最終章 『金の星亭』繁盛記
1話 思いがけない提案
生徒達のキラキラと期待に満ちた、無垢なまなざし。そして次々と投げかけられる質問にしどろもどろに答える俺。後ろで見守っているんだか見張っているんだか分からないジギスムントさんの氷の様な視線。
「うーーーーん」
「おにいちゃん」
「ぼくには無理です……」
「おにいちゃんったら!!」
「はっ!」
夢だった。ペタリと汗で張り付いた寝間着。ユサユサとソフィーに揺さぶられて目が覚めた。おう……もう何度目だ。商学校での講演会に無理やり駆り出されてから三日、俺はあの日を思い出しては夢でうなされていた。
『どうやったらそんな勇敢な行動がとれたんですか?』
って、真っ向から聞かれてみろ。何とかかんとか耳障りの良い言葉を絞り出して答えた自分を褒めてやりたい。そりゃあな? 商品の売り込みとか事業の計画とかならなんとかなるけどさ。ああいうのは苦手なんだ。
「とっとと着替えよ……」
ようやく俺にも平凡な毎日がやってきた。俺目当てのお客さんはまだいるけど、こちらとしては普通に接客するだけだよ。へーレベルクの破損した家屋の修復もひと段落してきたみたいだしぼちぼち改装も視野に入れたいところだけど。そんな毎日が続くと、そう信じていたある日の事だった。
「ちょっといいかねぇ……」
「あれ、ウェーバーのおばさん。どうしたの?」
ノックと共に開かれた宿の扉の向こうに居たのはお隣のウェーバーのおばさんだった。
「やあ、ルカ。マクシミリアンを呼んでくれるかね。ちょっと用事があってね」
「ええ。いいですけど……」
ちょっとの用事にしては深刻そうなウェーバーのおばさん。とりあえず、裏庭で薪割りをしていた父さんを呼びに行く。
「ウェーバーさんが?」
父さんも心当たりがないのか首をかしげている。タオルで首筋を拭いながら食堂に向かった父さんはすっと上階を指さした。
「やぁ、女将さん。よければ上の居間で話をしよう。ルカ、お茶を持って来てくれ」
「うん、分かった」
俺がお茶を持って居間に向かうと父さんとウェーバーのおばさんの話す声がかすかに聞こえてきた。何の話なのかな……。
「どういう事なんだ? いままでずっとやってきた事だろう」
「そうなんだけどねぇ」
父さんの口から漏れる驚きの声。ため息交じりのおばさんの返事。俺はお茶を出しながら一体何の話なのか興味が抑えられず、おばさんに聞いてしまった。
「ウェーバーのおばさん、どうしたの?」
「ああ、ルカ。ルカにも話した方がいいかね。……宿をたたもうと思ってね」
「え!? 『槍の穂先亭』を!?」
「こないだ
ほうっとおばさんはため息をついた。その姿は何だか迷っている様にも見える。
「ねぇ、ウェーバーのおばさん。もしかして宿をたたみたくはないんじゃないの?」
「ううーん……あたしも歳だしね、息子の言う事ももっともなんだよ。ただ……」
「ただ?」
いつも気風の良い彼女にしては歯切れが悪い。心残りに思っていることは何なのだろうか。
「今までよくやってくれた従業員もいるし、どうしようと思ってね。だから誰かに商売を譲ろうと思うんだけどさ。それで考えたんだよ、『金の星亭』に宿を譲れないかと」
「え?」
「それは本気で言っているのか女将さん」
唐突な思いがけない申し出に俺と父さんは驚きの声をあげた。もう一軒うちが宿を経営するって!? 思わず父さんと顔を見合わせてしまう。
「本気も本気さ。ルカはまだ小さいけど、あんな立派な事を成し遂げたし、『金の星亭』だって随分お客が入るようになった。見ず知らずの他人よか任せるならあんた達がいいってね」
「しかし……」
「うち、そこまでの資金は無いですよ」
「そこはゆっくりでいいさ。キチンとやってくれるだろ? あんた達なら」
こくり、と喉をならしておばさんはお茶を一口飲んだ。そこまで信頼してくれるのは嬉しいけどさ。うちにとっては大きな話だ。倍以上の規模の事業拡大をするっていう事なんだから。
「仕事は楽しいさ。でもね、そろそろゆっくり孫の顔でも見ながらってのも悪くないと思ってしまってね」
「申し出は……ありがたいが……」
「今すぐに結論を出せとは言わないよ。ちょっと考えておいてくれんかね」
そう言って、ウェーバーのおばさんは帰っていった。残されたのは腕組みをした父さんと俺の二人。
「……どうする、ルカ」
「チャンス、なんだとは思う。けど……」
少し考える時間が欲しい。あと久々の家族会議の開催をしなければ。母さんやユッテの意見も聞かないと。俺は自室に戻ると、ノートを引っ張り出した。さぁ、考え事のお時間だ。
「二軒の宿屋の経営かぁ……想定外すぎる……」
ただ隣り合わせの建物で経営出来るチャンスなんてこの先ないだろう、とも思う。ヘーレベルクの壁に囲まれた土地には限りがあってなかなか空きなんか出ない。
「問題は資金だよな、ウェーバーさんはああ言ったけど」
老後の資金にするんならなるべくまとめて払ってあげたい。金銭を運搬するのはとても危険を伴うし。カリカリとノートに問題点を書き綴っていく。書きながら俺は一個の事に気がついた。
「俺……やってみたいんだ。この事業」
ああ、そうだよ。宿の残りの改装をしたら『金の星亭』の立て直しは完了だ。風呂が欲しいだの獣舎が欲しいだのっていう物理的に無理な事を除いて、俺の当初の計画は完成してしまう。それじゃちょっとつまらないって、今この段階になって俺は思ってしまっている。
「二つの宿……それを生かすとしたら……どうする……?」
俺は背筋をしゃんと伸ばしてもう一度、ノートに向かい合った。これらの資金繰り、経営方針……俺の中の正解を探すために。
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