十日目、対策本部

公園内部の映像化

 ――公園内部の映像化に、成功した。



 朗報がもたらされたのは、銀次郎が独り研究室の奥に潜ってまるごとひと晩ののち、昼ではなく夕方と呼ぶに相応しくなりつつ入口の時間帯だった。


 春から、相変わらず夜だけ送られてくるプログラミングにはやはり特に大きな問題がなさそうだ。自動チェックツールで充分に対応できる水準だと判断して、チェックはそちらに任せ、優秀な人工知能専門家たちは各々べつの仕事に取りかかっていた。



 天才、冴木銀次郎にかかれば、容易いことだと寿仁亜はもちろん承知していた。もちろん。だから驚きはしなかったが――ずっとこもっていた研究室から出てきた銀次郎の顔が青ざめていたことには、少しばかりの驚きを禁じ得なかった。

 彼はなんでもやってのける。Necoに関することならば、すべてのことを。冴木銀次郎に創れないプログラムなど、ないのだ――自分たちの理解を超えた水準で領域で速度で、冴木銀次郎という人間はなんでも創ってみせる。

 怒ったような、涼しい顔で。

 だから、公園内部のプログラムが出来上がったことには驚かなかったが、銀次郎がいくばくでも疲れた様子を見せていたことには、驚いたのだ。


 冴木教授は研究室から出てくるなり、研究室のほうの自分の席に背中から崩れるように座り、手足をだらんとさせて宙に向かってぼやいた。


「あんだってんだよ……あのバリアはよ、しつこいアタックはよ」


 察しの良い寿仁亜は気がつく。

 南美川家の犯人たちが、銀次郎が創り上げようとしたプログラムが一筋縄ではいかないように、妨害を仕掛けたのだろう。


「映像化のプログラムに邪魔が入ったのでしょうか」

「邪魔なんてレベルじゃねえぞあれは、異常だ、暴風雨みてえなもんだ。いいか、俺ぁな、暴風雨のなか傘もなく日本縦断をしてきたもんだよ。しかもその暴風雨ときたらな、いっつもいっつも俺に逆らってきやがるんだ。地面から空まで伸びる壁かよって話だよ、動く山かよ、果てのない地獄への道かって感じだよ。もうたくさんだ、こんなきつい思いすんのはよお」


 銀次郎はぼやいていて、だから寿仁亜は少し微笑むことができた――いつも通りの先生だ。もっとも、……それさえ強がりかもしれないが。



 暴風雨、地面から空まで伸びる壁、動く山、果てのない地獄への道。



 プログラミングに関して。……冴木銀次郎に、ここまで言わしめるのか。

 心のどこかがちりりと妬けて、馴染みのない感情だから寿仁亜は一瞬戸惑ったが、人の感情についても聡い寿仁亜はすぐに気がついた。

 それは本当は自分が言わせたかったのだな、と。


 けれどいまは、自身のそんな感傷に浸るなどという贅沢ができる状況ではないと、寿仁亜は、もちろん気がついていた。

 だから微笑む。王者のように。


「お疲れさまです、先生。……出来上がったんですね」

「んなこと聞くんじゃねえよ」


 まったくもって本当にそうですよね、先生、と寿仁亜は心のなかだけでつぶやく。冴木銀次郎にかかれば、出来上がらないプログラムなど存在しないのだから。愚問だ、出来上がったんですねなんて、そんな言葉自体が。


「おめえらはちゃんとやることやったんだろうな」

「もちろんです、ぬかりはなく」


 寿仁亜はいつもの涼しい笑顔で後輩たちを振り返ったが、それは表面だけほとんど完璧に取り繕えているだけで、内心では冷や汗ものだった。

 そして後輩たちは、取り繕えてはいない。もちろんべつに、表面上穏やかに振る舞うことに期待していたわけではない、だからいいのだが、それはそれでまあ、平常通りとはとても言えない状況だった。

 見槻は授業を聞いていない高校生のようにモニター前のデスクに突っ伏し、木太はアイマスクをして椅子が寝床とばかりにぐったりとしていて、ジェシカは昼過ぎ仕上がった直後勢いよく立ち上がり耐えきれないと言わんばかりに「ペリーに癒されてくる」と言って外圏の恋人に電話をかけに行ったままいまも戻ってこない。


「悲惨だな」

「ええ……いえ……僕たちも、それなりには頑張らせていただきました」

「それなりかよ、この俺が全力出してるっつーのに、おまえらはそれなりなのか?」

「……そうですね」


 謙遜は、たしかにこういうときには要らない。


「全力でした」

「おう」


 銀次郎は、髭の伸びた顔で疲れたように、それでいて嬉しそうににやりと笑った。


「ちっとはサマになってきたんじゃねえか、おまえも」


 ……自分の指針となった天才に、認めてもらうことができるから。

 天才の弟子であり続けることは、やめられないのだ。

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