11話 覚悟のすすめ(前編)

 未知の調味料は大いにリタさんの創造力を刺激したようで、サラダにスープにローストにと様々にアレンジされたメニューが次々と誕生した。適度な分量を使えば、塩とはまた違う深い旨味を添えてくれる。本来は、汎用性の高いものなのだ。……だけど。


「え、そんな……こんなに色々美味しくなったのに」

「そうよルカ。どうしていけないの?」

「そうなんだけど……」


 俺はそれらのメニューをすべて却下した。理由は二点。魚醤の原価が高いので全てのメニューに使ってしまうと全体の食事のメニュー単価が上がってしまう。それはいつもいるお客さんに対して逆に不親切だ。うちのお客さんが支持しているのは低価格な宿代な訳で。

 もう一つは……客寄せに使うには、ある程度キャッチーさが必要だって事だ。あれもこれもに使っていては、名物メニューにならない。

 それからこれならメニュー丸パクリではないから、折角レシピの秘訣を教えてくれたあの屋台のおじさんに対して不義理にはならないだろう。


「このタマネギと香草を使ったソース。これだけに絞ろう」

「……それだけ? どうしてなのルカ」

「この調味料、結構な値段するし……注文する時に分かりやすい方がいいと思うんだ」

「なるほどねぇ。でもこれなんて呼んだらいいだい?」

「……それなんだよねぇ……」


 正直、俺はネーミングセンスに自信が無い。実家の飼い犬に「フレンチブルドッグだから」とブルボンと名付けて笑われたのはトラウマだ。


「リタさんの作ったソースだから……リタソース……」

「ルカ君、それだけはやめとくれよ!」

「え、うーん……どうしよう」


 案の定、俺のネーミングにリタさんは顔を真っ赤にして首を振った。だよね、俺もルカソースとかつけられたら嫌だもん。


「金の星風ソースでいいじゃない。宿の名前も覚えて貰えるし」

「そうか、そうだね!」


 母さんの最もな意見に、俺は頷いた。一々ごもっともだ。そうと決まったら、メニューPOPを作って貼りだしておこう。


「当宿のシェフが開発した特別なソースが、肉のおいしさを引き立て……新しい感動をあなたに与えるでしょう……こんなんかな」

「シェフってあたしの事かい?」

「……どうして、こういう所だけしっかりしているのかしら」


 リタさんは首をかしげ、母さんは呆れた声を出した。ネーミングセンスは無くてもTVや広告で散々おいしさを伝えるコピーは目にしてきたもんね。それの真似っこだ。

 出だしは小さいだろうけど、もし上手いこと当たったら仕入れの量も増やせる。そうしたらクラウディアに仕入れの拡大や金額交渉も出来るし、そうしたらさらに利益が拡大できる。俺は期待の目で目の前の野菜ソースを見つめた。


「ルカ……部屋は空いているか」

「ど、どうしたの……アレクシス」


 今日だけは特別サービスで、ソースの試食をしようと母さんとリタさんと打ち合わせをした後の事だった。

 宿の扉を空けたのはアレクシスだった。遊びに来てくれるのは一向に構わないのだけど、今なんて言った? 部屋は空いているかだって?


「空きはあるけど……なんだってうちにアレクシスが泊まるのさ」

「……眠い」

「は?」


 うちは漫喫かよ! と、突っ込みたいのを我慢してアレクシスの顔色を良く見るとクマも出来ているし、髪もぼさぼさだ。とりあえず着替えて荷物を引っつかんでやって来たって感じ。


「……部屋に案内するよ」

「悪いな、ルカ」

「おやすみなさい」


 空いていた一室にアレクシスを通して、扉を閉めるとボスッとベッドに倒れ込む音がした。とりあえずは寝かせて、どういう事か聞かなくちゃ。


「おはよう」

「もうすっかり夜だよ」


 うーん、と伸びをしながらアレクシスが二階から降りてきたのは、夕食時になってからだった。顔でも洗ったのかさっぱりしている。さて、尋問タイムだ。


「ルカ、腹が減った」

「え?」

「スープとなにか一品とエール」

「……んもう! ちょっと待ってて!」


 厨房に注文を通し、エールをジョッキに注いでアレクシスの元へと運ぶ。


「はい……」


 コトリとジョッキをテーブルに置くと、アレクシスは一気にエールを飲み干した。あ、頼まれたからすんなり出したけどこれ酒だ。……でも同じ位の年のエリアス達も飲んでたから別にいいのか。なによりこいつの親父さんはうちの酒を飲み尽くしたクリストフさんだ。


「すまないな、喉が渇いていた。もう一杯」

「ちょっとまって! アレクシス、その前にちゃんと説明してよ。うちに何しに来たの?」

「家出」

「いっ! 家出~!?」


 思わず空のジョッキを取り落としそうになった。家出だって? 親父さんと揉めてるっていうのは聞いていたけど。また思い切った事を……。


「ああ、あんまり親父がしつこいんで逃げてきた。しばらくしたら戻るから」

「に、したってなんでうちなんだよ。クリストフさん、うちの場所知ってるぞ」

「この街の中にいたらどこだって一緒さ。それに手持ちの金も限られてるしな……冒険者ギルドの依頼を受ける訳にもいかないし」

「うちは安いからね……」


 そう言って嘆息したアレクシスだが……俺は嫌な予感に頬を引き攣らせていた。アレクシスがここに滞在するのは構わないのだが、遠からずあのクリストフさんがやってくる。『金の星亭』が親子喧嘩の舞台になるぞ……。


「父さん、父さん、父さん!」

「どうしたんだルカ、そんなに慌てて」


 荒事はどうも苦手だ。専門家を呼ぼう。俺はのんきに皿を片付けている父さんの元に駆け寄った。


「クリストフさんが来るよ!」

「ルカ……順を追って話せ」

「えと……あそこにクリストフさんの息子が居るんだ。ぼくの商学校の同級生なんだけど。家出して来たんだって」

「クリストフの息子が? 商人ギルドの学校に?」


 父さんは首をかしげながら、アレクシスの方を見た。


「あんまり似てないな」

「そういう問題じゃないでしょ!」

「落ち着け、ルカ。ちょっと俺が話してこよう」


 父さんは俺の頭をポンと叩くと、アレクシスの座っているテーブルに向かった。以前、クリストフさんがうちに来た時、父さんは飲まされ過ぎてぶっ倒れた。馬鹿でかい父さんをベッドまで連れて行くのは大変だったんだからな。あんな事は二度とごめんだ。なんとか穏便に事が済まないものかな……。

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