役目を果たすために

 事件解決と春の安全が、いかに直結しているか。そのために、内部空間の記録がいかに必要か。

 寿仁亜は、説明した。瑠璃と空にもわかるように、努めて。たとえ確証がなくとも。保障はできなくとも。


 いま、下手に倫理監査局に通報などされてしまっては、面倒だ――通報があれば倫理監査局はかならず動く。

 どうにかここで納得してもらいたい。


 顔をしかめて聞いていた瑠璃は、説明が一段落すると、娘を見て表情で何か問いかけた。空も似たように顔をしかめて、首を横に振る。

 ふたりは、特に瑠璃は、混乱しているようだった。

 そして瑠璃は、懐からスマホ型デバイスを取り出した。


「私には……よくわからないので……主人に訊きます」


 ……「主人」とは、またどうにもオールディな言葉が出てきたものだが。


 瑠璃はメッセンジャーアプリで、何やらメッセージを送信したようだった。すぐに返信音が鳴る。そして少しの間を空けて、もう一度返信音が鳴った。


「父さん、なんて?」

「……いいんじゃないか、って。現場の人たちの判断だから。優先したほうがいいんじゃないかって――」


 瑠璃は疑わし気に、冴木教授と寿仁亜を交互に見た。


「でも……春の安全は……」

「知りたきゃ取引しろっつっただろ」

「取引と言ったって……」


 取引、具体的に何をするかは決まっていないが、しかし、ないよりはあったほうがいい。――無償で教えてしまうには、情報は価値がありすぎる。瑠璃たちの戸惑いもわかるが、……対価を求めるのは自然なことだった。


「それも訊いてみます……」


 瑠璃は、メッセージを作り始めたようだった。先程のメッセージと違い、時間がかかっている。


「……そんじゃ、俺はもう戻る。公園全体の映像化のプログラムのほうでいいんだな」


 冴木教授は右肩を回して、ゴキゴキと鳴らした。

 寿仁亜は、理をはじめ、ここにいる対策本部のメンバー全員の表情を確認した後、冴木教授に向き直った。


「……はい。レコードを、作るために」

「わかった。もう仕上がりかけてるから、すぐにできんぞ」

「そうですか」


 さすがです、先生……と、寿仁亜は心のなかだけでつぶやいた。どうしても、心のなかでは感嘆してしまう、……直接伝えるのが畏れ多いくらいに、ダイレクトに賞賛してしまう。


「ところで……みんなは、どうしていますか?」

「金出佐も木枯もジェシカも、犯人たちからの攻撃をブロックするプログラムを組んでるらしいな。新しい方法で、新しいプログラムだってよ」


 外に漏れてはならない情報が増えてきたいま、妥当な判断だと言えた。……指揮権をもつ自分から見ても、そのまま続けてもらって、構わない。


「おまえにもプログラムもやってほしいんだが……お客さんの対応もしなきゃなんねえしな」

「このまま、対応させていただきます」


 日常の範囲ならばとにかく、超優秀者の基準範囲では。

 プログラムを新規に作成するとき自分にはあまりできることがないと、寿仁亜は知っている――寿仁亜の持っている能力は、あくまで俯瞰能力。

 他の王たちが余程方向性の違うことをしていたら修正するが、――いまは、その必要もなさそうだ。



 厄介なお客人に対応できるのは、素子と寿仁亜。

 ひたすら相手を丁重にもてなしたいのなら素子のほうが適任だし、――なんらか交渉をするのであれば、一国の王に憧れる寿仁亜が適任だ。



「レコードか、なんて名前にするかな……ゴールデンレコードか? アカシックレコードなんざふざけすぎか――」


 冴木教授は、つぶやきながら部屋を出ていった。

 これから、プログラミングの続きをするのだろう。相互に連絡の取れるメッセンジャーを、内部の映像記録ツールに変えて。

 手伝いたい――プログラミングの面で。……しかし、本気のモードの冴木銀次郎をだれも手伝えないことは、自明だった。自分も、弟子たちも。

 冴木銀次郎の恐ろしさは類まれなる創造性にある。

 プログラムが仕上がった後や、既存のプログラムの応用だったら、手伝うことができる。その能力は、銀次郎も「王」と呼んで認めてくれているところで。

 しかし、彼の創造性そのものには――タッチできない。


「……自分たちも一回戻らせていただきます。考えることが、いっぱいありすぎて」

「そうだね。依城先生、ありがとうございました。事態はやばそうですけど……相談できてよかったです、私、完全にパニックになっちゃってまして……お恥ずかしい」

「いえいえ」


 寿仁亜は笑って言った。てるるも、ほっとしたように笑う。


「そうだ、レコードの名前、決めよっか。冴木先生の言ってたゴールデンっていうのもかっこいいし、アカシック? ってどういう意味だろ? 検索しよ――」

「……大屋さん、楽しんでない?」


 理とてるるはお辞儀をして、あえるはてるるに話しかけながらも頭で軽く会釈をして去っていった。寧寧々と可那利亜も軽く手を上げて、部屋を出ていく。



 みなが、自分たちの役目を果たすために。



 応接室は、静けさを取り戻した。

 残ったのは、寿仁亜、素子、瑠璃、空。

 瑠璃はメッセージを送っている。


「素子さん、どうですか、座られたら」

「いえいえ、そんなー」

「どうせソファはがら空きですよ。座ってもらえたほうが、僕も助かります」

「それでは、お言葉に甘えてー」


 寿仁亜と素子はソファに座る。

 瑠璃はメッセージを送っている。



 瑠璃は、来栖咲良にメッセージを送り続けている。

 送り続けている。



 ……急に埃の存在を感じる。日頃から掃除のきちんとされている部屋だ。そこまで汚いわけではない。

 しかし、ソファや床についたちょっとした埃が、気になる。



 静けさが――そこまで冴えて、戻ってきている。瑠璃が画面をタップする音は、たしかに響いているのに。――そしてこの静けさが動き出すときが、事態がまた動き出すときだと寿仁亜は承知していた。

 小休憩、寿仁亜がそう思うとほぼ同時に、素子は立ち上がった。飲み物を淹れに行くのだろう。……とまった時間が、わずかのあいだだろうが、始まった。



 はたして、その時間は本当にわずかだったのだが――。

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