三章 幸せのかたち

1話 花の祭り(前編)

 ――ヘーレベルクにとうとう春がやってきた。雪解けでぬかるんだ道も乾き、春を告げる花が咲き、若芽が芽吹く。


「気持ちがいいなぁ……」


 まだ寒い日も時折あるが、空気自体が明るく感じられる。俺は玄関を箒で掃きながら深呼吸をした。こんな良い天気だが、『金の星亭』には今……ある問題が生じている。


 それは仕込みを手伝ってくれている有能パート主婦、リタさんの報酬がどう考えても働きに見合っていないことだ。


 最初は仕込みをちょっと手伝う人員が欲しかっただけ。だけどリタさんの料理はどれも絶品、家庭の主婦にしておくには惜しいくらいだ。その薫陶を受けた母さんの料理もレベルアップして、今では大抵のお客さんがうちで夕食を食べてくれる。


「ルカ、これ食べてみて!」


 母さんは今日もリタさんから料理を教わったようで、皿にはパイが乗せられている。パイ生地は凝った編み目模様で華やかだ。お客さんにも好評ないつもリタさんが作ってくれるミートパイとは違い、甘い香りがする。リタさんがお皿のパイを切り分けた。


「花のお祭り用のお菓子の試作品よ、ルカ君。今日は君のお母さんが全部作ったんだよ」


 ここでは日本と違い、新年を春の訪れとともに祝う。冬のしんみりした年越しも良いが、生命の浮き立つこの季節のお祭りも賑やかで楽しい。


「いただきまーす。んー……甘くて美味しい!」


 焼きたてのパイはサクサクの生地に砂糖漬けのあんずを煮たものがたっぷり詰まっている。甘い物は貴重だ。普段はこんなお菓子は滅多に食べられないが、あんずの花の季節に合わせて夏に採れる実を砂糖漬けにし、開花と共に楽しむ。まぁ、言うなれば桜餅みたいなものだ。


「良かった! これなら大丈夫かしら?」

「だからさっきから言ってるじゃありませんか。祭りではこれをガンガン売りましょう。二人してやれば沢山作れるからね」


 リタさんはやる気まんまんで鼻息が荒い。うん、これは……本当になんとかしなきゃな。こんないい人はなにか報われないと。うちも余裕が出てきたし、従業員への還元は大事なことだよ。




「ねぇ、リタさんの時給もっとあげない?このままじゃ悪いよ」

「母さんも思っていたところよ。結局料理も教えて貰っているし……」


 リタさんが帰宅した後、両親にそう持ちかけると一も二もなく二人は賛成した。やっぱり同じように考えていたらしい。明日にはリタさんに時給アップを告げることになった。




*****




「おい、ルカ。悪いけど花の祭りの日は店を休むぞ」

「えっ? なんで?」


 翌日の午後になってやってきたユッテが、突然言いだした。


「なんでも何も、さすがに祭りの日は迷宮ダンジョンもガラガラさ。店を開けても客なんて来ないよ」

「あ……そう言われればそうだね」

「それにな……祭りの時は別の稼ぎ時なんだ」

「なにするの?」


 ユッテはこほん、と一つ咳払いをした。


「もうし、旦那さま。お祭りの花はご入り用ではないですか?……とこんなもんだ。祭り用の花を売るんだ」


 芝居がかった口調が可笑しい。が、たぶん笑ってはいけないのだろう。我慢、我慢。


「花? 売れるの?」

「小さい花束にしてさ、贈り物にするのさ。知らないのか?」


 へー。そうなのか。今まではどうしてたっけ……あぁ、客のいない宿屋で家族でぼんやりのんびりしてた。そうか、花の贈り物をする習慣があったんだ。……というか父さん!うち、そういう行事はちゃんとやらないと!




 ユッテの申し出を快く受け入れると、ちょうどリタさんが出勤してきた。父さんと母さんがリタさんに、これからは賃金を上げると告げると意外な反応が返ってきた。


「そんな! あたしの仕事なんてそんな大層なことしてませんよ。時間だって融通して貰っている訳ですし……」


 ああ……思うにこれは自己評価が低いタイプだ。こういう人は真面目で欲がない。お金以外にやりがいを仕事に求めるんだ。とても良いことだけどね、そういうのはともすれば都合の良い人材になってしまうんだよ。


「リタさんが来ていただいて、うちは本当に助かっているんです」

「そうだ、どうか受け取ってくれ。せめてこの金貨だけでも」


 父さんはボーナスを提示したが、それでも首を立てに振らないリタさん。これは困ったな。ちょっと助け船を出そうか。


「じゃあさ、リタさん。新年の贈り物をぼくらから贈るよ」

「贈り物……かい?」

「そう、今までの感謝を受け取って欲しいんだ」


 お金、というものは便利で魅力的だが時に生々しくなってしまう。リタさんみたいな人にはこんな形の方がいいだろう。


「贈り物……それなら……ええ、ありがとうございます」

「ありがとうリタさん。楽しみにしててね」




「ルカ、さっきは助かったわ。リタさんはいい人だけど、頑固なところがあるからどうしようかと思っちゃった」

「うん、だけど何をあげればいいのかな?」


 女の人、しかもそれなりの歳を重ねた女性へのプレゼントなんてイマイチ思いつかない。


「それなら母さんにまかせてちょうだい」

「そっか、それが一番いいね」


 メインの贈り物は母さんにまかせるけど、俺からも何か贈りたいな。だけどお金なんてないから……。そうだ、お花にしよう。それならそこら中に咲いているし。なんならお世話になっているみんなにあげよう。喜んでくれるかな?




*****




 ――祭りの当日。ユッテは宿に顔を出した。しかも朝早くからだ。


「店は休むんだろ? どうしたの……って」


 ユッテがスカートを履いている。これを見せたかったようだ。かごにいっぱいの花束を持ち、明るい赤のスカートに真っ白なスカーフを髪に巻いて……。


「――まるで女の子じゃないか!」

「はじめから女だよ!」


 ユッテの蹴りが俺の尻に綺麗に決まった。痛てててっ。


「ごめんごめん……あっ、ちょっと待ってて!」


 俺は屋根裏の自室に駆け上がった。昨日のうちに用意して、たらいの水に差しておいた花を一輪手にする。


「ほら、ユッテ。これ君に。いつもありがとうね」

「えっ!? あ……あたしに?」

「そう。ぼくからの気持ち。受け取ってくれる?」

「あ……ありがとう……」


 ユッテはその花を髪に挿すと、にっこり笑って出かけていった。喜んで貰えたみたいだ。さて次は家族のみんなに。


「母さん、ソフィー。ほらお花だよ」

「あらあら……ありがとう」

「んふふ。きれー……おにいちゃんありがとう」


 母さんとソフィーも髪に花を挿した。うん、よく似合っている。


「はい、父さんも」

「俺にもか? ……ありがとう」


 さすがに父さんは髪には挿さなかった。クリーム色の小さな名前も知らない花は、絶望的に父さんに似合っていない。ただ、くるくると手元で回すと大事そうに懐にしまい込んだ。




「おはよう、ルカ君」

「よう、坊主。おはようさん」


 エリアスたちも朝食に降りてきた。俺は常連さんたちにも花を配る。


「わー。ルカ君ありがとう」

「ありがとう」


 カルラとヘルミーネも髪に花を飾る。


「はい、エリアスお兄ちゃん」

「えっ!? 僕も?」

「うん、いつもお世話になってるからね。ありがとう」

「うーん……へへへ……どう? 似合うかな?」


 耳の横に花を差すエリアス。妙に似合っていてコメントしづらい。


「レオポルトお兄ちゃんも! はい!」

「お、俺!?」

「……私が差してやろう」


 レオポルトの刈り上げた髪のてっぺんにヘルミーネが花を差した。生け花みたいだ。


「ぷっ……。それはさすがに可笑しいよ」

「あははははは」


 食堂に明るい笑い声が響いた。さて、次はクラスメイトたちだ。今日は忙しいぞ。俺は手伝いもそこそこに家を飛び出した。

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