縮んだところで

 土下座の惨めさは経験した人間にしかわからないだろう。ましてや、服を剥がれているとなれば。


 土下座の前は、経験上、たいてい正座だ。正座というのも大概、くるものがある。足にもくるし、心にもくる。

 正座を命じる人間は、いつも圧倒的優位。それはそうだ。尊重するべき相手に、正座など命令するはずもない。

 正座は礼儀正しい振る舞いとされて、だから相手に礼儀を尽くしていると示している。互いに正座をする場面というのは、互いに尊重し合っているのだろう。プライドを持って背筋を伸ばして正座するのは、それは、人間としての立派な振る舞いであるにちがいない。

 

 しかし、あくまで一方的に正座をさせられたら?



 いままで、何度も、何度もだ。

 正座をさせられ、土下座をさせられる。


 僕の人生は――他人に惨めに従うことに、満ち満ちていて、……ひとつひとつの経験が、僕が人間である資格がないと示し伝えてくる、……容赦などなく。



 どんなに恥ずかしいところを晒したところで、懇願したところでゆるされるわけはないのだ。……なぜ忘れていたのだろう? 根本的に。本質的に。僕がゆるされるはずなど、ないのに。



 なぜとっくにゆるされたまともな人間のごとく僕はいままで自分のことを社会人だとか思って生きてきたのだろう?



「ほらほら、ゆるしてほしいんでしょう? きちんと謝りなさいよ!」

「べつにおまえが罪人になったってこっちには関係ないんだからな!」


 ――口を。

 口を、封じられるわけにだけは、いかない。


 ぎゅっと唇を噛み締めていると、怒号とともに蹴りが顔面に飛んできた。うつむいていた僕の顔にわざわざクリティカルに入るように、……下の角度から蹴り飛ばされた。容赦などなく。……正義は向こうで。

 ……呻き声を出してしまったことさえ嗤われて、心がまたひとつ縮む。



 心がいくら縮んだところで――だれが、助けてくれるわけでもない。



 ……ただ心が縮んだという事実があるだけ。

 すり減るわけではない。心など。いくら縮んだところで、残るものは残る。かたちも残るし、受け入れる機能も残るのだ。

 最小限、というラインがあるわけでもないし、ここまで縮めばよいというラインもないし、いくら縮めたところで――ゆるしてもらえるわけではないのだ。



 劣等者の心が、いくらどうなったってそんなの、たいていのひとはまったくどうでもよくて興味もないのだから。

 むしろ、心をのびのびと広げることができる――夢と希望にあふれたそんな存在がきっと、優秀者として、……まともな人間として崇め奉られてゆくのだろう。


 僕には、関係のない話だ。僕には、……縁もない話だ。



 顔面を蹴られてしまうと、別の意味でも焦る……鼻の奥は血が出ているのか知らないがつんとして、しかし全身の痺れるような慢性的な痛みのほうが強くすぐに鼻の痛みは違和感のようにまぎれていく、……痛いのだ、全身が、もうどこがどれだけ痛いとかいう話ではない。

 いますぐ、らくになりたいほど、痛いのだ。痛み、というのはもうひとつひとつわからないけれど――らくになりたい。ゆるしてほしい。……ただ、それだけをいつしか心は願うようになってゆく。



 縮こまった心で――。



「……ごめ、ごめんなさい……」

「言い直し!」

「もっと正確に言えよ」

「それで誠意が伝わると思ってんの? きったないとこだけ剥き出しで。ああ恥ずかしい。けがらわしい」

「謝れよ! 謝らせてください、と言え!」

「いやいや、言え、ではないでしょうよ」


 壮年の男性が、若い男性を礼儀正しく諫めた。

 舐めるように――瞳に意地の悪い笑みさえ宿して、僕をはるか高みから見下ろしてくる、……それを意地が悪いと思う権利すらほんとうは僕にはないのだろうけれど。


 腰を上げたまま地面ばかり見下ろしていると、もう一度、顔面が蹴られる、……今度こそ呻き声を耐えたけれど顔面を蹴られると言葉というのはすぐには出てこないものだ、……心といっしょに声帯も縮こまる、それに脅える――




 口を、封じられるわけには、いかないのだ、それだけは。……しゃべりつづけなければならない。僕のしゃべりに、滑稽な獣としての価値がありつづけなければならない――。




 だから覚悟を決めなければならない。はやく。決めるんだ……どこまでも世界でいちばん情けない存在になる、と。

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