銀次郎の影

 しかし、そんなこと、くよくよ考えていても仕方ない。

 まずは盗聴の原因を突き止め、対策する。

 このタイミングでの盗聴だ。盗聴の犯人は公園事件の犯人とニアリーイコール、あるいはイコールであると――充分に、仮定できる。


 とりあえず、犯人だか誰だか、ともかく誰にだって盗聴されていては気持ち悪い。

 盗聴を止めるため、銀次郎たちは動き出した。


 素子に見槻とジェシカへの連絡を頼み、素子はデバイスで通話して二人を呼び出す。見槻はすぐに戻ってきて、ジェシカもそう時間はかからず戻ってくる。ジェシカは「せっかくペリーと電話していたのにさ」などと言っていたが、実際にはすぐに席に座って、さりげなくブランドのロゴがついたシルバーのヘアゴムで、カラフルなハイライトを入れたライトブラウンの髪をまとめた。

 ジェシカが髪をまとめ終わったときにはもう、各々自分の席についていた。


 騒ぎを聞きつけた可那利亜が、専門家たちとともに戻ってきた。


「盗聴ですって? だれが、いったいそんなこと……」


 心配そうに眉をひそめる可那利亜に、それぞれ応用数学、物理学、生物学、そしてなぜか薬学という多様な分野の専門家たちが、可那利亜と似たような顔で口々に言う。


「盗聴? そんなこと、あるんですね」

「犯人からでしょうか……どう思います? 奏屋さん」

「この会話も盗聴されているのでしょうか?」

「心配ですよね、奏屋さん」


 サングラスをかけた可那利亜は、男性たちのなかで口もとをにこにこと綻ばせている。


 可那利亜が連れてきたのは、みな見た目の整った男性ばかりだった。若手、あるいは若手ではなくとも、すくなくとも容姿は整っている。

 この非常事態に自分の専門の持ち場を離れられるというのは、ふたつの可能性が考えられる。ひとつには、さして優秀ではないからお呼びではないというパターン。もうひとつには、飛び抜けて優秀だからこそ好き勝手に振る舞えるというパターン――どちらかなのかが見た目ではわからない以上、判断は保留するほかない。

 多くは、前者なのだと思う。実際、銀次郎が名前も聞いたこともない専門家も多かった。まだ駆け出しなのか、あるいは歳を重ねてもぱっとしなかったのか。

 しかし名前や情報など偽ることもできる――初対面で別の畑の人間ならば、なおさらだ。……見たままの情報で優秀性を判断してしまうほど、怖いこともない。超優秀者が紛れている可能性だって皆無ではない。


 銀次郎の研究室は対策本部として一時的に模様替えがされており、普段の応接ソファよりもずっと多くの人数が座れるソファが持ち込まれて、部屋の壁に沿って設置されている。

 可那利亜はそんなソファに座り、専門家たちもまわりに座った。

 専門家の男性たちは可那利亜を囲むかのように座ったが、可那利亜は、自分の左隣には鞄を置いたので空間ができた。


 すこし遅れて寧寧々がやってきた。

 可那利亜は当たり前のように鞄をどかし、空間をつくる。寧寧々もそこに当たり前のように座った。

 可那利亜が寧寧々に状況を説明する。ある程度は事前に聞いていたのかもしれない。寧寧々は言葉少なに相槌を打っていた。

 手慣れたやりとりが行われていた。


「私たちにできることはなにもないが。よろしく頼むよ、冴木教授」


 言われなくても、と銀次郎は心のなかだけで吐き捨てるようにつぶやいた。……こちとら、それが毎日の仕事なのだ。



 銀次郎、そして寿仁亜、見槻、木太、ジェシカ。

 五人全員がキーボードを叩きモニターに向かう。



 銀次郎はいちからプログラムを組み直す。

 盗聴されてしまったプログラムは、もう棄てる。新しいプログラムを組み直し、ハッキングをブロックするのだ。


 タイピングの手つきは、ここにいるだれよりもずば抜けて素早く正確なものだった。弟子たちも一般的な感覚からすれば信じられないほど素早く正確なタイピングをする。しかし、当然ながら銀次郎は、いまはまだ彼らの能力の遥か高みをいっていた。

 マシンガンのように重たいのに素早く、それでいて散弾銃のすべての一個一個の弾丸を的に当てていくかのように正確に。


 なにかトラブルが起こったとき、銀次郎はいちからプログラムを組み直すことを好む。銀次郎がまだ優秀者とさえ呼ばれていなかった若かりし頃は、非効率だ非合理だと言われたことも少なくなかった。

 なにかトラブルが起きたときには、トラブルの起きた部分だけを直せばよい。すべて構築し直すなんて、時間的にも労力的にもコストがかかりすぎると。


 しかし銀次郎が超優秀者となったいまでは、そのやり方は賞賛と畏怖を一身に集めている――銀次郎にとって、いちから構築し直すことなど大した手間ではないのだと、周りにもようやく理解できたから。

 周りがなにかひとつ部分的にこちゃこちゃと修正しているあいだに、銀次郎はすべてを創りあげてしまえる――。


 銀次郎は頭の回転が速く、全体を俯瞰する能力も深く潜り考察する能力も、優秀者に相応しいものはひと通り備えているが、銀次郎を超優秀者の立場に押し上げたのは――はじめからおわりまでを、見通す能力だった。



 プログラムも最初のひと文さえ視えてしまえば、あとは最後まで、一気に視える。



 実家は貧しかったが家業をやっていたりもして、銀次郎はいつも商売が下手な両親が失敗するのが不思議だった。こう始まればこう終わるだろう――銀次郎にはいつも客との取引で始まる全体の流れが視えるのだ。流れ、フローとして。フローチャートが一瞬で視える。あとはそのフローチャートに沿って分岐点を考えつつ流れをつくってあとは自身もそれに乗っかって流されていくだけなのに、なぜ両親はそして周りのひとびとは、いつも流れを読み取れずに汲み取れずに無様に転んで大失敗をするのか。いつも、不思議だった。

 銀次郎が口を出しても怒鳴られるだけ。おまえに商売のなにがわかるんだ、と。だから小さかった銀次郎はやがて口をつぐむようになった。

 すべてを見通しながら。ああ今回も、あそこで失敗するなと。醒めた瞳で自分よりもずっと大きな両親をただ黙って見つめながら――。


 自分にとっては当たり前だが、これは特殊能力と言えるのだと気がついたのは、超優秀などになれれば人生がどれだけましになるかと若者らしく焦がれて焦がれて、でも自分にはそんなのは到底無理だという現実も噛み締めて、だからせめて手に職をつけて生き延びようと――Necoプログラミングを学びはじめたころのことだった。

 NecoプログラマーあるいはNeco専門家の卵だった同年代の若者たちは若かりし銀次郎のその能力を異常だと言って恐れたが、銀次郎はほんとうにNecoプログラミングを学びはじめてやっと初めて気がついたのだ――自分にとって当たり前だと思っていた能力がそうではないと気がついたとき、自分の無駄に大きいばかりで実家の家業をするには不向きと思っていた両手が急に、じんと熱でも持ったかのような、むかし好きだった少年漫画で出てきた超能力でも発動したかのような――奇妙な感覚を覚えたことを、この歳になってもいまでもくっきり、よく覚えている。



 ……もちろん。

 実は自分が超能力者でした――なんて、単なるラッキーに過ぎないと、銀次郎は重々承知している。


 それでも銀次郎は昨日も今日も明日も自身の秘めていた超能力をいまでは存分に発揮して、生きるのだ。

 生き続けるのだ。

 えらい立場になって。学生たちにものを教えて。新しい技術を生み出して。

 社会に貢献して、感謝されて、超優秀者として崇められて。

 盗聴されたって対策をして。


 そんな立派な自分の影にはいつも、超能力なんか持っていなくてごく平凡で不器用で他人からどちらかというと蔑まれる地味なNecoプログラマーの自分が、影のように張り付いているのだけれど――そんな自身の影など無視して、銀次郎は昨日も今日も明日も、……超優秀者として、生きるのだ。輝かしく――そのぶん、影はくっきりと濃くなるのだとしても。

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