4.菜の花

「ユッテ! いつまでこんな事をしてるつもりなの」


 この日稼いだのは銅貨3枚。それをクルトに手渡すと、泣きそうな顔をしている。


「全然平気さ! クルトは心配性だよ。これでこの冬はぬくぬく暮らせるぜ」


 だが、調子が良かったのはここまでだった。先輩荷物持ちポーターの手が離れるとチビのあたしには仕事がなかなか回ってこない。

 周りを見てチマチマと迷宮ダンジョン前で物売りをしたり、いかにも世間知らずそうなパーティに声をかけたり。そんな日々が延々と続く。脇目に契約が成立した荷物持ちポーター仲間をチラリと見つつ、天を仰いだ。


「……ちぇ、今日もカラ振りか……」


 ほんのちょっと傷薬が売れただけで今日は終わった。クルトには毎日銅貨3枚を渡している。これ以上、心配をかけないために。


「教会の炊き出しに並ばなきゃ、だな」


 家と寝床はあるけれども、仕事があるから飯は自力で調達しなくてはならない。ここの所、実入りが良くなくてもう三日も昼食を抜いていた。数日おきに行われる教会の炊き出しで腹を満たさないと、そろそろ体力勝負のこの仕事では限界だ。


「とっとと通してくれ。暇じゃないんだ」


 市壁の北門の衛兵がもたもたと手続きをするのも空腹のせいかイラつく。


「お前カラ降りだったんだろう? なら暇じゃないか」

「うるさい!」


 思わず、大声を出したところで驚いた顔をしてこちらを見ている子供に気づいた。あたしと同じ位の歳か。こんなところになんの用だ? 見物か?


「見てんじゃねぇぞ」

「こら、八つ当たりするんじゃない」


 のほほんとしたそいつを睨み付けると、衛兵の一人があたしをたしなめたが無視してその場を後にした。




「ぼくはルカ。友達になってくれないかな?」

「……やなこった」


 翌日、教会の炊き出しに並んでいると、声をかけてきたのは市壁の門で会った少年だった。それはあまりに唐突な申し出で、あたしはとっさに断った。

 ……なんなんだ。なんだあいつ。あいつがやってきたのは教会が運営している学校の方からだ。食うに困った人間はあそこにはいない。そんなやつがあたしと友達に?訳が分からない。


「学校……か」


 本当なら、そろそろ村の教会であたしも読み書き計算を習うはずだった。ああ、帰る家なんてないけれど、あの村に帰りたい。だけど、今のあたしには村に帰る手段も金の余裕も無いのだ。


「……そうだ、あいつがどういうつもりか分かんないけど」


 あいつから文字を教えて貰えばいいんじゃないか? そしたらスラムの他の子にも教えられるし、スラムには字を読めない連中も多いから代読や代筆の仕事も出来る。スラムの元締めから仕事を斡旋して貰うにしたって、読み書きが出来た方が割のいい仕事が回ってきそうだ。あたしは学校が終わる時間まで、その場で待つことにした。


「ルカとか言ったな。ちょっと聞きたいことがある。なんで声をかけた?」

「なんか気になって。なんで荷物持ちポーターなんてしているんだろうって」

「そんなことか。そりゃ食ってくためだ」

「うち、冒険者相手の宿屋をやっててさ……ぼくと同じくらいの歳なのにすごいなって」


 ルカは驚いてしどろもどろになりながら、そう答えた。その素朴な回答に、スラムの人間をバカにしてやろうとかそういった害意は感じない。


「そうか、悪かったな。ここんとこ実入りが少なくてイライラしてたんだ」

「こちらこそ、いきなりごめんなさい」

「ルカとか言ったっけ……あたしはユッテ」

「お、女の子ぉ!?」

「ど、どっから見てもそうだろうが!」


 ああ、畜生。一月ほど前に灰色の髪はそこそこいい値で売れると聞いて売ってしまったんだ。迷宮ダンジョンに潜るのに長い髪をいちいち括るのも面倒だったし丁度いいと思って。まさか男に間違われていたとは……。


「ごめん……」

「まあ、髪はこないだ売っちゃったからな……しょうがないか。おい、ルカ。友達になりたいとかいってたな」


 そんな事より本題だ。こいつに字を教えて貰わなくちゃ。出来ればタダでな。お人好しそうなこいつならなんとか言いくるめられそうだ。


「友達になってもいいぞ」

「へ?」

「その代わり、頼みがある」

「……え? なに?」

「字を教えて欲しい。ちょっとでいいんだ。お前教会の学校に通っているんだろ!?」


 一気に言ってあたしは視線をそらした。


「そんなことでいいの? じゃあ、ぼくからもお願い」

「なんだ?」

「――迷宮ダンジョンについて教えて欲しい」


 意外な事にルカから要求があった。呑気そうな顔とは裏腹に案外抜け目の無いヤツなのかもしれない。あたしはちょっと考えてから答えた。


荷物持ちポーターっていっても中に入ったのは数回だぞ。チビだからな」

「でも色々知っているだろう?」

「まぁ、仲間うちで情報交換はするし、お前よりは詳しいよ」

「なら決まり!」


 ニコッとルカは笑った。そんな訳であたしにはちょっと変わった友人が出来たのだった。

 ――この出会いが後々、あたしの生活を大きく変えるとは思わずに。


「ぼくからユッテにお願いがあるんだよ」

「お願い?」

「ユッテ。ここで商売をしてみる気はない?」


 とんでもないことを言いだしたルカの目はキラキラと輝いている。その目はクルトが内職の組紐を一心に編んでいる時の目とよく似ていた。

 ルカの提案はルカの家が営んでいる『金の星亭』で、迷宮ダンジョンの前でやっていた物売りのような事をするといったものだった。


「そんなことが出来るのか?」

「絶対、とは言えない。商人ギルドの許可が下りたらになるけど」


 実際、荷物持ちポーターの実入りは不安定でうまい事カモが捕まえられれば、スラムで内職をちまちまやっているよりは稼げるが、そうでない日はスッカラカンの日もある。

 安定して客が来るならこっちも願ったり叶ったりだ。だけど……こんな出会ったばっかりでこいつは信用できるのか? というか何のつもりだ?


「それで、ルカのところに何の得があるんだよ? 同情だったらお断りだ」

「へへへ……お客さんへのサービスだよ。ユッテがここで商売すればお客さんは市場まで行かなくてすむ、便利になる。じゃあここに泊まるか、ってならないかと思って」


 パン、と膝を叩いてルカは言い切った。迷いのない表情で。


「……いいぜ、その話乗った」


 ……そうして、その手をとった日からあたしの毎日が変わっていった。

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