どうもこうも

 そのときの情景を、空は、不器用で端的な言葉でほんの少し語った。おそらくは、瑠璃に寄り添った言葉で、立場で。



 たとえ家庭内であっても一部の区域を除いてNecoは完璧に映像を記録しているはずだが、この時点ではまだ公園事件との関連で開示請求をするわけにもいかないだろう。

 プライベーティな範囲の映像は保護対象としてのレベルも高く、比較的慎重に開示の判断が行われる。

 旧時代にも似たような文化はあったと寿仁亜は知っている──たとえば、ドライブレコーダー。いつでも記録はされていたはずだが、簡単に利用できるわけではなく、一定の手続きと正当性が必要だった。事件とか、事故とか。……現代でいうNecoの記録やそれに伴う開示請求などの感覚に、ずいぶん近かったのではないかと寿仁亜は考えている。



 その日は空と海もいて、四人で夕食を取っていた。普段はあまり、というかほとんど会話もない、らしいけれども。


 咲良はいつも淡々とした人間であるらしく、だからなのかいつも通り淡々としていたらしい。春なんじゃないのか。そう呟いたきり、それ以上なにか言うこともなく、うつむいてその晩のチキンヒレカツを箸で持ち上げたらしい。

 えっ、と瑠璃が耳の奥までひびくような大声を出して、海がとっさに両手で両耳を塞ぐジェスチャーをする隣で、咲良はあくまで静かに弾かれたように顔を上げた。咲良の目はまんまるで、瑠璃が大声を出したことに、逆に驚いていたように見えたという。


 ――えっ、うそ。 


 瑠璃のその言葉に、咲良はわずかに眼鏡の奥の瞳を揺らして首を傾げたという。瑠璃は、あのねだから、と言葉を続けたのだという。その言葉の響きは、苛々したものではなかった。瑠璃は普段から、咲良に対してびっくりするほど苛々せず、しかし、急かしたり戸惑いを見せることにはためらいがないのだと――彼らの長女、空はやはり端的な言葉で語った。


 ――えっ、だから、春だって、いま。


 そうだろう、と咲良は言ってチキンヒレカツを食することに戻ったらしい。


 ――どうするのよ?


 瑠璃は、咲良に対して戸惑いを見せた。

 咲良は簡潔に、ぼそっと言ったという。


 ――どうもこうも。



「……春を見捨てた、とかじゃなくてですね。不器用なんです。うちの父さんは。なにか考えていたと、思うんですけど」


 ひきこもりだった春を、かばい続けた父親だ。見捨てるとは思えないが。


「でも……口下手だから、父さんは」


 咲良はいつも通り、夜の八時には寝室に行った。

 なにを、どうするとも、こうするとも言わずに。




 瑠璃が、食卓の上にある家庭用タブレットで正式な情報を調べると、やっぱり、来栖春。来栖春、という名前が行方不明者のなかに上がっていた。

 すぐさま、Necoデータベースに情報開示を請求する。ほんとうに、リストに上がっていた来栖春というのは自分たちの家族の来栖春なのか、と。家族の安否確認という緊急性を、理由として。

 しかし、今回のケースはすぐにはお返事できないにゃん、朝九時になるまで待っててね、と可愛い声でネコに言われた。


 役所も夜間や休日は休みたい。休むのも人権だから、社会も必死で公務員の権利を守る。結果、夜間や休日に割ける人材はかなり少なくなっている。

 同時に、市民には知る権利がある。開示請求する権利も、もちろんそのなかに入っている。

 しかし、すべての一般市民に対して逐一対応していたらきりがない。だからこそ旧時代においてはほとんど一律で窓口を閉めていたのだろうが、いまでは優秀者、とくに超優秀者の知る権利というのは非常に重要視されてきた。彼らが夜間でも休日でもいつでもNecoデータベースを開示できることで、人類全体の生産性が上がることが社会の体感と研究により明らかになってきたからだ。


 要は、休む権利と知る権利がぶつかりあう。

 人権どうしがぶつかった場合、まずなによりも優秀性――権利をもつ双方の優秀性を見た上で、より社会効率の上がりそうな選択をする。

 たとえば倫理監査局長やNeco担当大臣が情報開示したいと言えば、いついかなるときでもその権利はかなえられるだろう。たとえ、何百人の休む権利を犠牲にしても。彼らの権利をかなえることによる社会的な有益性は計り知れない――もちろん、かなえなかったことによる損害も含めて。


 優秀性のほかにも、社会性、緊急性、正当性などが加味される。Necoはそれらを数値化して弾き出す――あらゆる事象に対して。

 今回の場合は、広く報道されているという社会性、そしてなにより家族の安否確認という緊急性があるので、受け入れてもらえるかと思ったら――けっして、そうではなかったみたいだった。


 人工知能の判断は、深く、膨大で、計り知れず、家族の安否確認ひとつ満足にとらせてはくれないケースを、多く生み出すのだ。

 今回の来栖家も、そのひとつに当てはまった。

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