2.竜胆

「あああああーーーーん」

「こら! 喧嘩するんじゃない! 黙って飯を食え」


 身を寄せた親戚の家は、せまくて子だくさんでとても騒がしい。親戚のおじさんもその奥さんもいつもイライラして大声で怒鳴り合っている。そんな中であたしはなるべく隅っこで食事を取るようにしていた。


「良く来たね! 大変だったろう」

「ユッテの寝床はここだよ。せまいけど勘弁しておくれね」


 そうにこやかに出迎えて貰えたのは最初だけだった。世話になる為に作ったお金を渡すとおじさんは仕事をさぼっては飲み歩くようになり、仕舞いにはクビになってしまった。

 それがあたしのせいだとおばさんは私を責める。あたしが来るまではそれなりに上手くいっていたのに、と。


「ユッテ、こっちへおいで。今日は外に遊びに行こう」

「あそびに?」

「そうさ、ヘーレベルクに来てどこにも出かけていないだろう? 街の隅に川があるんだ。近頃暑いからね、市場に寄ってから水遊びにいくよ」


 そんなある日おじさんが急にそんなことを言いだした。久し振りの外出にうきうきしていたあたしはおかあちゃんの飾り紐を腰に巻き、おとうちゃんのブレスレットを首に身につけた。これが精一杯の装い。


「うわあ……」

「ユッテ、食べたいものがあれば言いな。買ってあげるから」

「ほんと!? じゃあ、あのお菓子!」


 はじめてマトモに見た市場はとても賑やかだった。あちこちの屋台からいい匂いが立ち上っている。揚げたての湯気を立てる甘いお菓子を買って貰い、ほおばりながら川へと向かう。


「ねぇ、おじさん。ほかの子はいいの?」

「ああ、いっぺんに行ったら見ていられないからな」

「ふーん」

「ほら、着いたぞ」


 川辺は緑も多く清々しい。都会のヘーレベルクのごみごみした街並みより田舎育ちのあたしにはよっぽど身近に感じられた。


「わぁ、冷たい」

「雪解け水が山から下りてきているからな、ほら……あそこに魚がいるぞ」

「ほんとうだ! つりざおを持ってくればよかったね。おじさん」


 そうして川をのぞき込んで振り向いた瞬間。――おじさんがあたしを川に突き飛ばした。川の流れは早く、足をもつれさせたあたしの体は流されていく。


「おじさん! 助けて!!」

「……ユッテ、厄介者のお前とはここでお別れだ」


 なんとか水面から顔を付きだしたあたしの頭を、おじさんは足で水に沈めた。


「おじさん! おじさん!」


 冷たい水の中で、必死で手をのばす。息をしようともがくのも空しく、水がどんどん口の中に入ってくる。助けて。誰か助けて!! めちゃくちゃに手足を動かしているうちに段々とあたしの気は遠くなっていった。




 ――寒い。うっすらと目を開けると、空は満天の星だった。体の感覚がひどく鈍い。一瞬、ここは天国かと思ったけど、それにしては体中が痛かった。


「あー……。あたし……生きてる……?」


 のろのろと体を起こす。水を吸った服が重たい。濡れた服を脱ぎ捨てて、ぎゅっと水を絞る。これを着たら風邪をひいてしまうだろう。小枝を集めて灯火の魔法で火を付けた。服と乾かしつつ、冷えた体を温める。


「どうやって来たんだっけ……えいへいさんに聞けば分かるかな」


 川に落ちた場所からどれくらい流されたのか分からない。たき火に小枝を足しつつ、あの時のおじさんの顔を思い出す。……帰ったところで家に入れて貰えるだろうか。


「『厄介者』……」


 おじさんにぶつけられた言葉。あたしを足蹴にしながら見下ろしたあの表情。これからどうしたらいいのだろう……たき火の炎を見つめながら、あたしは一人途方に暮れていた。


 どうしたらいいのかなんて結論は出なくても、当然の様に朝は来る。日が昇り、辺りの様子が見えるようになると、木立の向こうに道が見えた。とりあえず、道に出てみる。向こう側から荷馬車がやってきて通り過ぎていく。あたしは、ふらふらとそちらの方に向かう事にした。


「眠たい……」


 昨日は一睡もしていない。たき火で乾かしていた服はまだ生乾きだし、気分は最悪だ。重い足取りで道を辿っていくと市場のある広場に出た。昨日はここで見た事もない活気と美味しいお菓子にはしゃいでいたのに。


「……おかあちゃんとおとうちゃんの形見……身につけていてよかった」


 おじさんの家に戻るのはもう……無理だろう。今度は何をされるか分からない。おじさんはあたしを確実に水に沈めるつもりだった。朝の市場には朝食を売る屋台が並んでいる。その料理の匂いにくう、とお腹がなった。


「おなか……へったな……」


 じっと肉を焼く屋台を見つめていると、店主の男はあたしを見て舌打ちをした。あたしは居たたまれなくなって、行く当てもなく市場をうろつく。

 八百屋の露店の横を通ったとき、一つリンゴが足下に転がってきた。お店の人はこっちを見ていない。ごくり、と喉が鳴る。知ってる。こういうのはいけないことだって。でも。


「……っ」


 あたしはそれを拾って裏路地に駆け込んだ。人気を気にしながら無言でそれにかぶりついた。そうして少しお腹が落ち着くと、その場にずるずると座り込んで眠ってしまった。

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