超優秀者の倫理

 春の母親と姉――。

 はたして、……なにをしに来たのか。


「それはそれは……」


 寿仁亜は、愛想よくそう言った。

 来栖空はにこりともしない。渋い顔で、何度か頭を下げる。


「ほんと、なんか、弟が、すんません」


 謝罪しているのだろうが、あまり本気で申し訳ないと思っているようには見えなかった。……そういうふうに誤解されてしまう性分であることも多分に考えられるが。


「なに言っちゃってるのよ空! 春が、……春が、なにかしたわけじゃなくて、春が、……春が事件に巻き込まれてるのよ?」


 まくしたてる母親に対して、空は、苦虫を嚙み潰したような顔をした。


「いや……アイツ……なんか、ヘンなことに顔突っ込んでるっぽかったしさ……」


 ……ヘンなこと。


「ふむ……」


 寿仁亜は、微笑みを深めた。


「なにかをご存じなようですね。どうでしょうか、僕でよければ、ぜひお話をうかがいたいのですが。……問題ありませんよね? 素子さん」

「はいー、依城さんがそうおっしゃるのであればー」


 プログラミング指揮権は素子にある。冴木教授がそのように委ねている。これは事件には関係あっても、直接的にプログラミングに関連する話ではない。

 素子がよいと言うならば、それは素子に指揮を委ねている冴木教授がよいと言ったも同然で、だから春の母親と姉に話を聞くことは充分に可能だった。


「ちょっと待ってください」


 しかし、瑠璃は半ば裏返った、ヒステリックにも思える声で制止する。


「失礼ですけど。私は、冴木銀次郎さん、という方にお話があって来たんです。どなたかわかりませんが。あなたではなく」


 ……失礼ですけど、と言い出したが、本当に失礼だ。

 人間関係があまり上手いようには思えない。


 優秀者のなかに、こういう人間はあまりいない。互いに互いの可能性を知っているから、どうしても丁重なやりとりになる。可能性というのはポジティブな意味だけではなく、いずれ、目の前の人間が自分よりも優秀になるかもしれない、というおそれをみな持っているから、基本的には、丁重に扱うことになる。


 ただし、超優秀である人間の場合は別だ。どんなに優秀な人間が現れたところで、自分がトップクラスに居続けるというほとんど確信めいた自負があるので、他人にどう思われようが知ったこっちゃない。

 その相手はもしかしたら自分と同等のところには来るのかもしれない。その程度の可能性であれば超優秀者も想定している。しかし――自分を超えることなどまずありえないとも、同時に超優秀者はわかっているのだ。千年後や一万年後なら、まだしも。

 自分が千年に一度、もしくはそれ以上の逸材であるとわかっていて、そんな人間が同時代、同じ惑星に存在することは天文学的確率であることもわかっている――もちろんそのうえで、どんな人間に対しても礼儀を失せず敬意を忘れず接することも可能だ。しかしそれとまったく同じ意味でまた同時に、礼儀も経緯も忘れて接することも可能だ。

 趣味になるのだ。超優秀者にとっては。他人に対しての、態度など――倫理も道徳も要らなくなる。優秀でありさえすればそれで良い。その優秀性でもって社会に貢献して、社会の文明を文化を推し進めれば、それで良い。裏返して言うならばそれが、それこそが超優秀者の倫理であって――他人に対する接し方とか、気持ちとか、配慮とか。そういうものは、……倫理の項目には、もはや入っていない。

 ……高柱猫の目指した世界とはずいぶん違った。しかし、歴史とは得てしてそういうものであると――寿仁亜は、理解している。


 瑠璃は、寿仁亜をきつい視線で見据えている。

 素子がルーペ型のデバイスを寿仁亜にそっと見せてくれた。


 そこにあったのは、来栖瑠璃と来栖空のパーソナルな情報。

 ……すぐにわかる。あっというまにわかる。この、Necoの管理する世の中では。しかるべき手続きを踏めばすぐに、その人間の優秀性が、社会評価ポイントという数値で、示される。


 通常は役所での手続きが必要になるが、素子は秘書という権限で、あるいはなんらかの権限でそれをいつでもできるようにしているのだろう。そうやってプロセスをショートカットする人間は少なくない。とりわけ優秀であればあるほど――社会的な信頼も増し、できることは増えていく。

 パーソナルデータの開示だって優秀な人間には容易いことだが、劣等な人間がそれをすることは実際問題として無理だろう。……社会評価ポイントで、足切り基準が決まっているのだ、そういうことに関しても。


 来栖瑠璃。……けっして、優秀者ではない。

 劣等、とまでは言わない……指導を受けるほどの際立った劣等性ではない。だがあえて優秀でも劣等でもない中間層を、優秀寄り劣等寄りと二分するのであれば、来栖瑠璃は、劣等寄りだと言えた。


 だとすれば、単にひとづきあいが下手なだけか――遺伝子的にしろ環境的にしろあるいはそのどちらかにしろ、息子にもそれが遺伝してしまったのかもしれない、と頭の片隅で思いながら、寿仁亜は短い時間でさっと、しかし確実に来栖瑠璃と来栖空のパーソナルデータを見ていく。Necoの提示してくれた、この社会でオフィシャルに共有される個人の情報を。

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