2話 夏の名残(前編)

「おい! ルカ、川行くぞ!川!」

「いきなり何なんだよ、フェリクス……」


 フェリクスが朝っぱらからうちに突撃してきた。それ自体は春先に散々目にした光景なのだが、出会い頭にこれである。


「また釣りするの?」

「それもいいけどな! 暑いから泳ぎに行こうぜ」

「ええ……でも……」

「もしかして、泳げないのか? ならオレが教えてやるよ」

「いや、そうじゃなくて」


 泳げはすると思う。多分。この体で泳いだことはないけど。そうじゃなくて、今日の今日で来られてもこっちは仕事があるんだよ。


「仕事があるし、学校もあるだろ」

「そんなのいいからさ! みんなも誘って川行こうぜ」


 会話が堂々巡りだ。とりあえず一旦落ち着いて欲しい。まだ朝食を食べているお客さんも居たが、空いている席にフェリクスを座らせた。


「ちょっと待ってて。喉渇いたろ? 何か持ってくるから」


 俺は厨房でカップに水を汲むと、氷魔法で冷やして余っていたレモンを少しだけ絞ってフェリクスに渡した。なんか夏限定でしか役にたっていない魔法だ……今度かき氷でも作ってみようか。


「ほら、これでも飲んで。――なんでそんなにフェリクスは川に行きたいの?」

「だってよぉ……夏が終わっちまうじゃないか」


 それと川とに一体なんの因果関係が……と言おうとして、気がついた。夏が終わったら秋が来る。秋になったら……フェリクスは学校を辞めて、パン屋の修行に入るんだ。


「つまり……フェリクスは、今のうちにみんなと遊んでおきたいってこと?」

「そう! そうそう! そりゃ、来年だって別に川に行ったりは出来るだろうけどさ……なんかさ……」


 残念ながら俺にはフェリクスのもどかしさが分かってしまう。なんにも考えずに遊べるのはこの夏が最後なんだね。


「しょうがないなぁ……。パパッと仕事を片付けちゃうから、みんなを誘ってまた午後に来てよ」

「本当か? じゃあまた後でな!」


 去り際にありがとう、と呟いてフェリクスは風のように去っていった。


「母さーん! でっかい声だっだから丸聞こえだったと思うけど」

「はいはい、いいわよ。いってらっしゃい」

「えー! おにいちゃんだけずるいー」


 ソフィーの駄々こねが始まった。けどな……釣りと違って今回は泳ぐんだろ?ソフィーはちょっと危ないんじゃないかな。


「ソフィーはダメだよ。泳げないじゃん」

「およげるようになるもん!」


 はぁ。そうきたか。浅いところでちょっとなら平気だろうか。俺はちらりと母さんの顔色をうかがった。


「母さん……どう思う?」

「そうねぇ……ちゃんと見ていれば大丈夫だと思うけど。あ、ユッテちゃんも一緒に行けばいいんじゃない?」


 二人がかりで見張っていれば、そうそう危なくはないか。……そういやユッテは泳げないって言ってたぞ。


「あたしは行かないぞ」


 ほらな。


「あら、ユッテちゃんもたまには息抜きをしてらっしゃいよ。お休みも必要よ」

「そうだよ。泳がなくてもいいからさ。ソフィーを見ててよ」

「そうね、お願いユッテちゃん」

「……ソフィーの付き添いだけ……なら」


 ユッテはしぶしぶ了承してくれた。それを聞いてソフィーはユッテの手を取って踊り出した。謎の歌付きで。


「やった、やったぁー。ユッテおねーちゃんー。ありーがーとーうー」

「お……おう。あんまりはしゃぐと怪我するよ、ソフィー」


 戸惑いながらソフィーに振り回されているユッテを尻目に、俺は足早に二階の客室の掃除に取りかかった。




*****




「着いたー! はやく来いよ、ルカ!ユッテ!」


 てくてくとソフィーと手を繋いで歩く俺とユッテをフェリクスが呼ぶ。川面は夏の日差しをギラギラと反射して目が痛いくらいだ。


「まったく、バカみたいに騒いじゃって……ソフィーのほうがまだ大人しいじゃない」

「ラウラ、男ってそんなもんなのよ」


 そして俺たちの後からついて来るのはやっぱりラウラとディアナだ。呆れるラウラと……ディアナはその、なんだ。達観しているな。笑顔の底が見えない。


「よっしゃ、泳ごうぜ!」


 フェリクスは早速、川辺に靴を放り出しシャツを脱いだ。ズボンも脱いで、さらに……。


「だーっ! ストップ! そこまで! 女の子も居るんだから!」

「……そう?」


 そう?じゃないよ。どこまでやらかす気だこいつは。とは言え、俺も帰りにずぶ濡れは勘弁なので、パンツ一丁になった。まずは足から、そっと水に浸す。思ったよりもずっと冷たい川の水が指先から伝わってくる。


「おお……気持ちいい」

「ぷはぁー……よし、行くぞ」


 フェリクスは顔と頭を水につけると、犬のように頭を振った。そのままザブザブ川の中央に進んでいく。


「ほら! ここまで来いよ、教えてやるから」

「ぼくは泳げるってば!」


 俺は水に身を任せると、そのままクロールでフェリクスのところまで向かった。泳ぐのは久々だけど、うん。ちゃんと覚えてる。


「な?」

「ちぇっ、なんだ泳げるのかよ。なら、あそこまで競争しよう」

「ちょっと待って、ほかのみんなが……」


 川辺を振り返ると、すでに俺の真似をしてパンツ一丁で水に入ろうとしているソフィーとそれを押さえている女の子たちの姿があった。


「あちゃー……」

「ソフィー、まずは浅いところで!」


 一旦、川辺に戻りソフィーに声をかけた。ええと、体育ではどうしてたっけな。そうだ、顔を水につけるところから。


「水に顔をつけて十数えてごらん」

「はーい! いびびびーち、にぴぴぴーい、さぱぱぱっう……」


 ソフィーは躊躇なく水に顔をつけると思いっきり声を出して数を数えだした。これで十持ったら逆にすごい。懸命なディアナがさすがに止めた。


「ソフィーちゃん、声は出さなくていいのよ」

「そうなの??」


 ラウラとディアナはスカートをたくし上げて、川に入った。二人は泳ぐつもりはないらしい。膝まで水につかるとソフィーの手をとって一緒に遊びはじめた。ユッテは一人、川辺でぽつんと立っている。


「ユッテ! ユッテもおいでよ」


 俺は川から上がり、ユッテに声をかけたが彼女は首を振った。


「泳ぐ必要はないよ。ラウラとディアナみたいに水辺で遊ぼうよ」

「いや……」

「大丈夫、怖くないよ」

「……」

「顔を洗うのと変わらないよ」

「……そうだな」


 ユッテは意を決した様だ。大きく息を吸い込むと、水面に顔を突っ込んだ。……ああは言ったけど大丈夫かな?本当にダメなら無理強いをする気はないのだけど。そんなことを考えていると、ユッテがガバッと顔を上げた。


「うん! 大したことないな」

「そうでしょ」


 ユッテもスカートをたくし上げて川に入る。こちらを振り返ると、ニッと笑った。


「ルカ、ぐずぐずしてないで早く来い」

「はいはい……」


 ん?そういえばひとり見かけないぞ。フェリクスはどこいった?


「おーーい! 見てくれー」


 見れば、大きな岩によじ登ったフェリクスがこちらに向かって手を振っている。そのまま岩のてっぺんから勢いをつけて川に飛び込んだ。バシャーンと一本の大きな水柱が立つ。その水の勢いは、当然こっちに向かってくる訳で。


「わっっぷ」

「あーーー!」


 頭から、俺たちの上に水が降り注いだ。俺はパンツ一丁だからいいとして……女の子たちも水をかぶる羽目になった。ラウラが呆然として自分のずぶ濡れの服を見る。


「……あいつ……許さない! ディアナ、いくよ!」

「うん、お仕置きしなきゃね」


 ラウラとディアナは水を吸って重たくなったワンピースを脱ぎ捨てると、猛然とフェリクスに向かって泳ぎだした。そのスピードはかなりのもので、あっという間に追いつかれたフェリクスは二人ががりで水に沈められた。


「がっ、がぼぼぼぼ……」

「このバカ! 反省しなさい!」


 俺は、落ちていた二人の服を拾って水を絞り、その辺の木に掛けるとユッテとソフィーに言った。


「……ぼくらはこの辺で遊んでようね」

「うん……そうだな」


 フェリクスが手荒い制裁を受けている間、俺たちはソフィーのバタ足の練習に専念することにした。南無三。でも自業自得だから。

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