説得
とはいえ。
そんな倫理観を、いますぐに専門家たちに求めるのは、無茶だった。
優秀者のなかでは自分はレアケースであることを、寿仁亜は理解している。普通は、自分よりも優秀でない者に対する倫理観など、たとえば家族や恋人などスペシャルに親しい関係でなければ、本当にどうでもいいはずだ。
理も、そこに関してあまりピンときていないようだった――しかし空の不穏な雰囲気を感じとり、一応は相対する人間への礼儀というものがあるのだろう、空に向かって直立不動で話をする。
「……事件全体の迅速な解決のためにも、公園全体の映像を記録することが必要です」
「そこに何が映し出されているかもわからないのに? 死体が転がっているかもしれないのに? ――死体の姿を後世に残すっていうんですか?」
……何が起こっているのか、空が見たら。
瑠璃が見たら――卒倒してしまうかもしれない。
……あんなに。ひどい目に。
悲惨な目に遭っている春を見ては――。
なかなか納得しない頑固なところは、母親と似ている。
実際、瑠璃は隣でうんうんと、首がもげそうなほど頷いていた。
理は言葉に困っている。
その隙を突くように、今度は瑠璃が言葉を上げた。
「だいたい、これまで内部の映像がわからなかったのに、急にわかるんですか?」
「俺ぁな」
冴木教授が頭を掻きながら、ふいに言い出した。
「こっちから来栖……ややこしいな……来栖春のほうにコネクトするために、ずっとプログラム組んでんだよ。相互のメッセンジャー機能を作ろうかと思ってたが、……まあ映像で映し出すものを作ってやってもいいだろう。まだいまなら応用がきく」
「冴木先生。つまりは――」
「どっちも大きなプログラムだよ。相互にやりとりができるが映像化はできないメッセンジャー機能か、相互性はないが内部を映像化するプログラムか。二択だよ」
「……難しかったのではないですか」
「ああそうだな。……数日ですぐにどっちかは作れねえよ」
冴木教授は、頭をぼりぼりと掻いたが。
寿仁亜は、感嘆していた。驚愕していた。……すごい、やはり冴木銀次郎という天才は、すごい。
これまでのNecoの専門性の感覚では無茶なんじゃないかってことを、実際に成し遂げつつある、ということは実質、成し遂げてしまっているのだから――本当に、いつでも常識を、……塗り替えるひとだ。
……と、いうことは、つまり。
望むなら。公園内部の記録が、取得可能になる――。
しかし、瑠璃は言った。
「被害者たちの安否確認よりも、なかを観察する方が大事だってことですか? 倫理監査局に通報しますよ⁉」
レコードは、必要だ。
学問的に記録するという意味でも、もちろん。もっとも最悪の可能性を考えて、対処しうるのは、記録すること――たとえ自分たちが助からないとしても。
そして、もし最悪の可能性ではなく、犯人たちの攪乱だとしたら。
……レコードは、もっと効くだろう。
なにせ内部空間の手がかりを得ることができるのだ――。
「……それに関しては、空さん。そして瑠璃さん」
寿仁亜はあえて相手の名前を呼んだ。
瑠璃と空がほとんど同時にこちらを振り向く。そののっぺりとした、奇妙な言い方だがどこか冷たい熱気を孕んだ表情に、寿仁亜な一瞬たじろぎそうになった――自分は優秀者のなかでも自覚的に倫理的であるからして決してそのようには彼女たちのことを思わない、心のなかででも、……そうは、呼ばないだろうが、不気味だと――この親子は言われることもあるのかもしれない、と一瞬、一瞬だけ、微弱な電流がはしるようにチラリと、思った。そして……来栖一家もまた、もしかしたら、そうなのかもしれない……。
しかし、たじろいで黙っているわけにもいかない。黙っているわけもない。寿仁亜はそのあたりは、……たぶん、ひとよりも強い。
だから、言う。
王者の余裕だ、と。
ときに本物のキラキラした賞賛をもってして。ときに皮肉めいて。そんな評価すべてを受け入れている、自身の余裕。
身にまとっている余裕を、ひらめかせて――寿仁亜は、言葉を紡ぐのだ。
「春くんの安全のためにも……公園事件の解決のためにも……被害者がみんな、安全に、無事でいられるために」
言葉は、上っ面を滑る。滑れば滑るほど、寿仁亜は調子を取り戻せる。本質なんて語らなくてもいい。重みのある言葉は他の人間に任せればいい。
自分にとって大事なのは、ただ――相手を、説得することだ。
「一方が解決されるというのは即ち、もう一方が解決されるということです――」
詭弁も、キラキラ語れば、説得になる。
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