タイピングとプログラムのハーモニー
銀次郎は最初のひと文から最後のひと文まで視えてしまう人間だから、本来であれば独りでプログラムを構築できる。それも、たいした手間ではなく。
そして銀次郎はもちろん、その能力だけでやっているわけではなく、チェックなども含めてひと通りのNecoの能力は身につけている。
だから本当ならばひとりだけで充分なのだ。
銀次郎ひとりだけで。
だが急を要する事態、とくに今回のようなハッキングに対処するといった相手のいる緊急事態においては、一刻、一秒が命運を分けるのも確かだった。
銀次郎のほうが手伝いを必要としているわけではない。
そばにいる他人がどうにか、彼のそもそもひとりで完結しているはずの独立したプログラムに対して、なにかできないか考える。
銀次郎の見通しているもの、構築しようとしているものは、それだけで出来上がっている。
銀次郎によって最初に展開されているものから、今後の流れを読み、その流れの向かうところへ差支えのないよう、あるいは誤差やごく軽微な調整を加えながら、ともにプログラムを構築していく。
それは、将棋やチェス、あるいはストーリーテラーの能力に似ていた。ちがうところがあるとすれば、読み取って戦ったり意外に思ったりするのではなく、そのままその流れに乗っかっていく、という点だ。
そのことを重々承知しているから、弟子たちもかえって素早く動くことができる。
いちからプログラムを組み直すのは、銀次郎が当たり前のようにこなす感覚ほど、易しいものではないが、弟子たち超優秀者あるいは超優秀者になれる見込みの人間からすれば――そんなことは、たいした問題ではない。
二十二世紀が間近となってもついに、脳から直接出力するツールは一般的なレベルでは活用されていない。一部では実験がなされ、試験的に実用されているらしいが、すくなくとも実用的な段階ではない。
弟子たちの仕事は皮肉っぽく言うならば、脳から直接出力するツールが一般的なレベルで実用化されるまでの、つなぎだ。
しかしもちろん、だれにでもできるつなぎではない。
それどころか。銀次郎は。自分の視える流れを的確に読み取り、適切にサポートして展開していく人間がこの世にほかにいるなどとは――すくなくとも最初の弟子、寿仁亜に出会うまでは思ってもみなかったのだから。
自身のベストスコアを、もっと伸ばしてくれる他者がこの世にいただなんて――。
弟子たちは銀次郎がなにも言わずとも、銀次郎がプログラムを入力しているだけで、分担して、協力する。
銀次郎の組むプログラムは弟子たちの四つのモニターにもリアルタイムで映し出されるようになっていて、寿仁亜がそれを見てチェックを終えつつ、モニター越しに、ときには口頭でてきぱきと他の三人に指示を出していく。寿仁亜は広く優秀で、マルチタスクもお手のものだ。
木太がベースプログラムを強化して、見槻がいざというときの反撃の部分を強化して、ジェシカがトリッキーなコードを入れ込んだり美的により優れたものに若干の修正を加えていったりする――Neco圏ではRunao圏ほど重んじられないとはいえ、プログラミングがどれだけ整然としているかという美的要素も、若干の加点要素ではあるのだ。美しくないよりは、美しくあったほうがいい。
そういえば、と銀次郎はどうでもいいことをふと、風の吹くように思った。
いまだに、人工知能プログラムは美的要素という評価基準も存在しているが。
アートなど、時代遅れの世の中なのに。プログラミングにおいてはいまだに、美しい美しくないと言い合っているなと――ほかの分野のことはたいして知らないが、数学や物理学なんかにも、美的要素というのはいまだに存在し続けているのだろうか。
美的要素という観点は、いずれ衰えるように消え去るのかもしれない――そうなるとジェシカなどにとっては得意なことがひとつ消えるかもしれないが、ジェシカほどなんでもできる言語の天才であれば、得意なことがひとつ消えたところで。
……美しさというのも、よくわかんねえ概念だよな。
銀次郎はそう思いつつも、手を休めることはけっして、ない。頭のなかにあるものを形にしていくくらいのこと、……ぼんやりしていたって、平気でできる。
五人ぶんのタイピングとプログラムのハーモニーが、部屋で繰り広げられていた。
「……壮観だな」
背後から、呆れたような寧寧々の声が聞こえてきたが。
「やあだ、ネネ。嫉妬してるの?」
なぜそうなるんだ。銀次郎は、出力を続けつつも頭の片隅でこっそり突っ込む。
「なんでそうなるんだよ」
寧寧々もむっとした返事をしていた。……発想が被ってしまうのが、なんというか悔しいとまではいかずとも、ちょっと、もやもやする。
「……みんなが協力して楽しそうにやっているからに、決まっているじゃない? ネネは自分の研究をやりたくて飛び出してきたから――」
「気にしてない。そんなことは」
「もちろん、あたしはネネのそばにいるのよ? むかしからの友人ってだけじゃない。ネネの理念におおいに賛成して、共同研究者としてやっていきたいと、心から思っているのだから」
「そんなことは、わかってるが……」
「……でもさみしいわよね。あたしの寿命だって、いつどうなるかわからない。早くあたしたちの研究が、正当だと認められればいいわよね――そうすればあたしたちだって、またこうして協力して、堂々と研究を進めることができるのだわ」
そのあと、寧寧々とのこんなやりとりなど、なかったかのように。
可那利亜と他の専門家たちは楽しそうにどうでもよさそうな雑談をしていた――寧寧々が雑談に加わることは、なかった。
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