4話 綴る日々

「ユッテちゃん、お使いを頼んでもいい? これとこれと……」

「はい、わかりました!」


 母さんから受け取った買い物メモを片手に、ユッテは市場まで買い出しに出かけた。彼女は日々の努力の結果、基本の読み書きはすでに修得済みだ。ユッテはうちに来てから細々とよく働いてくれている。その姿を何気なく見ていると、突然母さんが俺の方を振り返った。


「――ルカ、私って怖いかしら?」

「……へ?」


 母さんは怒ると怖いところは確かにあるけど、今のやりとりのどこに怖さがあったのか。ぽかんとしている俺の顔を見て、母さんはため息をついた。そんな役にたたないみたいな目で見ないでくれ。


「なにか気になることがあるの?」

「うーん……素直すぎるのよねぇ、ユッテちゃんは」


 ユッテが素直……憎まれ口も叩くし、いたずらもするぞ。そうだ、出会った頃は思いっきり睨まれたっけ。俺に対してはそんなユッテだけど、そう言われれば母さんに対しては丁寧で従順だ。この宿屋で働く以上、いわば上司にあたる訳でもあるから別段おかしな態度ではないのだけど。


「……心配なのよ。ちょっと無理矢理うちに住まわせてしまったでしょ? 不満があっても言えないんじゃないかって。一緒に住んでいるのに」

「そうか。母さんも考えてるんだね」


 母さんは例の一件がらみでユッテをうちに住まわせたことに対して負い目があるようだ。俺が考えるに、一番の問題はユッテがまだ子供だってこと。大人同士の関係なら、不満をやり過ごすのも解決するのも本人の問題だけど、本来なら守られながら学ぶはずの年齢でユッテはそんな処世術を身につけてしまっている。


「なんかあったら、ぼくに言うんじゃないかなぁ」

「むぅ……男の子には言えないこともあるかも知れないじゃない」


 俺の返答に口をとがらせる母さん。要は、母さんはユッテが甘えてくれないのが不満な訳だ。そう言われたってなぁ……いきなりソフィーみたいに我が儘を言ったりむくれたりは出来ないと思うよ。


「時間をかけようよ、母さん。一緒にいるうちにきっと馴染むさ」

「ふぅ……そうよね……分かっているんだけど」


 ユッテという新しい家族を迎えて、うちの中がちょっと落ち着かない雰囲気であるのは認めよう。父さんなんかはまるで気にしていないように見えるけどね。


「父さん、母さんがユッテのことを気にしてるみたい。父さんはどう思う?」

「どうと言われても……分からん。昔はずっと人が出入りしていたしな」


 試しに聞いてみたらそんな返答が返ってきた。そうでした。ここは元々クランの集会所でもあったんだよね。気にするほどのことでもないのかもしれない。けど、一応話くらいは聞いておこうかな。母さんのためにも。




「ユッテ、ちょっといい?」


 その日の仕事が終わってから、一応レディの部屋なのでノックをしつつ、俺はユッテの部屋を尋ねた。


「どうした? ルカ」

「あ、もう寝るところだった? ごめん」


 すでに寝間着姿のユッテがドアを開けた。


「なんか用か? 入れば?」

「お、お邪魔します……」


 そう言えば、ユッテが引っ越してきてから部屋に入るのは初めてだ。なんかこう……女の子の部屋……っていうより……独房みたいなんだけど!俺とソフィーの部屋があちこちに物が出しっ放しだったりして、生活感に溢れているのと正反対だ。こないだユッテにはお給金も出たんだし、ちょっとは自分に使ってもいいと思うけどな。


「花瓶とか、どっかにあったと思うけど持ってこようか」

「なにさ、いきなり」

「……いや……見事に何もない部屋だな、と」


 こんなのを見てしまうと、ちょっと俺も不安になってくる。明日、ユッテが急に居なくなってもなんの痕跡も残さないような……そんな気がして。


「ユッテさ、なんか不満とかないの?」

「は? 不満?」

「ほらさ、うちに来てしばらく立つだろ? うちは母さんはそそっかしいし、父さんは無愛想だし、ソフィーはやかましいし……」


 言ってて、なんだか鬱陶しい職場の先輩みたいだな、と思った。居たなー、コミュニケーションのつもりか上司の悪口を引きだそうと必死な先輩。……俺も後輩が出来たら不思議と同じことをしてたんだけど。


「ないよ。みんな、良くしてくれているし」

「そうですか……」

「三食食えて、寝床もある」

「そうですか……」


 吐き出す場を設けるつもりだったんだけどなぁ。ユッテの満足レベルが低すぎて話にならない。見事に優等生な返しに次の言葉が出ない俺を見て、ユッテは困ったように笑った。


「……あのな、こないだ一緒にみんなで川に行ったろ?」

「うん」

「――あたし、あの川に捨てられたんだ」

「……へ?」

「父ちゃんと母ちゃんが死んで、畑を処分して……その金を持って親戚の家に行ったんだけど、金だけ取ったらあたしは邪魔になったみたいでさ。戻ったらやばいと思ってさ、そのままスラムに逃げたんだ」


 ユッテは頑なに川に行くのを嫌がっていた……。俺、知らなかったとは言え無神経なことをしちゃった……。と、同時に、小さな女の子にあんまりな仕打ちをしたユッテの身内に怒りの感情が沸き上がる。


「ごめん……」

「あー……ルカ、違うんだよ。行って良かったって思ってる」

「でもさ……」

「なんとも無かったんだ。あたし。川に行っても」


 ふわりとユッテの手が俺の頭に置かれた。心配して来たのに逆に慰められてしまっている。なんだかこんなんばっかりだな。俺は情けない……。


「あたし、ここに居ていいんだよね」

「もちろんだよ! ずっと居て欲しいってみんな思ってるよ」

「だから、大丈夫なんだ。そりゃ、ちょっと……まだ馴れないところもあるけど」


 ユッテはちゃんとここが居場所だって言ってくれている。だったら俺は……。


「……わかった。ここは兄としてユッテのことを見守ることにするよ」

「はぁ? 兄? 弟の間違いだろ?」

「どっちでもいいけど! ……で、なんかないの不満とか」

「しつこいなぁ……そうだなぁ、ハンナさんがいっつもおたまを出しっ放しにしているのが気になるけど」


 不満の規模が小さい!まぁそんなもんか。でも実際「そんなもん」の積み重ねがじわじわ人間関係をこじらせて腐食させて行く気がする。


「……そういうの、早めに言ってあげて。うちの母さん、言わないと分からないから」

「ふふっ……おう、そうする。あとさ……」

「なに?」

「『コレ』返そうと思ってて」


 ユッテは首元から下げていた紐を引っ張った。その先にあるのは……冒険者ギルドのタグ。ユッテが肌身離さず身に着けていたものだ。


「もういらないだろ? あたしには」

「……いいの?」


 それは、それまでユッテが一人で生きてきた証。それをユッテは「もういらない」という。


「こないださ、おじいさんになってもおばあさんになっても……てルカが話してたろ?あれ聞いて思ったんだ」

「なんて?」

「明日のことばかり考えていちゃダメなんだって。ずっと先のことを考えられるようにあたしはなったんだって。だからこれはもういらない。ここに居るから」


 ユッテは薄い金属製のタグをぎゅっと握りしめた。その姿に俺は彼女の決意を見た。


「ユッテ……明日、ぼくと一緒に冒険者ギルドに行こう」

「……うん」

「じゃあ、おやすみ。」

「おう。また明日な」


 ……また、明日。ユッテの部屋を後にして、俺は久々に手製のノートを引っ張り出した。冒険者ギルドとの一件以来、なんとなく億劫で開く気にはなれなかった。俺の甘さ。間違いの元。でも、ユッテの地に足のついた生活への切っ掛けにはなった。


 そのページの一枚をめくり、俺は「冒険者ギルド」と綴った。

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