今日も、ケーキショップの店員が

 出張、ということにしておいた。急な出張が入ったのだと。

 狩理を疑いもしない人の好い部下たちは、やはりなにも疑うことなく狩理を笑顔で送り出してくれた。いってらっしゃいませ、所長、と。あとは任せておいてください、と。わざわざそんなの非効率的なのに、出勤していた職員全員で、玄関まで送り出してくれた。

 ……出張などではないのにな、と彼らに背中を向けてはじめて、苦みが染みる。


 自分は、きっと社会的には成功者なのだろう。


 ブランドのケーキ、それも真の気に入りそうなもの、となれば選択肢はいくつかに限られる。ただ今日は彼女の機嫌はすこぶる悪そうだ。特別、お気に入りのケーキにしておいたほうがいいだろう。

 ……あそこの店がいいか、と見当をつけて狩理は歩き出す。白衣はもう脱いで、ネクタイもロッカーに置いてきて、ベージュのニットにデニムのジーンズというシンプルだが良いものを着た格好で。……良いものを着なければ、彼らには、南美川家には認めてもらえない。みすぼらしい格好でもしていれば、これだから犯罪者の息子はと指をさされる――。


 陽はまだ高い。

 高柱第四環境循環研究所の周辺は静かな住宅街と緑豊かな公園が続く。ひとの姿はない。労働したり学校に行ったり、社会的活動に勤しんでいるのだろう。

 最寄り駅までは、歩いて十分はかからないが、五分はかかる距離。

 ちょうど良い、と狩理は思っている。むしろもう少し長くていいくらいだ。通勤時間はすくなくとも、独りでいられる。だれにも干渉されないでいられる。けれどたとえば三十分とか、歩きの時間があるのは勘弁だ。そこまで連続した時間歩いてしまったら、人生にただただ失望が重なって、いますぐにでも身を投げたくなってしまうから――自殺など試みようものなら倫理的にアウトだ。命が助かった、いや、無理やりに助けられたあとが、……地獄でしかない。


 これから向かうケーキショップは、首都の中央の繁華街にある。

 首都の西側にある高柱第四環境循環研究所から、通勤経路を考えればそんな繁華街の店に行くのは寄り道となるが、どうせ早退みたいなものだ。多少時間がかかったところで、平気だろう。……頭のなかで完璧に計算も済んでいる。すくなくとも、真より家に着くことは、確実にできるだろう、と。



 電車に乗り、繁華街の最寄り駅へ向かう。

 現代の電車は音もなく滑るように、うるさいほどの沈黙のなかコーティングされたレールの上を進む。

 二十分ほどの旅路を狩理は、ぼんやりと、窓の外を流れる風景を見つめることに費やした。……住宅街、山、住宅街、公園、たまに山が覗いて、あとはずっと都会。山は結局、現代まで残った。けれど山が、自然が要らないと言われて破棄されるのも時間の問題だろうなと狩理はやはりぼんやりと思う――自然の、循環についても、彼は専門的に学んだが、自然の循環すら人間はもはや自分の手で行おうとしている。


 ……いったい、どこまで意味があるんだ? 合理化と効率化を繰り返し、優秀になって、他者に糾弾されず――それだけが人生の意味と価値なのか?


 たまに、ほんとうにたまに、犯罪者となった父親のことを思い出す。

 彼の人生に意味も価値もなかった、あるとしたら、マイナスのそれだけだった。


 ということはそもそも、自分自身が産まれてきたことが間違いだったんだろうな、と狩理はこれまで幾度思ったか知れないことを、倦んで、また思う。



 電車は繁華街の最寄り駅に到着して、そこそこ混んできた電車の人の流れに乗り換えるように狩理は電車を降りる。ケーキショップまでの道は慣れたものだ。いまの婚約者だけではない――前の婚約者も甘いものが好きで、よく買わされていたから。


 自分の人生は、他者のために自分を削って、自分はさして好きでもないケーキを買うことの繰り返しだ。


 ケーキのブランドとも言われる、有名な店舗。

 カウンター型のショップで、客を待たせずにすぐに買い物ができる。良い素材をふんだんに使った美味しいケーキが低コストで販売できるのは、接客にあまり人件費をかけず客の流動性を高くしているからだろう。

 今日も、宝石でも並べるかのようにずらりとカラフルなケーキが並んでいた。


 淡いベージュ色の三角帽子をかぶった若い女性の店員が、今日も笑顔で狩理を出迎える。……いつもこのケーキショップで接客をしている人間だ。


「いらっしゃいませえ! あっ、いらしてくださったんですね! 少しご無沙汰してます! あの、私のこと覚えてくださってますか? 何度か、接客させていただいてるんですけど!」


 狩理は社会的な愛想笑いを完璧につくる。


「ご無沙汰してます。覚えてますよ、もちろん。いつもイチゴの美味しいショートケーキを紹介してくれて。ありがたい、ありがたい」


 ユーモアさえ交えて道化になってみせると、えーっ、覚えててくださって嬉しいですー、と店員は黄色い声を上げた――狩理の愛想笑いは、ますます深くなった。

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