12話 繋いだ手と手
「ごくっ……ごくっ……ごくっ……ハァ……」
ギルドでの商談の後……抜け殻のようになった父さんは、家に帰り着くなりエールを煽った。ああ……一応、営業時間内なんですが。今日くらいはいいか……父さんの石化が解けるなら。
「父さん、お疲れ様……」
本当にお疲れ様。散々振り回しました。母さんが心配そうに駆け寄ってきた。
「マクシミリアン、どうしたの? 大丈夫?」
「ああ……なんとか商人ギルドの許可を貰えた」
「まぁ! 良かったわ!」
母さんは嬉しそうに父さんをハグする。ようやく父さんの目に光が戻った。うん、父さんのアフターケアは母さんお願いね。
さて、明日にはユッテに報告して早速営業開始だ。最初はこぢんまり、負担にならない程度に始めよう。
*****
「これ、使えるかな……あ、あと椅子もあった! 父さーん」
ほこりにまみれながら使えそうなものを探す。父さんに手伝って貰い、屋根裏部屋の空き部屋に押し込んである使わない小机や椅子を階下に運んだ。食堂の階段横のスペースが仮の店舗スペースだ。
「ユッテ、ここで店を広げようと思う。商品は何を持ってきた?」
「最初だからとりあえず良く売れる傷薬と包帯に、魔力回復薬。……あとは干し肉とビスケット」
「ふんふん……で、この傷薬はいくらで売ってる?」
「ひとつで銀貨1枚だな」
ノートに品目と数量、それから値段を書き付ける。商品を並べ終えると、用意した木札をユッテに渡した。
「ユッテ。これに値段を書き込んで商品の前に置く」
「なんでそんなことを?」
「商品の値段が分かればいちいち聞かなくてすむだろう?」
「それなら聞いてくれたらちゃんと教えるよ」
「それがめんどくさいんだよ」
少なくとも俺はめんどくさい。買い物はストレスフリーでいきたいものだ。セルフサービスとまでは行かなくても値札くらいはね。
「値段は市場より高くていい。――でも
「なるほど。こっちで買ったほうが得って訳だ」
「その通り。ユッテは話が早いな」
スラムを一人で生き抜いてきたたくましさは伊達じゃない。頭の回転も早かった。俺たちは即席の店舗を作りあげて『各種必要品の販売はじめました。ご利用ください』と書いた看板を掲げた。さあ、開店。コンビニ至近、徒歩1秒の宿屋の誕生だ。
「どうしたんだ、これは?」
「あのね、ここで
さっそく寄ってきたのはレオポルトだ。
「こないだ騒いでいたのはこれか……」
「そう、これならレオポルトお兄ちゃんも怒られないでしょ」
「あのなぁ、そんなに毎回忘れ物をしてる訳じゃ……と、ここに書いてあるのはなんだ?」
「これは商品の値段だよ」
「……ちょっと高くないか?」
そうです。ちょっと高くしてます。だってここには競合相手がいないからね。
「だけど
ユッテがセールストークを始める。押しつけがましくない絶妙な加減だ。結局レオポルトは今は大丈夫、と買わなかったがはじめはそれでいい。俺は夕食の給仕をしながら様子をうかがっていたが、その後……物珍しさからか薬品と干し肉がいくつか売れていた。
「まぁ、ぼちぼちってとこかな」
「最初だしね」
「でも、ブラブラしているより足しになったよ」
「ならよかった」
俺は店じまいを手伝う。残った在庫は持って帰るのも面倒だろうからうちに置いていって貰った。
*****
宿の片隅でユッテの開く売店は、数日をかけて少しずつお客さんたちに浸透していった。お客がいない時間には、俺はユッテに字や計算を教えて過ごした。
――今のところ概ねうまく行っていると言っていいだろう。ただ、誤算もある。うれしい誤算だったけれどね。
本当に入り用で買うお客さんの他に……いっぺんにまとめて揃うから、と買ってくれるお客さんも出てきたのだ。値札がついているのも良かったと思う。やっぱり買い物は便利でなきゃ。
「お疲れ、ユッテ。もう馴れた?」
「うん。ちょっと品物も増やしてみようかな」
「そうだね。品物の種類はユッテに任せるよ。君が一番詳しいんだから」
お客さんもあらかた引けた日の終わりに売り上げの集計をして、今後の相談をするのが日課になっていた。そんな俺たちに母さんが声をかける。
「ユッテちゃん、もう遅いから泊まっていったら?」
「え? そんな迷惑かけられません」
「でもあなた女の子なのよ? なにかあったら怖いわ。ほら」
「あたしなら馴れていますし大丈夫です」
外は街灯も無いから真っ暗だ。今までこんな夜道をスラムまで歩かせていたのか。これは配慮が足りなかった。母さんは、有無を言わさずご丁寧に荷物をユッテの手から取り上げて、絶対に逃がさない構えだ。
「返してください。本当に平気ですから」
「はいはい。ほら夕食の用意が出来てますからね。早くしないと冷めちゃうわ」
こうなったら母さんはテコでも動かない。
「ユッテ。観念しなよ。今日はうちに泊まりな」
「でも……」
「ぼく、母さんに怒られるの嫌だからな。ほら、行こう」
席に着かされたユッテは居心地悪そうにしていたが、かまうもんか。夕食はいつも軽め。残りもののスープにパンだ。そんなに恐縮することは無い。夕食を囲みながら母さんはユッテに話しかけた。
「ユッテちゃんはいつから
「ここ一年くらいです。スラムの仲間に誘われて」
「そう。大変ね……」
「なんとか食べていけますから。――それまでは大変だったんです」
ユッテの身の上。孤児というのは聞いていたが詳しいことは聞いていなかった。なんとなく触れ辛かったし……。なんでも、ユッテは5歳で両親が病気で亡くなり、遠い親戚の居るヘーレベルクに来たのだという。
「その親戚の方はどうしたの?」
「さあ……もう探していないと思います。最初から厄介者だったんで」
ユッテは預けられた親戚の元からスラムへ逃げ出した。……逃げたくなるような環境だったということだ。
夕食を終えて、俺とソフィーとユッテとで、同じベッドでぎゅぎゅう詰めになって横になる。お泊まり会なんて経験のないソフィーは楽しそうだ。
「ユッテおねえちゃんー。なにかおはなしして?」
「いいぞ、なにがいい?」
「あのね、おひめさまがでてくるおはなし」
「そうだな……昔々あるところに……」
馴れた様子でおとぎ話を語り出すユッテ。スラムの子供たちの間でもこんな風に夜を過ごすのだろうか。やがてソフィーが眠りに落ちると、彼女はこちらを向いた。
「なんか……世話になって本当に悪いな」
「ううん。こっちこそ、今まで気づかなくてごめん」
「いいや、別に……ルカ、ありがとう」
おやすみ。ユッテ。
彼女が眠るのを確かめて、俺も目をつむる。――ドサリと、屋根に残った最後の雪の落ちる音がした。
それから仕事帰りには父さんがユッテを家まで送り届けるようになった。うちの父さんを夜道で襲うバカはそうそういないだろうしね。父さんとユッテはなかなか気が合うみたいだ。あの子は根性がある、なんて言っている。父さんの判断基準はそんなのばっかりだな。
帰途につくユッテの後ろ姿。
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