2話 少年、現状を認識する(前編)

 ――日も暮れて、夕食時になると階下はにわかに騒がしくなった。泊まり客達が宿に戻ってきたのだろう。


 『金の星亭うち』の主な客は、冒険者だ。このヘーレベルクには、市壁のすぐ外の迷宮ダンジョンを目当てに沢山の冒険者が訪れるが、うちの宿賃が他より安いだけあって、まだ稼ぎの少ない初心者だったり、ごろつき一歩手前のようなうだつの上がらない連中が集う。


 今頃は迷宮ダンジョンより帰還した冒険者達で一階の食堂兼酒場は賑わっているのだろう。正直、もう体はなんともないので下で手伝いでもした方がいいのではないか……そんな風に考えていると、コンコン、とノックの後に妹のソフィーが顔をだした。


「おにいちゃん、これかあさんがもっていけって」


 盆に乗せられたスープとパンを渡される。


「ありがとう。人手は足りてる?」

「おにいちゃん。きょうはじっとしてないとだめ」


 4歳児に怒られてしまった。ソフィーは女の子らしい感じだが怒ると怖い。やれやれここは大人しく言うことをきくか。


 スープには細切れの野菜と肉が浮かんでいる。俺は日持ちするよう固く焼いたパンをひたしながら食べる。特に病み上がりだから、というわけでもなくこれがクリューガー家の普通の食事だ。


 ……というか客もだいたい同じものを食べている。他に欲しけりゃ屋台でもなんでもどこかで買ってくるなり、別の料理屋に行くかしてくれ、という訳だ。


 肝心のお味の方は、というと俺からするとあまり美味いものではない。肉の臭みだろうか独特の後味のスープに味気ない固いパン。正直○ックのほうが絶対美味い。それでも腹が減っていたのであっという間に平らげてしまった。


「おにいちゃん、ほんとにもうげんきになったね」

「うん、ぼくも明日からはちゃんと手伝うよ」

「うん!!」


 嬉しそうに、空になった食器を持ってソフィーは去って行った。


 俺は明日からの事を考える。ベッドにごろりと横になりながらルカの記憶をたどるが、6歳児の現状認識でもうちの宿があまり良い経営状態……とは言えないのは分かってしまっていた。


 よその宿の事はあまり知らないが、ちょうど隣も同じように冒険者相手の宿屋を経営しており、うちの泊まり賃はそこより安い。そうでもしないと客が入らないのだ。




 まずは俺自ら、現状をキチンと把握することが必要だ。俺の目で、この宿の窮状をなんとかする為には何が原因で、どう改善すべきかを見定めなくてはならないだろう。




*****




 ――翌朝、俺は箒を持って宿の玄関先に出た。塵や落ち葉を掃き集めながら、我が家を見上げる。一階は石造り、二階と屋根裏までは木造と漆喰でできており、屋根は赤茶色の瓦葺き。周りの家々と比べると同じような作りをしているが、しっかりとした建物だ。

 

「だけど、これはちょっと手入れしないとなぁ」


 所々、漆喰がはげたりしていて、そのせいで全体に古びて安っぽく見える。補修に回す余裕がないのだろう。内装も同様だ。一階は食堂兼酒場になっており、そこも窓はあちこち隙間風が入り込みそうだったり、壁が傷んだりしていた。


 二階の客室はまだ確認していないがそれも似たような所だろう。客室は2人部屋が4部屋、4人部屋が4部屋、8人ほどが泊まれる大部屋が2部屋あるはず。客室の数は多いのだが……。


「よし、こんなもんかな」


 俺は掃き掃除を切り上げると、中に戻ろうとした。


「おや、ルカ。もう身体はいいのかい? 寝込んだってきいたけど」


 不意に話しかけられて振り替えると、お隣の『剣と穂先亭』のウェーバーのおばさんがいた。おばさんって言っても実質お婆さんだ。――いや、あるでしょ、そう言う事って……。


「あ、はい! だけどもうすっかり良くなりました」


 俺はクルリ、と箒を頭の上で回して見せる。


「ははは。元気そうじゃないか。じゃあこれは無駄になっちまったかね」


 そう言うと、ウェーバーのおばさんは手に持っていたバスケットをプラプラと揺らす。


「なんですか?」

「ルカ、あんたへの見舞いさ! 坊やの好きなイチジクのケーキを焼いたんだがね」

「え! あ……すみません」

「なあに、こりゃ全快祝いにすりゃいいだけだよ」

「あ、ありがとうございます」


 彼女はニヤリと笑って、バスケットを差し出した。


「一人じめしてお腹壊すんじゃないよ」

「しないよ! ちゃんとソフィーと分けますよ。女は怒らすと怖いんです」

「子供のくせに解っているじゃないか」


 ウェーバーのおばさんはカカカ、と笑いながら去っていった。女だてらに宿屋を切り盛りする女傑は朝からハイテンションだ。




「母さん、これお隣から。ぼくの見舞いだってさ」


 食堂に戻ると、朝食に降りてきた宿泊客でごった返していた。俺は厨房に顔を出してバスケットを母さんに渡した。


「あらあら、今度お礼をしないと」

「これ、運ぶね」


 皿に盛られたスープとパンを食堂へ運ぶ。本当なら昔ファミレスバイトでならした華麗なサーブを披露したいところだが、今の俺はおチビなので一つずつしか運べない。


「坊主! こっちにひとつだ」

「パンの追加を頼む!」


 次々とテーブルからかかる声に答えて厨房と行ったり来たりを繰り返す。


「お待たせしました、どうぞ」

「ありがとう、坊や。もうすっかり元気みたいだね」


 見ると、昨日の魔術士の少年がパーティメンバーとともにテーブルを囲んでいた。


「心配かけました。あと……ありがとうございます」

「いや、いいんだよ。大体、あれが効いたのか微妙なとこだし」

「……微妙?」

「うん、確かに熱は出ていたけど、それ以外の症状はなかった。結局の原因はわからないままだよ」


 まだまだだな、と呟いて少年は柔和な顔を曇らせた。なんだか気を使わせてしまったみたいだ。よし、話をそらそう。


「ぼくが言うのもなんだけど、子供が熱を出すなんてよくあるだし……今日は迷宮ダンジョンに行くんですか?」

「いや、色々足りないものが出てきたんで買い出しに出ようかと」

「今日は10日に一度の市も立ちますしね」


 へぇぇ、と少年のパーティメンバーから声が漏れる。よし、和やかな空気になったぞ。


「そうなんだ? 掘り出し物があればいいけど……」

「坊主は小さいのにしっかりしてるなぁ」


 一番年かさの薄茶の髪の剣士が感心したように言った。まぁ、中身は三十路のおっさんだからね。意識して子供らしく喋ろうと、さっきから頑張ってはいるんだが……。


 その時、斜め向かいのテーブルからデカい声が響いた。


「けっ……掘り出し物なんて甘い甘い。ヒヨッコは尻の毛までむしられるのがオチさ」


 おいおい、俺がせっかく醸し出したホンワカムードが台無しじゃないか!ほらほら、こっちの初心者パーティが剣呑な雰囲気になっちまったぞ、どーすんだ。


「なんだって? 誰がヒヨッコだって?」


 案の定、さっきの剣士が喧嘩腰で答える。


「おやおや、こっちはアドバイスしてやってんだぜぇ?」


 あー、そういうのはうちじゃなくて冒険者ギルドでやってください。


「へえ、そういうアドバイスができるって事は、あんたは尻の毛までむしられたクチか」

「なんだって!?」


 うわーん。泣いちゃおうかな。いいよね、泣いても。6歳児だし。そんな一触即発の空気の中、声が響いた。


「そこまでにしてもらおうか」


 ……父さん!居たんだ!じゃなくて、助かった!


「若いもんを朝っぱらからからかうのは止せ、ゲルハルト」

「なんだよぉ、マクシミリアン。こいつらの味方か?」

「こいつらが市場でボられようがなんだろうが、それも経験だ」

「そりゃ……そうなんだがな」


 厳つい父さんが出てきて、絡んできたおっさんは大人しくなった。


 ちなみにどのくらい父さんが厳ついかというと……背丈は周りより頭ひとつ上背があって、しっかりと筋肉がついたがっしりとした体型。顔には左頬から斜めに傷が走っており、おまけに左手首から先は無く鉤爪の義手がついている。――うん、自分の父さんじゃなかったら避けて通るね。


「そろそろ、うちも朝飯だ。チビ達が腹を減らしてるからな」

「しょうがねぇな、俺はもう行くぜ。おまえらも、ちんたら食ってないで市場にでもなんでも早く行ったほうがいいぜ。こいつはおっかないからな」


 おっさんが迷宮ダンジョンに向かうのか荷物を持って出ていくとようやく場が緩んだ。


「騒いですみませんでした」

「すみませんでした」


 おっかないという捨て台詞に反応した訳ではないだろうが、初心者パーティ一行が口々に謝罪する。


「別に……よくあることだ。いちいち反応してたら持たないぞ」

「はい……」


 それだけ言うと父さんは厨房にひっこんでいった。


「しぶい……」

「おやっさんカッコいい……」


 息子としては概ね同意だけど、なんかフラグみたいの立ってますが放置ですか。まぁ回収したら軽蔑するけどね!

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