3.向日葵

 その日からあたしは、喉が渇けば噴水の水を飲み、体を拭い、なんとか食べられそうな残り物を探したり、時には店先から失敬したりして過ごした。眠りにつく石畳は固くて冷たくて、体が痛くなる。それでもまたあんな目にあう位ならこうしていた方がずっといい。


「……よしっ」


 今日は幸先がいい。間抜けなパン屋から掌ほどの大きさのパンを手に入れることが出来た。いつもの路地裏で、さっそくそれにかじり付く。


「おい、お前」


 急に声をかけられて、心臓が跳ね上がった。おそるおそる振り返ると、少し年上の子供がいた。服はやぶけてボロボロで……まぁ、今のあたしも似たようなものだけど。


「それ、返してこい……って、もう食べてしまったのか」

「なんだよ! やらないぞ!」


 あたしはさっと食べかけのパンを後ろに隠した。その様子をみたそいつは困ったような顔をした。


「窃盗はむち打ち刑だ。大人なら10回、子供なら5回。大抵は3回も保たずに気を失う」

「だからなんだよ……飢えて死ねっていうのか!?」

「お前の名前は?」

「……まず自分から名乗れよ」

「そういえばそうだな。俺はクルト……盗みなんかしなくてもいいようになるから、ついておいで」


 クルト、と名乗った少年はそう言って手を伸ばした。ひっぱたいてやりたかったが、別にどこに行く当てもある訳じゃない。あたしはフラフラと彼の後を追った。

 徐々に道が入り組んで行き、細く複雑になっていく。やがて、古びた建物がびっしりと並んだごみごみとした薄暗い場所の一角に辿りついた。


「ここ……」

「スラムだよ……ほら、ぼーっとしていると危ないから離れないように」


 クルトはあたしの手をとった。そこからどこをどう歩いたのか。木造の粗末な掘っ立て小屋につき、クルトは扉を開けた。


「ここが俺達の家だ。ようこそ。さぁ入って」

「……いいの?」


 クイッとクルトが黙って顎をそらした。示した先の空は鈍色。


「今夜はきっと雨になる」

「……」


 狭い室内には私と同じ様な子供達が数人いた。おずおずと入ったあたしに視線の矢が飛ぶ。


「クルト、また拾ってきたの」

「あんた、なんて名前?」


 人懐っこい笑顔で彼らは一斉にあたしの下へ駆け寄ってきた。


「……あ、聞くの忘れちゃった。お前の名前は?」

「ははは! クルト、名前も聞かずに連れてきたの?」

「……ユッテ。あたしの名前はユッテ」


 こうしてほんの少し抜けていて、お人好しの少年と子供達と共にあたしは生活をはじめた。一番年嵩のクルトは兄のように父のように、子供達の面倒を見ている。


「……そう、そう。もっとしっかり編み目を揃えて」

「うん……」


 まず、クルトはブレスレットや小物作りの内職の仕事をあたしに教えてくれた。お腹いっぱいとはいかないけれど、ここでは皆手を取り合って盗みをやらずになんとか食べていける。あたしもあたしの食い扶持を稼ぐ為に、懸命に仕事をこなす。


「よっし一番!」

「ユッテは足が速いなぁ」


 仕事の合間に、みんなで遊びもする。かけっこになるとあたしにかなう子はいない。村で木登りも散々やっていたから、家々の屋根に昇って伝い歩くなんて芸当もお手の物だ。

 内職のほかには使いっ走りなんかの仕事もあったからそれはあたしがうってつけ。誰より早く、仕事をこなした。




荷物持ちポーター?」

「そう、お前さん身軽だろ。今よりずっと稼げるぞ」

「稼げる……」


 そうあたしに持ちかけたのは同じスラムに住むおっさんだ。おっさんの右足の膝から下は義足だ。それをコンコンと叩きながらあたしに言う。


「もちろん危険はあるがな。ツテはあるから、お前さんにその気があるなら渡りをつけよう」

「……少し、考えさせてくれ」


 稼げる、か。みんなが三日に一度のパンが毎日食べられるようになったら。温かい毛布を全員包まれるくらい買えたら。そしたらあたしを拾ってくれたクルトにちょっとは恩を返せるだろうか。

 

「ダメだよ。ユッテ」

「なんでだよ!?」

「分かってるのか? 荷物持ちポーターだよ!? 迷宮ダンジョンに潜るんだぞ」

「でも、今より稼げるって……」

「あのオヤジは、そうやって人を斡旋して小金を稼いでいるんだよ」


 クルトに荷物持ちポーターの仕事をはじめようと思うと伝えると、真っ向から反対された。


「今まで何人も、あいつに唆されて大けがをしたりしているんだ」

「大丈夫。あたしよりすばしっこいヤツなんていないだろ」

「絶対にダメだ!」


 結局あたしは、クルトのその言葉を無視した。片足の胡散臭いおっさんの下まで行って元締めを紹介して貰った。


「ほう……お嬢ちゃん、そんな細っこい体で何ができる」

「あたしは、誰より早く走れます。見た目よりずっと力もあります」


 片目の潰れた恐ろしげな顔の男の前にあたしは立たされて、本当は逃げ出したくなった。そんな気持ちをグッと抑えて、震える足に力を籠める。男は何がおかしいのかニヤニヤと笑いながら、ドサッと袋とナイフを投げて寄越した。


「まぁいい。やってみろ」

「……はい」

「仲間を紹介する、付いてこい」


 この日からあたしの荷物持ちポーターとしての生活が始まった。はじめは先輩荷物持ちポーターにくっついて迷宮ダンジョンのあれこれを教えて貰う。あたしの身を守るのはナイフ一本。


「あ……あ……」


 はじめて見た魔物は巨大な蜘蛛だった。足がすくむ。戦闘に巻き込まれないよう程よく距離をとり、もしもの場合に備えてナイフを構える。その手は細かく震えていた。

 それでも。振れ。自分にかかる火の粉は自分で払うしかない。いつしか震えは止まり、小さな動きの鈍い魔物なら自分でも倒すことが出来る様になっていた。

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