第10話 平穏は波乱へ


 仔竜の保護から三日が経った今、クラン《ヤドリギ》は妙に和んだ雰囲気の中にあった。

 というのも。


「違う、そうじゃない。いいかフィー、もう一度だ」

『…?』


 椅子に腰掛ける黒外套装備のシュテルが、目の前のテーブル卓上にちょこんとお行儀よく乗って親を見上げる淡青の竜に何度目かになる指導を行う。

「腹が減った時はどうするんだ」

 仔竜は親の言葉を脳内で噛み砕くように頭を左右に振って、それからゆっくり右の手でシュテルの黒衣へてしてしと二回触れた。

「逆だ。空腹なら左の手を二度。右は便意の際だと教えただろう」

 こんな具合で朝から最強の『狩り屋』が竜を相手に教育している様があまりにもアレな光景過ぎて、他のクランメンバーも遠巻きにそれをどう反応したものかと困りかねていたが、結局行き着くのは『面白い』の一言だった。

 そも、シュテル・フォーゲルハインは滅多にクラン内に長居することはない。情報を得たならば、依頼を受けたならば即刻出て行き、対象を討伐したのなら休息を挟んでまたクランに現れる。以後は同じことの繰り返しだ。

 数日も連続してこの黒衣を目にすることは稀であったし、その稀がこんな面白おかしい姿であれば尚のこと注目を集めてもおかしくない。

「黒いの、いつまでやってんだお前さんは」

 シュテルともっとも接点のあるリーゲルが顔を出すことで、ようやくこの雰囲気は一旦打ち切られる。この三日間はずっとそんな調子であった。

「見ての通りだ。放し飼い出来る程度にはものを覚えた。育てるとなった以上、余所に迷惑を掛けるようなことがあってはならないからな」

「ほんと、お前さんそういうとこは妙に律儀だよなー」

 近場から椅子を一つ持ってきて腰掛けたリーゲルを、仔竜は黙って見上げていた。シュテルに次いで間近でよく目にする相手だからか、その瞳には敵意は無く、親戚に会った子供のような純真さだけがある。

「この青いの、フィーて名付けたのか」

「ああ」

 リーゲルが腰の布袋から取り出した干し肉を仔竜フィーの鼻先に突き出すと、なんの警戒もなくかぷりと小さな牙で噛み付いた。一息で噛み切れなかったのか、そのまま二度三度とかぶりつく。

「可愛いもんじゃねえの。話に聞いてた蒼銀の親御さんの凶悪っぷりとえらい違いだ」

「……そうでもないぞ」

 意味深に呟くと、シュテルがおもむろに黒衣の懐から小瓶を取り出した。おそらくは回復薬ポーションが詰められていたであろうその小瓶は、使用後なのか今は何も入っていない。

「フィー」

『?』

 がじがじと干し肉を齧っていたフィーが、親の呼び声に顔を上げる。それを確認し、シュテルは小瓶を少し離れた位置の床板へ向けてゆっくり放る。

 放物線を描く途上の小瓶を黙って眺めていたフィーが、次の一言でまだ咀嚼途中の肉が残る口を開き、

「撃て」

 そして青色の火球が口腔内から小瓶へ向けて炸裂した。

「うおっ」

 的確に放たれた火の球が小瓶を粉砕し、その音と破片でリーゲルが小さく肩を跳ねさせ驚く。

「なんだよいきなり、ビビらせんない」

 粉々になった小瓶だったものを見下ろし、半眼でシュテルに視線を移す。

「こんなの覚えさせちまったんか、黒いの」

「一度これを顔面に喰らいそうになった。あまりにも危ないので加減と調整を覚えさせた。それと撃ってもいい時も」

「いつこんなの撃っていいんだよ」

「俺がいいと言った時と、自分に危害が及びそうになった時。…と教えた」

 どう?と確認を取るように小首を傾げたフィーの頭を指で撫でる。リーゲルは先程より少しだけ距離を取っていた。

「火力はまだ少し上げられる。最大で小岩くらいなら完全に粉砕出来た」

「こいつやっぱ界域変動の破滅因子引き継いでんじゃねえか?」

 見てくれはともかくとして、間違いなく亜種火竜の力は継承されているということを理解し、リーゲルは認識を改めた。

「それで。今日は何の用だ」

 人差し指でフィーの遊び相手になってやりながら、目深に外套のフードを被るシュテルの瞳がリーゲルに向く。

 用が無くても絡んでくる男ではあるが、用がある時は決まって先に腰を落ち着けることも知っていた。

 だがしかし。妙ではある。

 この数日は火山で受けた怪我の療養とフィーの面倒に費やしていた為、まだリーゲルには新たに抹殺する異世界人の提供は頼んでいなかったはずだが。

「おお、そうだそうだった」

 話を振られ、思い出したように禿頭を手の平でぺしりと叩いたリーゲルが声を上げ、


「ちょっと」


 その声を遮る形で人影が両者の間に現れた。

「…、お前も俺に用が?」

 ついと視線を上げれば、勝気な赤い瞳がこちらを見下ろしている。丁寧に編み込まれた鈍色のローテールの先端が、テーブルに両手をついて前のめりになった拍子にうなじから垂れ下がる。

 今でこそ上からじとりとした目を向けてはいるが、シュテルが立ち上がればその背は彼の胸にも届かない。

 単独行動を常とするシュテルではあるが、同じクランの同胞はちゃんと顔と名前を一致させて覚えている。

 ことに、成人していながら少女のような外見をした彼女の存在感は《ヤドリギ》内においても一層強い。

「どしたよアンリの嬢ちゃん。今はこっちの取り込み中だぞ?」

「嬢ちゃん言うなこのオジサン。それより何より最優先でこっちの問題よ」

 燃えるような赤眼を強気に細めてリーゲルを一瞥し、再度シュテルに向き直る。

「ね、最強さん。わたしの言いたいこと、わかる?」

 間近に迫るアンリ・ユゥリスタの幼さを残す顔が、不満を含んだまま器用に笑みを形作る。

「……。いや、わからん」

 律儀に数秒考え込んでから、素直に白状する。

 その反応を予感していたのかどうか、アンリはすぐさま立てた親指で自分の後方を指し示した。

 指の先、板張りの空間には何も無───い、ことはなく、ようやくシュテルも合点がいった。

「ああ」

「うん、はいこれ」

 早々に理解したシュテルへ、今度は曇り気のない純真な笑顔を見せると、片手に握っていた使い古しの箒を差し出した。




     ─────


「なんだよ掃除くらい、これお前さんの領分に入らねえの?」

「これも仕事に含まれるんなら、なんでもかんでもすぐ働かせようとする『支え屋』のオジサンの命も掃き散らしちゃおうかな☆」


 にっこり笑顔でゾッとすることを言うアンリは今、たった今までシュテルが座っていた椅子に腰を落ち着けている。

「それで、リーゲル。あんたの用件は?」

 自分が(正しくはフィーが)砕いた空き瓶の始末をしながら、話の続きを促す。

『…っ………ッ』

 散らばった破片を箒で集める最中、彼の周りを忙しなく小さな羽で飛び回るフィーの様子はひどく不安げだ。

 大方自分のせいで余計な作業をさせているとでも思っているのだろうが、指示したのも砕けた空き瓶を放置していたのもシュテルだ。

 罪は正しく自分にある。仔竜が気に病むことではない。

「ん。あー…」

 水を向けたリーゲルは歯切れ悪く短い唸り声を出した。ちらと横目でアンリを見やる。

「?」

 小首を傾げる少女然はリーゲルの意図を察しない。

 クラン《ヤドリギ》にて誰に任命されるでもなく自発的に清掃作業に取り組んでいる熟練の『掃き屋』がいる。

 その健気な女は、しかし散らかった原因が明確に判明している場合にのみその健気さを一切棄てる。

 曰く『汚した本人が片付けなさい。世界の維持より常識の遵守が先』という。至極真っ当な言い分であるが故に誰もこれには逆らわない。

 シュテルが席を立ってからこっち、彼の清掃風景をずっと見守っているのも、常識の遵守とやらを全うする監視のようなものなのだろう。

 どうやら瓶の処理が終わるまで席を離れるつもりはないらしい。

「別に、俺は構わんが」

 先に意図を汲んだのはシュテルの方だった。

 彼個人にまつわる情報を他者の前で開示することに抵抗を覚えているのだ。『支え屋』としての矜恃か、それとも友人に対する配慮か。

 いずれにせよ異世界人の情報を後回しにするほどの道理ではない。

 他ならぬ当人の承諾もあって、リーゲルは苦笑いで首を左右に振って本題を切り出した。


「やべえぞ黒いの。お前さんが火山でった異世界人、どうやら『トランプ』の一員だったらしい」

「───そうか」


 返答はたった一言。

 活動を控えていたはずの、異世界人達による互助組織。その一人が何故あの場にいたのか。

 はどうでもよくて。

「その情報、他の『狩り屋』にも共有してやれ。魔窟が動くとな」

 あの組織は一枚岩ではない。籠城している不可視の要塞から、我慢ならずに何匹かは出てくるだろう。


「支度が整い次第、出る。釣りの手柄は各自で勝手に立てろ」


 狙いがこの身であるのなら。この身一つで奴らを釣れるなら。

 いくらでも餌として踊ってやろう。

 集め終わってガラスの山となった瓶の破片から視線を離し、無言で話を聞いていたアンリへと使い終わった箒を返納した。

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