春なんじゃないか

 来栖空は、淡々と話し始めた。


 瑠璃は、意外なほどに口を挟まなかった。

 娘のほうが、説明が上手なので。……でも、事情を把握したら、すぐに冴木教授とか、話のわかるひとを連れてきてください。

 ただそれだけ、つぶやくかのように言って――あとはうつむいて両手で名刺を持ったまま、じっと、沈黙していた。



 二日前。

 夕食後、公園事件のニュースを見ていた咲良が、ふと『春なんじゃないか』と言い出した。

 モニターには、行方不明になった人々、つまりはおそらく公園内部に取り残されたと思われる人々の名前も流れていた。倫理監査局は今回、人々の安全という人権のほうが個人情報保護の人権より上回ると判断、かつ事件の重要性も鑑みた上で、行方不明者の氏名の公表に踏み切った。


 百人を超える人々の名前が、リストになって上から下に流れていく。

 真ん中のちょっと下、あるいは、真ん中ちょうどと言えなくもない位置に、来栖春の名前があったらしい。



 ここからは、空の話というよりは、寿仁亜の、瞬時の想像だ。



 想像するに当然至極、リストは五十音順ではない。より優秀な人間が上に来て、より劣等な人間は下に来る。優秀者順とは書いていないが、暗黙の了解だ。どうせ氏名がわかればNecoにデータの開示を請求できる――もっとも、データ開示の対象者よりも自分の社会評価ポイントが高ければ、だが。……どちらにせよ、個人情報の保護の権利だって相手よりも社会評価ポイントが高ければ相手の権利にはなり得ないし、相手よりも社会評価ポイントが低ければ自分の権利にはなり得ない。氏名、それはつねに自分の個人情報を自分よりも優秀な人間にさらけ出していることにも等しい――しかし、それも当然だった。


 ……どこまでも当たり前でしかないが、人権は当人の優秀性に比例する。

 人権には大小がある。それは結果として高低も生む。

 個人情報の保護だってなんだって、人権なのだから――ひとによって持っている分量、あるいはその立ち位置に違いがあるのは、ごくごく当然のことだった。


 春のいた場所は、まあ、悪くもないがよくもないという――妥当、そこそこ、それなりのところだった。



 来栖春、という名前はそうそう多いわけでもない。目を皿にして社会を探せば数人はいるのだろうか。その可能性はゼロではないが、限りなく低いと言えた。もともと旧日本エリアは、国家が最後存続していた時代から出生率が減り始めていた。その出生率は結局大きく持ち直すことはなく、しかし、旧時代において危惧されていたような大きな問題につながることも、結局はなかった。


 そもそも、人権をもつ人口――もうほとんど廃れた言葉になりつつあるが、いわゆる人権人口が、現代への過渡期を経て予想通り着実に減っていった。ひとは、むしろ存在しすぎたのだ。富の分配の問題ではなかった。富を分配される存在が多すぎた。しかも間違った者たちに間違って配分されていた。福祉は、すべてのひとびとの――ひとびとというのは「本来的な意味で人間であるべきひとびと」をいまでは指すのが当たり前なのに、一般的な感覚として当時はむしろ、人間基準に満たない存在たちが貪る利権のようになっていた。いまの感覚からすれば、おそるべきことだ。


 いまの人類は旧時代の終わりよりもずっと、少ない。人間と認められるべき、本来的な意味での人間は。旧時代なんかよりも、ずっと、ずっと。


 Neco圏ももちろんそうで――とりわけ、高柱猫を生んだ旧日本エリアは比較的早くに本来的な意味での人権感覚が行き渡っていった。

 はじめての、人間未満の確実な認定。高柱猫が成し遂げた偉業。もちろん、もちろんその事実の影響も、計り知れず。


 人権をもつ人間とそうでない人間の紛いものは早急に峻別されてゆき、人権人口は着実に減った。

 厳密には人口を減らしたわけではないし、それが目的だったわけでもない。本来、人間ではない存在を炙り出すのが目的で、そういった存在に間違って支払われていたリソースを奪い返すのが目的で、そして、結果的に成功したのだ――もうすぐ、人権制限者を保留して除いて考えた上で二十一世紀のはじめと比較して、まったき人権をもつ人権人口は五十パーセントを下回るという、素晴らしいと言われる結果が達成されようとしている。


 文明は、文化はもちろんそれでも成り立つ。

 リソースを、だくだく人間たちに割いた。だくだく、だくだくと。

 だから、ひとびとはより成功しやすくなった。優秀な人間は、より優秀に。もう落ちこぼれない。旧時代の、高柱猫の家庭環境のような条件の悪さでは――もうだれひとり、取りこぼさない。……それは彼の理念でもあった。

 


 だから。

 だからこそ。

 人間とは思えない者は、倫理監査局が本来どんどん区別をしてゆかねばならないはずなのだが――そこはそれで、現実にはサブジェクティブが存在することも、事実ではあった。……社会はそういうものだとしても。



 そういうわけで。

 人口がより選別され少なくなった現代では、来栖春と言えばおそらく自分の息子である春のことだろうと――これまた当たり前の感覚として、来栖咲良が相談したのは、そこまで疑問の余地のない話でもあった。……咲良は、ほとんど間違いのないであろう確実性をもって、モニターに流れるリストに自分の息子の名前を見つけたのだった。



 行方不明になっても、その家族に急に連絡がいったわけではなかった。公園の前に座り込んでいるような行方不明者の家族や知人も多いので、これ以上ひとを増やされても、と判断したのかもしれない。

 行方不明者は百人を超える。そのすべての関係者に来られたら、公園周辺はパンクする。そもそも巨大な虚無の周辺が安全かどうかもわかっていない。そんな状況で、公的な機関からの連絡は控えるというのは、たしかに妥当な判断かもしれなかった。

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