3話 夏の名残(後編)
フェリクスへの無慈悲な制裁が止むまでの間、ソフィーの手をユッテに握って貰い、俺は足をバタバタ動かしてやる。
「こうすると前に進むんだよ」
「わかったー。おにいちゃん、ユッテおねえちゃん、手をはなしてー」
手を離すと、ソフィーは見事に沈んでいった。
「うー……なんで?」
「ソフィー、気長にやろう。体から力を抜いて、体を浮かすんだよ」
今日でいきなり泳げるようにはなれないだろうけど……水を怖がってはいないから、コツを掴むまでの時間の問題だな。
「ぎゃあああー! よせって!」
川の中程から半笑いの悲鳴が聞こえる。フェリクスがラウラとディアナの二人がかりで持ち上げられて水面に叩きつけられていた。いいな……あれはあれで楽しそう。
「……ルカ、行ってきたら?ソフィーはあたしが見てるから」
「いいの?」
「あたしは泳げないし。それに顔見てればわかるよ」
バレバレだったか。川遊びの醍醐味はやっぱり水中でのバカ騒ぎだよな。それからは、フェリクスや完全に開き直ったラウラとディアナと川底に潜ったり川の端から端へ競争したりと存分に泳ぎを堪能した。
「こっち、こっち!」
「私の方がもっと深く潜れるよ、ほら」
結局一回も誰にも勝てなかったのは体格差のせいだ。うん、体格差のせいだ。
心地よい疲労感と共に川辺に戻る。濡れてしまった服を少しでも乾かそうと、小枝を集めて火をつけた。パチパチとたき火の木のはぜる音が川辺に響く。川の水で冷えた体を炎が温めてくれる。
「ねぇフェリクス、満足した?」
「へ? あ……ああ。悪かったな、付き合わせて」
「いいよ。きっとこんな風に遊べるのも、もう無くなるかもしれないし」
頬杖をついて、たき火を見つめながら考える。……今かな。言うならきっと今だろう。俺は、まだ湿っている服に文句を言いながら袖を通しているラウラとディアナに声をかけた。
「みんな、ちょっとこっちに来て。言っておきたいことがあるんだ」
「なあに? ルカ君」
「どうしたの?」
たき火の周りに全員集まったのを確認して、口を開いた。
「秋になったら、フェリクスは学校を辞めるだろ?」
「……? うん、寂しいけど仕方ないよね」
小首を傾げるラウラ。フェリクスの卒業は前から決まっていたことだし彼女にとっては今更なのかもしれない。
「それと一緒に、ぼくも学校を辞める」
「え? なんで?」
「どうしたの、ルカ君。おうちが大変なの?」
ディアナが心配そうに俺を見る。優しい子だ。でもそれは杞憂だから安心して欲しい。俺は笑って首を振った。
「違うよ。商人ギルドの商学校に入るんだ」
「……ああ。ルカ君ぐらい計算も読み書きも出来たら、行けるよね。でも……」
「うん、ちょっと早いかもとは思ったんだけど……」
そこまで言ったところで、フェリクスが俺の肩を掴んだ。
「なんだよ、それ! もっと早く言えよ!」
「ごめん……」
みんな揃ったところで言うタイミングを計ってたら伸ばし伸ばしになってしまった。すると大きく鼻をすする音がして、見ればラウラがボタボタ涙を流して泣いていた。
「う……嘘でしょう? フェリクスにルカ君も居なくなっちゃうの?」
「ラウラ、別に引っ越してしまう訳じゃないからいつでも会えるよ」
「うう……でも……寂しいよ」
ラウラは素直だな。息を吐くように感情を吐き出す。願わくばそのままでいて欲しい、なんていうのは俺の我が儘かな。
「ラウラ、私がいるでしょう? 忘れちゃいやよ」
「そうそう、それにさ。ラウラには学校でソフィーのお目付役を頼むよ。心配だからさ」
「ディアナ……ルカ君……うん、分かった」
ラウラは声を詰まらせながら、コクンと頷いた。ラウラはこれで大丈夫。ただ、まだ納得していない脳筋野郎が一人いる。フェリクスの方を見ると案の定、機嫌が悪そうに腕組みをしている。
「商学校のやつらなんて、無駄に頭でっかちのボンボン共じゃねーか……。絶対苦労するぞ」
さすがはヘーレベルク一のパン屋の息子ではある。本当ならフェリクスだって商学校に進んだっていいはずなんだけど、鼻っ柱の強いフェリクスは進学より家業の手伝いから実地で学ぶ方を選んだんだろう。
「そうだろうね。でも、もう決めたことだから」
「だから、それを早く言えっつーの!」
フェリクスは俺の頭を小突いた。ちっとも痛くない。俺もお返しにフェリクスの頭を小突いた。
「一応、確認だけどさ。ぼくたち、友達だよね」
「当たり前だろ」
今更何を言うんだ、という顔をするフェリクス。少し考え無しなところはあるけど、間違いなくこいつは良い奴だ。だから、俺も躊躇いなくお願いするよ。
「じゃあぼくが困ったら、助けてよ」
「おう……ちゃんと言えよ」
「フェリクスもだよ。……あとみんなも」
俺はみんなを見渡した。長い夏の太陽も暮れ始めて、あたりは少しだけ薄暗くなってきた。たき火の炎がみんなを照らす。
「学校を辞めても、いつでも会えるよ。毎日会えなくても、みんな友達だよ。そうだよね」
「もちろんそうよ、ルカ君。お母ちゃんだってルカ君のところで働いているんだし」
「ソフィーちゃんのことはまかせてね。勉強、頑張って」
「ありがとう。みんなのことはずっと友達だって思うよ。……おじいさんになっても、おばあさんになっても、ずっと」
俺は片手を差し出した。つられたようにみんな、その手に手を合わせた。たき火の炎が小さくなるまで、俺たちはそんな風にして川辺で寄り添って日が暮れていくのを眺めた。
「おじいさんになっても、おばあさんになってもかぁ」
「どうしたの? ユッテ」
家へと戻る帰り道、疲れて眠ってしまったソフィーを背負ったユッテがぽつりとこぼした。川辺でユッテは俺たちの輪からほんの少し離れるようにして座って、ただその様子を眺めていた。一体、何を思っていたのか。
「あたし、考えたこともなかったな。そんな先のことなんて」
「あー……ははは」
この発想はおっさんの発想だな。毎日が発見で全てが先に進んでいく感覚だった頃と比べて、ある程度自分の力と道筋が見えてしまうと感傷的な気分になることが多い。俺は今、頭の中はそんなんだけど、ルカの可能性はまだまだ無限大にある訳で。随分と希有な体験をしていることになるな。
「あー……ユッテばあさんや、今夜はなにが食べたい?」
「へ? ……肉……かな」
「元気なばあさんだなぁ」
「……じゃあ、ルカじいさんは何が食べたいんだい」
「魚!」
「ルカじいさんはいっつもそれだねぇ」
二人でじいさんばあさんごっこをしながら、いつか本当に年寄りになってもこんな話ができればいいな、と考えた。
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