四章 それぞれのスタート

1話 少年の煩悶

 ヘーレベルクにまた夏がやって来た。日本の蒸し暑いジメジメとした気候に比べれば不快指数はそこまででも無いけれども、やはり暑いものは暑い。


「うーん……ほいっ」


 俺は冷気を発した熱石をたらいに放り投げる。俺が唯一人より得意な魔法……なんちゃって氷魔法である。ただいま迷宮ダンジョンから泥だらけで帰ってくるお客さんに向けて、去年好評だった冷え冷えおしぼりを量産中だ。今年のおしぼりは一味違うぞ。水に薄荷を入れて清涼感を高めてみた。


「手先がジンジンしてきたんだけど」

「ソフィーもー」


 ずっと冷水に手を漬けておしぼりを作っていたユッテとソフィーが愚痴を言う。まあ、これくらいあればいいだろう。去年よりお客さんが増えたから結構な量になってしまった。


「ごめんごめん。ありがとう、手伝ってくれて」

「ほれ、手がこんなになった」

「んぎゃっ!」


 ユッテが俺の首筋に手を差し込んだ。変な声を出した俺を見て、ユッテとソフィーがゲラゲラ笑う。まったく……。同性同士の気易さがソフィーの歳でもあるのか、最近はこんな風に二人していたずらを仕掛けてくる。




「ふい~……」

「あ、なんかスーッとする」


 おしぼりを手にとったレオポルトが中年親父のようなため息を漏らした。エリアスは早速、改良おしぼりに気づいたようだ。


「薄荷水のおしぼりです」

「気持ちいいわぁ」

「……」


 カルラも首筋の汗を拭い満足そうだ。ヘルミーネは……無言で胸の谷間におしぼりを突っ込んでいる。つい目がいってしまうのは――本能だ。


「ちょっと、ヘルミーネ! 子供の前でだらしがない!」

「……汗が溜まる。カルラと違って」

「なんですって! 誰がまな板よ!」


 そこまでは言ってないと思うけど……彼女にとっては重要な問題なんだろう。うん。俺は……みんな違ってみんな良い。と思っている。




「ルカ、すごい見てたな」

「へっ?」

「おっぱい」


 仕事をあらかた終えて夕食を厨房で取っていると、突然ユッテがそんなことを言いだした。み、見てねーし!嘘!見てました!くそっなんであんな一瞬をバッチリ押さえているんだよ。一瞬だぞ、一瞬。……多分。


「えー、おにいちゃんおっぱいみてたのー?」

「あらあら……ルカったら」

「いやいや! ……ユッテ! あんまりからかうなよ!」


 俺は助けを求めて、父さんを見た。父さんはスッと視線をそらした。あー!もう!俺はすっかりいじられポジションだ。今までは母さんとソフィー、父さんと俺で均衡を保っていた勢力図がユッテが加わって変化した。自分の立ち位置に不安を覚える今日この頃である。女三人寄れば姦しい……か。賑やかなのはいいんですけどねぇ。……話題を変えよう。


「そうだ、明日は父さんと仕立屋さんに行くから」

「あら、そうだったわね。ユッテちゃん、ルカが居ない分大変になるけど」

「まかしてください!」


 明日は仕立て屋に行く。何を仕立てるかというと、制服だ。商学校の。俺がこの秋から商人ギルドの商学校に進学すると言った時、両親は複雑そうな顔をした。


「ギルドに貸しを作ったつもりか?」


 それは認める。核心をつく父さんの言葉にちょっとウッとなりながらこう答えた。


「それだけじゃないよ。自分が行きたいと思うから行くんだよ」


 俺はこの世界のことを知らなすぎる。学ぶ場所を変えるってのはアリだと思うんだ。知らない場所はきっとなにかを教えてくれる。ジギスムントさんに言った言葉は嘘じゃない。父さんと母さんからしたら子供時代を生き急いでいるように見えるのかもしれないけど。


「臨時収入もあったし、ね! これは自分の為に使いたいんだ。……駄目?」

「いいえ。ルカが本当にそう思うなら好きにするといいわ」


 最後は母さんの後押しもあって無事、俺は商人ギルドの商学校への進学を認められた。大学進学の進路決定の時より緊張したかもしれない。


 あの時は周りが進学するからなんとなくで大学受験して、あんまり真面目でない多くの学生がそうしたようにモラトリアムを堪能した。それはそれで楽しかったし貴重な経験だったんだけど……親父とお袋には悪いことしたな。




*****




「はい、では腕をあげて……そうそう。じっとしててね」


 商学校から指定された、市場の仕立て屋のお針子が丁寧に俺の首回りや胴回りを採寸している。


「あの……大きめに作ってください。すぐ服が小さくなっても困るので」


 お針子の女性はチラリ、と付き添いの父さんを見てちょっと頷いた。いや、いきなりあんなに大きくはならないけれど。


 商学校に入るのは普通どんなに早くても12歳くらいらしいから、こんな子供の制服を作るとは思っていなかったみたいだ。仕立て屋の店主は最初、俺たちが制服を仕立てに来た、と伝えると口をあんぐり開けていた。


 制服は紺の帽子に上着、それからズボンだ。それらの揃いの制服はこのヘーレベルクのエリート候補の証になる。制服なんて何年ぶりだろう。


 ビジネススーツも制服みたいなモンといえばそうだけど、俺にとっては戦闘服ってイメージが強い。あとオーダースーツなんて作ったことがなかったので、新鮮だ。ちょっとくすぐったい気持ちになりながら見本品として展示された制服を見つめた。


「坊ちゃんにきっと似合いのを仕立てて見せますよ」


 お針子と店主は自信満々にそう言ってくれ、俺たちはついでに買い出しを済ませて家に帰った。


「ただいまー」

「お帰り、ルカ。仕立て屋さんはどうだった?」


 母さんが笑顔で出迎えてくれた。


「なんか、いっぱい色んなところを測られたよ。ちょっと疲れちゃった」

「やっぱり、ブーツも新調したほうが良かったんじゃない?」

「いいよ、まだ履けるし」


 結局、入学準備になんだかんだウキウキしているのは母さんだ。俺が年上の新入生に混じって浮くのは確実だが、少しでも引け目を感じないようにあれもいるかこれもいるかと聞いてくる。真新しいシャツはもう買って貰ったし、気持ちは嬉しいけど、準備は最低限でいい。


「おにいちゃん、せいふくっていつできるの?」

「えーと、多分ひと月後くらいって言ってたけど」

「えー……」


 すぐに俺の制服姿が見られると思っていたソフィーは不満そうに口をとがらせた。そんな訳で俺はゆったり制服ができるまで入学準備を整えるつもりだ……だった。




「え? もう仕上がった?」

「そうなのよ……最終調整がしたいから来て下さいって」


 二週間後、予定より随分早くに仕立て屋から使いが来た。慌てて父さんと俺は市場に向かうことになった。




「さあ、坊ちゃん。こちらへどうぞ」


 着くと仕立て屋の店主がニコニコ顔で、姿見のある奥へ通してくれた。


「まずはこちらです。羽織ってみてください」

「はい」


 上着は注文通り、少し大きめで袖が余る。これでしばらくは変えないでいいな。


「あとから幅も出せるようにしましたからね、きつくなったらまた来てください」

「ありがとうございます」

「では、こちらも合わせて」


 次はズボンを渡される。ん?何か違和感があるぞ?履く前に広げて見ると、確かにズボンなのだが……これは……。


「ほら、早く着てみてください」

「うう……はい……」


 俺はしぶしぶズボンを履いた。紺の上着にズボン。頭に揃いの帽子を乗せられる。


「やっぱり! お似合いですよ」

「そ、そうですか……」


 鏡の中の自分を見つめる。確かに似合っている。いっぱしの学生って感じだ。――ズボンが半ズボンでなければ。足首周りまで測ったのは何だったのか。


「まぁ、なんてかわいらしい!」


 お針子の女性が嬉しそうに声をあげる。俺というイレギュラーは店主のデザイナー心を刺激してしまったようだ。悪気はないんだ、多分……。


「父さん……」

「ルカ、よく似合っているぞ」

「そう……」


 見本の制服は長ズボンだ。ただでさえ浮くのにこんな変形制服で大丈夫だろうか……。満足げな店主の顔を見て、これは嫌だ作り直せともいえず。結局その制服を受け取って帰った。




「おにいちゃん、もういっかい!もういっかいまわって!」


 家に帰ってソフィーにファッションショーをせがまれながら、秋からの進学にも初めて不安を覚えた。

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