかった。
ちょうど僕の胸のあたりに彼女の顔がある。
そこからの行動はほとんど一瞬だった。
つま先立ちになり、顔を上げ、口を開き、なぜか目を細めて、彼女の顔が近づいてくる。
その表情に思わず見とれる。
だが、喉にあたった硬い感触が僕を現実に引き戻す。
一瞬、それが何だかわからず、次の一瞬で、噛みつかれたのだと理解した。
驚いて、慌てて、まのぬけた声をあげて、そのまま背中から倒れてしまい、連鎖的に彼女が僕の上に落ちてきた。
床と衝突して肘と背中に激痛が走る、頭をぶつけることはなんとか回避できた。
「だいじょうぶ?」僕と体を重ねた状態で彼女か訊いてくる。
「ええ、なんとか」
「どこか怪我してない?」
たった今、噛みついてきた相手からの言葉とは思えなかった。
「たぶん大丈夫です」
体中を駆けた痛みはすでに引きはじめていた。
「よかった」
彼女は顔をほころばせた。本気で僕のことを心配してくれていたみたいだ。
原因を作ったのは他ならぬ彼女でもあるのだけれど。
ただ、僕に被さっている彼女のやわらかさが、僕の中のあらゆる負の感情を消し去っていた。
しかしまさか、本当に噛みついてくるとは思わなかった。
言葉をストレートに実行してはいけないというのは僕の勝手な思い込みだったようだ。
夏休みの生徒会室にて、あおむけの男子生徒の上に、うつぶせの女子生徒。
夏休み前、彼女は全校生徒の前でこんなことを言っていた。
休みの間、我が校の生徒として恥ずかしくない誇りある行動をとって下さい、と。
今のこの状態はどうなんだろう。
誇りとは真逆の場所に僕たちはいる気がしてならない。
一体、彼女は何が目的でこんなことをしているのだろう。
よくよく考えると僕は彼女のことを何も知らない。
品行方正、容姿端麗、文武両道、成績優秀、そんな四字熟語が似合う我が校の生徒会長。
彼女とこの場所で二人きりになったのは今日がはじめてじゃない。
先週、軽い打ち合わせをしたときも、ここに二人きりになったことがある。そのときは彼女のほうが先にここにいた。
しかし変わった様子は何もなく、いつも通り清楚でしなやかで完璧な女の子だった。
なぜ今日の彼女はここまで違うのだろう。それともこっちが彼女の本当の姿なのだろうか。
「ごめんなさい、いつまでもこうしてると重いよね」
そう言って彼女は起き上がった。
その言葉をやんわりと否定しながら僕も起き上がった。実際、心地よさこそ感じたものの、重さはまるで感じなかった。
「さてと」彼女はスマートフォンと向き合う。「さすがに今のは成功したとはいえないよね」
自分で自分を納得させるようにうなずいて、彼女は『ミス』をタップした。
こういう自分への厳しさは僕の中にあった今までの生徒会長のイメージと重なる。
「さあ、次はきみの番だよ勇者くん」
スマートフォンをわたされる。
僕は画面をタップする。
『ゆうしゃ の こうげき ゆうしゃ は まおう を おしたおした』
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