ヴィンテージ

 当時我々は、組織が所有する無人島に移設された古城を拠点としていた。島の地下は本部の技術開発課が管理する最新鋭の実験施設だが、古城を含めた地上部分の管理はシルヴァという一諜報員に任されていた。

 なぜか。理由は簡単だ。親愛なる諜報員シルヴァにはなるべく人のいない場所で過ごして欲しいから、である。かつて世界中の悪党に『大厄災』と呼ばれ恐れられたヴィクトール・セナ・ダ・シルヴァは欲しいものは必ず手に入れる男で、そのためには手段を選ばず、その手段というのが重力操作という危険極まる能力であることから、組織は総力を挙げて彼を捕え、その首に小型の爆弾を埋め込んだ。

 だがシルヴァは脅しに屈するぐらいなら大陸ごと海に沈めるような男だし、その能力は組織にとって喉から手が出るほど欲しい程のレア物だ。そこで組織は取引を申し出た。彼が異常に執着していたある女性の情報を提供し、その代わりに組織の諜報員として契約するというものだ。シルヴァは粗暴ではあったが悪党ではない。並外れた情熱家、感情や欲望を制御しようとしない永遠の野性児、というところか。

 幸い交渉は成立し、たまたま彼の捕獲作戦に参加しなかった私とジェームズがその女性を捜し出し、シルヴァはめでたく彼女と結婚し、プレゼントとして移築したのがこの古城で、我々は二人暮らしには広すぎる住居の、無数にある部屋のうちの幾つかを使わせてもらっていた、というわけだ。


 本土での活動が一段落し、無人島の古城に戻った晩、私はジェームズにたまには一緒に酒でもどうかと提案した。彼は少々驚いたような様子を見せたが「そうだな」と呟き、その日の晩に私の借りている部屋を訪ねてくると「広すぎなんだよこの城は」と文句を言い、ベッドに腰を下ろして脚を組み、テーブルに置いてあるワインボトルを見ると左目を細めた。

「どうした? いやに高そうだが」

「シルヴァの旦那のだ。地下にあるから全部飲めとさ」

「全部?」

いわく『俺ぁお前らに借りがある。今回のヤマに参加して返すはずが、禁止されてる格闘技で暴れ放題。逆に借りが増えたんで苛ついてたところだ。俺はそういうのは気にいらねぇ。全部飲め。残したらただじゃおかねぇ』だそうだ」

「面倒くせぇ奴だ」

「なあジェームズ」

「ああ?」

「俺たちが組んで仕事するようになってからもう随分ずいぶんつよな」

「だな」

「俺たちは行き掛かり上、ある程度互いの過去を知ってる」

「まあ、な」

「だがあんたにとっての親友トーマス、俺にとっての義妹いもうとユマほどじゃない」

「そりゃそうだ」

「当然と言えば当然だ。こうした仕事じゃ人のことをあれこれ詮索せんさくしないのが常識というかマナーというかルールというか、とにかくそういう流儀でやってきた。だが今夜からは考え方を改めよう。もっとお互いのことを語り合うんだ。そうしないと今後マズいことになる」

「マズいとは?」

「俺たちと人間との一番の違いは何だ?」

「寿命」


 ジェームズはマフィアに殺された家族の復讐を遂げる為に生き返ったアンデッドで、そのジェームズを殺すために差し向けられた不死のニンジャが私だ。


 二人は殺し合うために出逢った。


「例えば今協力してもらってるアンジェロだ。あの子はお前の親友の孫だろ」

「そうだ」

「あんたのことを一番良く知ってる男に孫がいる。これが意味することは何だ?」

「あのオタクにしてあの孫あり」

「違うだろ。やがてあんたの過去を知るものはこの世に誰一人いなくなるってことだ。同じ時間を過ごした人間がいなくなる。誰とも何も語り合えなくなるんだぞ?」

「それはあんたも同じだ」

「だから改めようと言ってるんだ。まず俺から話そう」

 私は立ち上がり、食器室から二人分のグラスと栓抜きを持ってきた。

「と言っても話す事なんかほとんどないがな。俺は戦争孤児だ。物心ついた時には今と似たような組織にいた。世界中から拾われた孤独な子供たちと一緒だった。俺たちは常に暗闇の中にいるようにしつけられた。誰も俺たちを知らない。それが俺たちの価値だ。存在しない事こそが俺たちの存在意義だった。普通の思い出がどういうものか知らないが、多分全然違うんだろう。そんな状況でも楽しかった記憶ってのはあるんだぜ。兄弟弟子たちと修行をさぼった事とか、習った技術を使って師匠をだました時なんかさ。だがもう誰の行方ゆくえも分からない。ほんのわずかな人間らしい記憶が本当かどうか確かめる相手がいない。俺が自分の記憶に自信を持てないもう一つの理由は、あんたもよく知ってるな」

「ああ」

 プロヴァイダーと呼ばれる暗殺者アサシンだった私は、この包帯男との死闘の末、爆破したビルの下敷きになって記憶を失い、人間だった頃の仲間たちの尽力で元の人間ジョー・アイザワに戻ることができた。が、殺戮さつりくマシンであった期間の記憶は未だに取り戻せないでいる。

「あれは本当にあったことなのか? 自分で都合良く書き換えた思い出なんじゃないか? 俺は何に対してもずっとそんな不安を抱えながら生きていくんだ。だが長い年月の果てには誰だってそうなる。不死なら確実だ。そこで提案というわけだ。別に誰かに自分のことを語り伝えるとか、覚えておいてもらうとか、そんな大層な事じゃないんだ。お互いを相手に、自分の記憶を引っ張り出してメンテしよう、しまい込む前には一回ぐらい天日に干そう、ということさ。どうだ?」

「そうだな。じゃあ……」

 ジェームズはテーブルの上の瓶を見てから私を見た。私はコルクを抜いて二つのグラスにワインを注ぎ、二人はグラスを掲げてから一気に飲み干した。裂けた包帯から楽しそうな声が響いた。

「昔話をしよう」

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