10話 お砂糖とスパイス(後編)

 心の内で首を傾げている俺に、クラウディアが話しかけてきた。


「ルカ君は冬休みは何をしているの?」

「うちは、宿屋だからね。冬はお客さんが多いから手伝いを」

「それでうちの商会に来たの?」

「それはぼくが勝手に……。何か客入れが良くなる方法を探していてさ」


 現状の宿の経営状態は、そんなに悪くはない。お客もしっかり入っているし、ユッテとリタさんに給金を払って、少しずつだが更なる改装に向けての積み立ても少しずつ出来ている。だけど……本当に少しずつなんだ。これだと一体何年かかるやら……その頃にはまた壁や窓も手入れが必要になるだろう。

 一番の問題は、売りでもある宿泊代の安さだ。部屋数は増やせない。だから部屋が一杯になってしまったら、それ以上の収入は見込めない。だから……俺は『金の星亭』のもう一つの機能を強化する必要性を感じていた。


「食事をしに……もっと、泊まっているお客さん以外も来て貰えるように良くしたいんだ」


 宿泊所としてだけでなくレストランとして。リタさんが来て、おいしい家庭料理は食べられるようになったけれども、これっていう売りは無い。これが俺の考えた当座の黒字を増やす方法。


「へぇ……ルカ君、経営者みたい」

「そんな、なんとか手数は無いかと思ってるだけだよ。その為に商学校に入ったんだから」

「そうなの。でもそれだったらがっかりしなかった?」

「ちょっと思っていたのとは違ったけど……こうしてクラウディアとも知り合えたし。為にはなってるよ。そうでなきゃ一日中市場をうろついてもコレは見つからなかったもん」


 俺は、クラウディアに手元の小瓶を振ってみせた。


「そう、私もルカ君みたいな子がいるのは面白いって思ってる」

「面白いって……」

「バザーの時なんて、あんな方法を取るなんてって感心したのよ?」


 クラウディアはそう言って、テーブルの上で手を組んで顎を乗せて目を細めた。その腕にはあの時のブレスレットが結びつけてある。そうだ、クラウディアのお願いってなんだろう……? 内緒って言って教えてくれなかったけど。


「クラウディアは、どうして商学校に来たの」

「いけない?」


 それまでの親密な空気が消し飛んだ。クラウディアは俺を睨み付けるようにして見ている。


「ええと……文句じゃなくて、これは質問だよ?」

「あ……ごめんなさい。つい」

「いいよ。周りからいっぱい何か言われたんでしょ? そうまでして、なんで」

「それは……」


 クラウディアは手首のブレスレットを弄びながら口ごもった。その時、部屋の扉がコンコンコンとノックされる。


「はい!」

「お嬢様、お茶をお持ちしました」

「入って」


 お茶を持って来たのはさっきの店員……ロベルトさん。トレーに乗ったお茶とクッキーをテーブルに置くと、部屋を見渡してデスクに目を留めた。


「お嬢様、またお勉強ですか……ほどほどにしないと体に悪いですよ」

「放っていてよ、好きでやってるんだから!」


 キツい口調でそう答えた直後、ハッとしたように口を押さえてクラウディアは下を向いた。


「ごめんなさい。ありがとう……もういいから仕事に戻って」

「お嬢様、でも無理はあまり……」

「うん、大丈夫だから」


 まだなにか言おうとしているロベルトさんをグイグイと部屋の外に押し出して扉を閉めると、クラウディアはホウッと息を吐いた。ぽかんとそれを見ている俺に気がつくと、ばつの悪そうな顔で微笑む。

 俺はこの時ばかりは、自分の中身の年齢を呪った。あー、いたたまれない……そんな俺の気持ちが伝わったのかクラウディアは人差し指を口元にあてて囁いた。


「……ロベルトは何も知らないから黙っていてね」

「う、うん……それで、商学校に?」

「ええ。嫌なの。訳のわからないまま……両親が連れて来た人に店を任せるなんて……嫌。だったら自分で全部やるわ。例えコレがどうにもならなくても」


 手首のブレスレットを撫でながら、クラウディアはようやく席についた。


「きっと……切れる日がくるよ。そのブレスレット」

「だったらいいわね」


 うんうんと根拠なくただただ頷いて、ギクシャクとクッキーとお茶を流し込んだ。きっと上等なクッキーなんだろうが、まったく味がしない。思いがけず乙女の秘密に触れてしまった……。もやもやとしながら俺はディンケル商会を後にした。




「ルカ、どこに行っていたの」

「ルカ君、なんだいそれは?」

「ちょっと珍しい調味料を手に入れたよ。リタさんに使い方を考えて貰えないかと思って」


 帰宅した俺は、母さんとリタさんに手に入れた調味料を手渡した。小瓶の蓋をとって匂いをかいだリタさんは、顔をしかめた。


「これは……エライ匂いがするねぇ。なんか腐ったみたいな」

「今、市場で流行ってる屋台の料理でこれを隠し味に使ってるんです。なんとかして使えないかな」

「へぇ……ちょっとソーズに混ぜてみようか。ニンニクと香草と……あ、レモン……」


 一口ぺろりと舐めたリタさんはブツブツと考え込みはじめた。ヘーレベルクではなかなか出会えない海の香りが凝縮された調味料だ。手際良く厨房で包丁を振るうリタさん。

 ルク鳥の肉をサッとソテーすると、肉汁にタマネギと炒めたニンニク、小さじ一杯の魚醤を加え一煮立ち。仕上げに刻んだ香草とレモンを振った。


「さぁ、どんなもんだろう」

「いい匂いがしますねぇ」

「早く食べてみよう!」


 一口大に切り取ってそれぞれつまんでみる。……おお。いつものソテーよりグッと複雑な味わいだ。野菜のソースとレモンの風味も良く合っている。


「ルカ君、こんなに美味しくなるとは思わなかったよ」

「これ、魚で出来ているんです」

「魚? これが?」

「そう。海の魚」


 作り方はよく知らないど。それにしても、リタさんの料理センスは凄いな。平凡なメニューがあっという間にランクアップした。これなら多少高めの料金設定をしてもいいだろう。


「魚ってことは、この干しダラのスープにも合うかねっ」

「リタさん……」


 楽しそうに腕まくりをしてリタさんは器によそったスープに魚醤をたらしている。その間にもリタさんの頭の中には色んなレシピが構築されていっているみたいだ。あ……いけない。


「リタさん、その小瓶で銀貨1枚するんだ! 大事に使って!」

「え、ええっ。もう半分も使っちまったよ!」


 値段を聞いたリタさんの手から、おたまがポトリと滑り落ちた。ごめんリタさん……うっかり言い忘れた……。

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