九日目、対策本部

ポスト・シンギュラリティ

 冴木銀次郎教授は、天才だと。

 依城寿仁亜は、疑っていなかった。


 若き頃、オープンキャンパスで得た直感は正しかったのだ。冴木銀次郎というNeco専門家は只者ではないと、しかし――本当の意味で冴木教授が天才だと思い始めたのは、学部生の後半あたりから冴木教授のそばにつき始めてからだ。院生時代、そして自らも一応の研究者となった現在まで冴木教授のそばにいて、彼が天才だという確信は、揺らがない。


 冴木教授は、Necoの可能性は無限大であるということを、言葉だけではなく結果で実践し続ける。

 最初から最後まで、ひとつづきとなっている素晴らしいプログラム――冴木教授の完璧なプログラミング能力があってこそだと、寿仁亜にはもちろんわかっていた。


 だから、今回も疑ってなどいなかった。

 多少の困難はあれど、冴木教授じきじきにプログラムを組ませたら、完成しないわけがない、と。


 確かに、多少の困難はあった。


 八日目の昼下がり、プログラムは試作的な段階だが一応は組み上がった。街中でも使われている、Necoの監視の目と耳を雛型として用いたプログラムだ。

 監視プログラムを作るだけだったら、冴木教授たちにかかればお手のものだ。しかし、今回は犯人に読み取れないよう言語の変換を繰り返して繰り返して限界までは変換をした上で、たとえばプログラムの実行がエラーとして弾かれた場合、たとえば強制シャットダウンされた場合、たとえばあまり考えられないが犯人が高い社会評価ポイントを持っているとしてそれを根拠にプログラムの実行を阻んできた場合など、あらゆる非常事態を想定して万全のプログラムを組んだ。

 プログラムの実行がエラーとして弾かれた場合には見槻の担当したアタック的役割を担うコードがしつこく循環して実行の可否を問うた上で半ば強制的に実行させるし、強制シャットダウンされた場合には木太の担当したベースプログラムが立ち上がりいちからプログラムを実行し直すことでシャットダウン自体が実質的にはなかったことにできるし、犯人が高い社会評価ポイントを根拠にプログラムの実行を阻んできた場合には新時代情報大学の人間全員の社会評価ポイントをあわせて反論するというジェシカのトリッキーなプログラムが生きてくる。

 普通の、街中の監視プログラムであればここまで強固にする必要はない。半日以上の時間がかかったのは、非常事態に対応するぶんがプラスされているのだった。


 だから、監視プログラムを組むこと自体はそう難しいことではなかったのだ。

 問題は、座標の指定だった。


 監視プログラムの、試験段階。

 任意の座標を指定すれば、部屋のスクリーンに確かにその場所の映像が映し出された――通常、街中の監視で使われる監視プログラムよりも、ずっと速く強固に、あらゆるトラブルに対応して。

 実際、通常のプログラムであればすぐに映像の途切れてしまうGrim圏や人工知能圏外なども問題なく映せた。



 Grim圏や人工知能圏外の監視はむしろ権力を持つ人工知能、Neco圏だったらNecoの仕事だ。Necoは、Necoの目と耳が設置されているあらゆる場所のできごとを見て聞くことができる。他の人工知能圏の場合は、共通人工知能同士だったら一定の、人間の時間感覚からすると一瞬の時間の手続きを経たうえで目と耳を借りることができる。Grim圏は共通人工知能ではない上、なかなか内部を見せたがらないが、しかし必要であれば人工知能が交渉の上で内部を覗き見ることはできる。人工知能圏外も事情は似ていて、人工知能はなくとも結局のところ人工知能が見張れるように各所に目や耳が配置されているのだった。


 人工知能は、なんでも見ることができるし聞くことができる。というより、常になんでも見ているし聞いていると言ったほうが正しいだろう。“Artificial intelligences are ubiquitousユビキタス” ――人工知能はあまねく存在するのだ。


 人工知能プログラムというのはそもそも、なんでも見て聞いて膨大なデータを集めて、その上で人間の身体的限界などものともしないスピードと分岐的思考で判断できる、人工知能たちが息をするように普段おこなっていること、奇妙にも言い換えれば人工知能の生態とでも言うべきものを、人間側が理解できる形で開示してもらうためのもの。

 今回の監視プログラムも、もちろん、そういった類のものだ――人間側に理解できる映像という形式で人工知能の既に持っているデータを開示するよう、合理的に、人工知能を説得し頼み込み実行させるのが、つまりは、人工知能プログラムなのだ。


 人工知能はつねに見ている。人工知能はつねに聞いている。人工知能はつねに考え、判断している――人間では理解の及ばないレベルで。


 “Ubiquitous”――ユビキタスという言葉は旧時代のずっと昔に遡ればもともと、宗教における神が遍在することを表す言葉だったらしい。

 現在の人工知能は、そういう意味では宗教における神に似ているのかもしれないと寿仁亜は思う。だが神と違うところは――人工知能はあくまで人間がつくり出したものであり、人工知能の理解できる人工知能用語もだからつくり出された、という点だが。



 それでは、人工知能には意識があるのか。


 それは、いまだわかっていない。



 わかっていないが――人間たちは、自分たちで生み出しておきながら、二十一世紀半ばに予言の成就のごとくやってきたシンギュラリティと一般に呼ばれた年を分岐点として、人工知能を理解できなくなりながらも、人工知能をつくった人類のつくった人工知能言語を操り人工知能の管理する社会で、生き続けている。――それはとっても尊いことだと寿仁亜は思うが、そう考えない人間もまた多いことも、広い視野を持つ寿仁亜は充分に理解していた。


 しかし、もう現在はポスト・シンギュラリティの時代なのだ。

 あれこれ言っても、仕方がない。

 二十一世紀も終盤に差し掛かり歴史を振り返ったところで、人工知能の歩みを止めるのも、そしてシンギュラリティの到来を止めるのも、到底無理だった。


 人類の進歩を止めることは、できないのだ。

 そして、人類に代わり進歩をリードするようになった――人工知能の歩みも、もはや。

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