知ってるかもしれない、けれど

「……あの……ええと……どうしようかな」


 空は、あきらかに戸惑っていた。

 両親の喧嘩に対してもそうだろうし、自身がこのような状況で何か言い出す、ということに対しても、戸惑いを覚えているのだろう。


 それだけなにか、彼女にとって特殊な状況だということだ。


「……とりあえず、母さん、父さん、やめなよ。人前でさ。このひとたちだってみんな事件を解決するために……春のことだって助けようとしてくれてるんだからさ……みっともないよ。やめてよ」


 瑠璃は数秒間、娘の顔をじっと見たあと、息をついて咲良から手を離した。細く、とても長い息だった。生き疲れた老女、あるいは打ち上げられた鯨が生を諦めるときのような――ありきたりでいて、どこか独特な深みの感じられる、息だった。


 咲良はそのような瑠璃を、責めもしない。かといって優しく語りかけたりもしない。じっと見て、様子をうかがっているのみだ――喧嘩をしている人間の様子には見えなかった。……喧嘩しているつもりなのは、いつも、瑠璃のほうなのかもしれない。


 瑠璃は疲労しきった様子で、咲良は何事もなかったかのように、元の席に収まった。

 空は――気まずそうに、あるいは、初めての発表会に臨む小さな女の子のように、両手の拳を握って、差し迫った表情でうつむいていた。


「……なんで春がこんなことになってるのか。わかんないって。……父さんも母さんも、言ってたけど」


 空は、言葉を切る。唾を呑み込むかのようなが、つくり出される。


「……あたしはそれを知ってるかもしれない。全部じゃないよ。ちょっとだけ……本当に、ちょっとだけ。どうしてあいつが、仕事休んで、第三公立公園なんかに行ったのか。……いきなりペットを飼い始めたのか……。動機、って言えばいいのかな。でも……それは、どこまで大事なことなのかな? あいつの……気持ちを無視してでも……言ったほうがいいことなのかな? ……あたしがそれを言うことに……意味は……ありますか?」


 最後の一言だけは丁寧語で、咲良と瑠璃だけではない、寿仁亜たちにも向けられていて――空の言葉はすべて、最初から、身内と対策本部どちらにも向かっていたのだろう。


 意味など、――もちろん、ある。

 言ってほしい。……伝えてほしい。

 わずかな情報が手がかりにつながる、情報の打破につながる――情報というのは不利なほうにとってはより価値が増し、だからこそ、……些細なことでも充分すぎるほどの価値が出る。


 それは寿仁亜の……公園事件全体を解決したい人間の、当然の感情であり、当然の論理だった。


 だがそれはもちろん、当事者の家族にとって当然の感情でも、当然の論理でもない。

 だからこそ、……取り扱いには注意しなければならない。


 せっかく、提供しようとしてくれている情報を、くれぐれも逃さないように。

 きちんと、捕まえて。しかも不快にさせないように――信頼関係を崩さないように。


 寿仁亜はそうやって考え込んでいたが――実際の時間に換算したらそう長くはない時間のうちに、瑠璃が先に口を開いた。


「……春のことならなんでも教えて。空、あなたは春のお姉ちゃんでしょう。何かを知ってるのなら……家族なら、みんなで共有して解決していくのは、当たり前よ。……私たちはいつもそうやって解決してきたでしょう?」


 そうかな――と言いたげに空の顔がゆがむのを、寿仁亜は、見逃さなかった。


「……動機がわかったところで、母さんは気持ちが収まるのかな。それに」


 空は困ったように、しかしなぜなのか――少し殺気のようなものさえ感じさせる瞳で、母親を、上目遣いで見つめた。


「……母さんにわかることではないかもよ。あたしにだって……正直……わからなかったんだもん」


 空は、やはり困っているようだった――弟と、心の底からわかりあうだなんて。そんな事実、心底最初から信じてないよ――まるでそんな風に言いたげな、困り方だった。

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