8話 少年の決意
大工さんに依頼した見積もりが上がってきた。
「はあぁ……金貨100枚……」
母さんがぐんにゃりとテーブルにうつ伏せた。スライムみたいだ。見たことないけど。
「母さん、それは全面改装した場合だろ?」
「だぁあってぇ……ピカピカのキッチン……」
「……だったら、獣舎を作らないか?」
「父さんまで!!」
駄目だこりゃ。暴走しがちな両親は放っておこう。大体
「やっぱ、最低限の補修になるか……」
「ソフィー、わかるよ! これでしょ!」
ソフィーが引っ張り出したのは、最低限の補修に留めた見積もり書だ。そうそう、これ。客室全10部屋計20枚の窓、一階食堂の窓6枚に大窓が1枚。これを新しいものにして、あちこち空いている壁の穴を補修して、計金貨10枚。
「100万ゲルトかぁ……これなら手が届く気がするなぁ」
「手持ちは30万ゲルトくらいだぞ」
「頭金をはらって、残りを秋までに稼げばいけるんじゃない」
ようやく正気になった母さんと父さんが戻ってきた。良かった。あんまり現実味の無い数字見ちゃうとちょっとどうかしちゃうよね。
「頭金、てことはツケがきくってこと?」
「どこでそんな言葉覚えてきたんだ。……まぁ、全面改装分をツケにしてくれといったら無理だろうが、窓の補修くらいなら融通が利くと思う。なんせこの家を建てた大工の親方に頼んだからな」
「え、それって相当おじいちゃんなんじゃ……」
「さすがに息子の代になってるけどな。ご本人は存命だよ」
自分の建てた家のことだから、と見積もり自体もこれでも勉強してくれたらしい。持つべきものは人の縁だ。縁、という単語で思い出した。
「タージェラさんの置いていった金貨があったでしょ?」
「ああ、あいつには借りができた」
あいつ呼ばわり。相当気が合ったんだな。あぁ……母さんの機嫌が……。
「その分、一階の大窓を立派なものにしない?」
一階の大窓は表通りに面していて、宿の顔と言っていい。なのにうちの窓は閉めれば隙間が空き、開ければ斜めにかしいでいる。これを見た目のいいものにするのは投資になるのじゃないか。
「……! いいわね!綺麗な窓に花を飾りたいわ」
ピカピカのキッチンを諦めた母さんが乗ってきた。いいぞいいぞ。それに花か。女性の発想だな。俺からは出てこなかった。
「おはな?おはなをうえるの?」
ソフィー、おまえも女の子だな。最近は猛獣に興味を示していたりしたので、兄としては少し心配だった。
結局、改装は補修に留めて一階の大窓をグレードアップするということで再度見積もりを出して貰うことになった。どんな窓にするかは見積もりを頼みに行く時に大工さんに相談するつもりだ。
*****
「ふむふむ、窓の補修と壁の穴埋めね。まぁ妥当な判断だ」
翌日、父さんと俺はさっそく大工さんの工場に足を運んだ。ちょっと予算に不安はあるけど、待ちきれないじゃないか。母さんも来たがっていたが宿をソフィーだけに任せるわけにはいかないので残って貰った。大いに暴走しそうだから、というのもなくはない。
親方のバスチャンさんが工場の奥に俺たちを案内する。
「この大窓の取り替えはどうしようか、いま流行りのデザインだとこんなもんだけど」
見せてくれたのは木窓の金属の留め金が流線型にはまっているものだった。蔦や花、小鳥、透かしの幾何学模様など色々なデザインがある。
「予算内だとこのへんかな」
たくさんある窓板の中からバスチャンさんが取り出したのはそれより少しシンプルなもの。うーん、悪くは無いけど……こう、ピンとはこないなぁ……。
次々に見せられる窓を見比べながら俺と父さんがうんうん唸っていると、表から老人が姿を現した。
「おお、マクシミリアンじゃねぇか。来てるなら声をかけてくれよ」
「イェルター親方……いや、ご隠居」
「よせよ、一気に老け込んだ気がするぜ」
いや、あなた立派な老人ですよ。しかし、イェルター老は背筋もしゃんとして眼光は鋭く、今も現役の職人といった風体だった。
「バスチャン、あれを見せてやれ。今作ってるヤツだ」
「えっ、あれを? 予算こえちゃいますよ」
「いいから早く持ってこい」
ちょっと不満そうなバスチャンさんが、工場のさらに奥から1枚の窓板を持ってきた。それは流線型の百合の紋章の金具で留められ、優雅な薔薇の彫刻のしてあるものだった。
「わぁ! すごい。立派な窓だね」
「どうだ、マクシミリアン。これはある商家から頼まれたものだが、あの家にはこのくらいの窓があったっていいだろ」
「……これ」
父さんは薔薇の彫刻を指した。
「この薔薇を星の彫刻にできないか? ……金具はもっと簡素でいい」
「父さん!」
「親父!! ちょっと待った!」
「星……『金の星』か……いい趣味してるじゃねぇか。もちろん出来るぜ」
イェルター老は息子の言葉を無視して胸を叩いた。父さんも当然の様に俺の声をスルーして、窓のサイズや工程について相談しはじめた。あぁ、もう!!
「……全部で金貨20枚。これ以上はまかりませんからね」
若干、顔色の悪いバスチャンさんが最終見積もりをだした。大幅な予算オーバーだ。
「すまないな」
「いえ、じゃんじゃん稼いで残りの改修も出来るようにしてください。そしてうちに発注してください」
「ああ、そうする」
工程については、うちは冬までになんとかできればいいのと、かなり無茶な注文を受けてもらったことから、バスチャンさんの手の空いた時に空き部屋からゆっくりはじめることになった。幸い部屋はいっぱい空いてるぜ。くすん。
「父さん」
「なんだ、ルカ」
「母さんに怒られるのは父さんがやってね」
「うむ……」
「あと、稼がなきゃね……母さんに手鏡貸して貰ったら?」
「ん? なんでだ?」
「父さんの営業スマイルの練習だよ」
「う……努力する……」
宿に戻った俺たちは、案の定母さんに怒られた。再見積もりを頼みにいったら勝手な注文して帰ってきたんだ、そりゃ怒るよな。ちなみに父さんは防波堤としてはあまり機能しなかった。ちくしょう。
「ルカ、あなたがついていてなんでこんなことになったのよ」
うう、6歳の子供に期待しすぎだよ。途中から何言っても無駄だったもん。俺はそう弁解しながら新しい窓のデザインについて説明した。
「この窓に星の彫刻……その前にとりどりの季節の花……」
あー、母さんもトリップしてしまった。まぁ気がそれたからいいか。それよりこれからのことを考えなくちゃ。出来れば無借金経営がしたかったげど、改修費のツケは出来るだけ早めに払いたい。まずは空室を埋める努力が必要だな。
*****
その夜、俺がトイレに目を覚ますと母さんが寝間着で居間に座っていた。
「どうしたの、母さん」
「ああ、ルカ……ちょっときて」
「なになに……え?」
母さんに手を引かれて寝室をドアの影から除くと……そこには母さんの手鏡を持って口の端を引き上げている父さんがいた。
「急に手鏡を貸してくれって言って、ずっとあんなことしてるの」
「ごめん……母さん、あれはぼくのせいだ……」
父さんの引きつった笑顔は下から光石に照らされて……完全にホラーだった。正直ちょっとちびりそうになった。絶対に明日やめさせよう。俺はそう決意した。
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