役割分担

 ガン、と硬質な音が響いた。

 またしても、冴木教授がデスクを殴ったのだった。

 しかし、今回は悪態は出てこなかった。無言でデスクを殴った拳を睨みつけ、そのまま視線を上げてどこかを、冴木教授にはかならず見えているどこかを睨みつけ、静かに、静かに冴木銀次郎教授は怒っていた――それは悪態をつくよりもずっとずっと、冴木銀次郎という人間の怒りであることを、めったになく、めったに見せず、レアな、ひとりの人間の本当の意味での心底ふつふつ沸き上がってくる怒りであることを、寿仁亜は承知していた。


 その迫力は、ひさびさに見たいまでも、充分だった。いや、充分すぎた。


 そして、こういうときに彼に言葉をかけられるのは自身ではない――厳密には彼とは同業者となった寿仁亜ではなく、仕事上のパートナーである有能な秘書の素子であることも、寿仁亜は、十二分に承知していた。……その領分を超えた振る舞いをするつもりも、まったくない。


「……失礼ながら、冴木先生、総合的観点からしてお時間が迫っているかとー」

「……やんぞ。あの舐めた野郎どもを追い詰めてやる」


 言葉が出てくれば、もう大丈夫だ。冴木先生は、動ける。

 そう思って、だから寿仁亜はにっこりと大きく微笑んだ。


「承知しました、冴木先生。僕たちにできることであれば、なんなりと――」


 寿仁亜は冴木教授のもと全体の指揮を今一度取り直し、対策本部は、より一層の緊張に包まれる。



 冴木教授はハッキングへの反撃をするのかとばかり寿仁亜は思っていたが、予想と反して別のプログラムを組むのだという。なにをやるのかは、犯人たちに聞かれているかもしれないから、完成させてから伝えると言われた。そう長くはかからない、数時間で完成すると。

 現場は任せた、と言って冴木教授はポータブルパソコンデバイスを持って準備室にこもっていった。

 承知しました、と寿仁亜は冴木教授を見送る。

 師匠はいつでも弟子の予想を裏切ってくださると、こんなときなのに、ちょっと嬉しく思いながら。


 寿仁亜は指揮を取る。


 見槻と木太とジェシカはそれぞれの強みを生かして、ハッキングへの反撃を開始。一筋縄ではいかないようだったが、そこは超優秀の見込みがほとんど確定しているほどの能力を持つ彼らだ。次々と、鮮やかに様々な手段を試していく。

 てるるは演算をし直したいと青い顔で言うので、任せることにする。あえるはそんなてるるを純粋数学的な立場からサポートするらしい。理は物理学的可能性を考えたいと言って、目をつぶって腕組みをして瞑想のように思考をめぐらせているようだった。


 それぞれに、それぞれの役割がある。

 寿仁亜もプログラミングを組むことは、もちろんできる。なににおいても、通常程度の能力はある。しかし自身の能力はむしろ物事を広く見ること、プログラミングで言えばチェックに生かされることを、寿仁亜は重々承知していた。

 この異常事態に、通常程度の能力を生かしても焼け石に水――アタッカーの見槻と、ベースメイカーの木太、トリックスターのジェシカにそれは任せて、自身は別のもっと自分にしかできないこと、今回の場合はつまり犯人の情報を割り出し広い視野で分析し思考しなにかを明らかにすることだと、寿仁亜は、重々心得ていた。


「ねえ、よかったらあたしも寿仁亜くんといっしょに犯人ちゃんを追っかけてもいいかしら? パーフェクト・デザインキッズって、気になるのよね、寧寧々と組んでる仕事的にも」

「……私も、個人的にだが気になることがけっこうあってな。混ぜてくれると嬉しいのだが」


 もちろん、と寿仁亜は快諾した――自分ひとりでは出てこないこともある。三人寄れば文殊の知恵、などと旧時代は通例のフレーズとして言ったらしい。それぞれ専門性を生かしている若者たちはそちらに注力してほしいが、それはそれで、ともにデータを見て考えてくれる人間がいるというのは、寿仁亜にとっては非常に歓迎すべきことだった。

 立場や視点が違えば――なおさらだ。


 ソファでそれぞれ分析をしているてるるとあえると理の邪魔にならないようにと、可那利亜と寧寧々は移動してきた。素子に頼みソファとローテーブルを新たに持ち込んでもらい、窓際の隅に陣取る。

 窓際には中くらいのサイズながら精度と彩度は充分なモニターを取り付け、右と左にもスクリーンと同じく監視と録画機能のついた小さな画面を表示させた。寿仁亜にはよく見えるし、寧寧々にも問題なく見えるらしい。可那利亜は、老眼で見えづらいと言って眼鏡をかけたが、眼鏡をかけたら充分見えたらしかった。

 そして寿仁亜たちは、南美川真と、謎の青年の情報を集めて分析し始めるのだった。

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