シュフ

 ルーペ型デバイスで、パーソナルデータを簡単に見ていくことができる。

 ……記録されているのだ。Necoによって。社会評価に関係する、有益あるいは必要と思われるデータは、なんでも。

 そしてそれをある程度のところまではだれでも参照することができる。……だからこそ、この人間は優秀だとか、劣等だとか、知ることもできるし、確認することもできる。


 瑠璃と空の案内を素子にとりあえず任せて、寿仁亜はそのまま廊下に寄って素子の貸してくれたルーペ型デバイスで彼らの情報を見ていった。研究室のほうは、大丈夫だろう。春のプログラムは安定している。……そこに対しては、最初に危惧していたほどエネルギーを割く必要はない。

 公園事件を解決するためには。……あらゆる角度で、試してみるべきだ。

 これから瑠璃と空と話をすることになるだろうが、……会話をするには、相手の個人的情報が頭に入っているに越したことはない。

 そして、同時に――来栖春という青年が育った家庭環境に、若干興味があるのも、ほんとうだった。……あそこまで対人関係が下手な青年が生まれ育ったのは、いったい、どんな家庭環境なのか。


 しかし、拍子抜けするほど、彼の家庭は普通と言える家庭だった。悪くはないが、べつに良くもない。なにもないわけではないが、かといって特別ななにかもない。……あくまでも、見た感じでは。



 来栖瑠璃。それと、彼女に関するいくつかの情報。

 職業は、いわゆる一般シュフ。……ちょっと珍しいと言えば、珍しい。


 シュフという存在は、旧時代に比べればずいぶん少なくなった。いまでもいると言えばいる。しかし、旧時代でいう主婦とは違う。


 専業主婦、という言葉じたいは旧時代にもあったらしい。しかし今、その言葉が意味することは、旧時代のそれとは大きく異なる。主婦というのが性差別だからと、シュフと表すようになったことも、もちろんそのひとつだ。

 とは言え現在でも慣習的に専業主婦とか専業主夫とか性別に応じて呼称する文化も残っているが、いずれは、なくなっていくだろう。……高柱猫は性別での区別をひどく嫌った。自身は男として生き、男としての扱いをずいぶん望んだようだが――社会に対しては、自身が普段おこなっている以上の高いレベルでの男女平等を、世の中に絶対的に、有無を言わせず、実行させようとした。


 というわけで今では専業シュフと公には呼称するが、その意味するところは、旧時代でいう専業主婦あるいは専業主夫とは違って、その仕事だけで生計を立てているところである。実際に報酬としての社会評価ポイントと収入を得ていて、それはよっぽど下手ではなければひとりで独立して充分に過ごせる水準のものだ。もちろんピンキリで、上手い人間は上手いからこそたっぷりと報酬をもらい、下手な人間は下手だからこそ低い水準での評価と生活しか得られないことになるが、それは、どんな仕事だってそうだ。

 彼らの家事ひとつひとつは仕事と同様、というより仕事そのものなので、仕事とおなじく細かくチェックをされて点数や評価が決まっていく。

 彼らが家事を行う対象は、契約を結んでいるだけの赤の他人の場合もあるし、パートナー関係である場合もある。パートナー関係であった場合にも、専業シュフである以上は契約を結び報酬を得る。その代わり彼らは仕事としてシュフ業をおこなう。より高水準に、より優秀に、……家事を一切、おこなっていく。

 そのための技能と能力をもつのが、専業シュフなのだ。


 しかし。

 来栖瑠璃がやっている、一般シュフ、というのはそういったプロフェッショナルなシュフとは異なる。

 一般シュフ、というものこそが、いわゆる、旧時代でいう主婦に重なる部分がある。


 つまり、報酬をもらっているわけではない。パートナーと、家事についての契約を結ぶわけでもない。



 それももちろん自由だ。しかし、専業シュフとは違い、一般シュフは社会評価や収入を得られない。だからこそ世帯の社会評価や収入の平均値が下がりかねない――それでもあえてその選択を選ぶ家庭も、もちろん、ある。相手に無理をさせたくないからこそ家事に対して評価したり、基準を設けたくないとか、専業シュフというオフィシャルな形式ではなく、一般シュフというかたちでプライベーティに家事をやってほしいとか、さまざまな理由で。

 専業シュフとして契約を結んでしまえば、たとえパートナー間であっても逐一の評価や評価のためのやりとりを避けることができない。自身の今日の家事がどれだけの水準だったか、自分はいくらぶんの家事をしたのか、シビアに客観化されてしまうし、それが専業シュフとしての一定水準に達しない場合には倫理監査局から勧告が来る。あなたには、この仕事は向いていないんじゃないですか、と。……他の仕事に対しておこなうのと、同様。


 一般シュフの道を選ぶのは、自由だが、そのぶん世帯のだれかがそれなりの評価や収入を得なければならなくなる――専業シュフよりもメリットのない道で、でも、……それを選ぶカップルがいまだにいるということは、彼ら自身なりのメリットがなにかあることも、事実で。



 各々のカップルの、各々の人間の、選択なのだ。



 ……と、いうことは。

 どんなパートナーがいるのかと、……来栖瑠璃の場合、それは夫だったが、夫の情報を見ていくことにした。

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