SS=Special Subjective (appreciation):特別な主観的評価

「高柱猫は、オブジェクティブだけでは評価ができないとの批判を受け、サブジェクティブの概念も取り入れた。当時はサブジェクティブにトータルとスペシャルの区別はなく、サブジェクティブと言えば単にいまでいうトータル・サブジェクティブのことを指していた。スペシャル・サブジェクティブは、高柱猫の理論のなかでもサブジェクティブがだいぶ定着してきたあとに言い出されたことだ。……どういうもんかはまず書いちまったほうが早いな」


 銀次郎はボードに説明を書く。



●SS=Special Subjective (appreciation):特別な主観的評価


 特別な関係性の相手に対して、自己の持つ社会評価ポイントの100/100を上限として評価


★TSと異なりマイナスの評価はできない

 プラスの評価のみ


 評価分の社会評価ポイントは被評価者との連帯責任を負うものとするが、以下のいずれも満たす場合には連帯責任を果たす必要がなくなる


①被評価者の社会評価ポイントが評価者の1/100未満である

②被評価者と評価者は血縁関係または実質的な家族関係にない



「100パーセントそのまま評価できるの? ずいぶん、思い切ったわね……」

「さきほどの、トータル・サブジェクティブとかなり差があるように思えるが」


 訝しげな様子の寧寧々と可那利亜に先回りして、銀次郎は説明を始める。


「まずわかりやすい例は、家族だ。家族どうしはスペシャル・サブジェクティブ評価をすることが社会的に容認されている。これは一般的に愛のスペシャル・サブジェクティブと言われる。まあポジティブな用法としてのスペシャル・サブジェクティブだな」

「ネガティブなほう、というのは?」

「わかりやすいのは罪を犯した関係だ――一般的に社会評価ポイントの移動と言われている現象は、社会評価ポイントの動きをよくよく追っていると実は移動ではなく、クリティカル――つまり致命的な結果でマイナスされたぶんをそのまま、被害者に移しているに過ぎねえ」

「私と先生の関係ですねー。私は先生によくセクハラとパワハラをされますが、そのぶんだけ加害者である先生の社会評価ポイントはクリティカルとしてマイナスされているんですよー。そしてそのマイナスぶん相当を、先生は毎年私、叶部素子に対してスペシャル・サブジェクティブとして評価している、という形式となっておりますー」

「なるほどな。マイナスとマイナスが重なってしまう――と、いうことでもないのか」

「おっしゃる通りでございますー。クリティカルのぶんはマイナスされてしまいますが、サブジェクティブ評価をしたところで、評価者ご本人の社会評価ポイントが削れるわけではございません。ですが、数字として見れば加害者の社会評価ポイントは減り、被害者の社会評価ポイントが増えているわけですから――便宜上、これを社会評価ポイントの移動、と呼んでおりますねー」

「たしか、その呼称は考えついた社会学者がいたはずです――これは実質的に移動とみなしていい、と」

「依城さんのおっしゃる通りかとー」

「……つまり、ええと。愛と罪と、スペシャル・サブジェクティブにはすくなくともふたつの種類があるのね?」

「まあ、そういうことだ。……スペシャル・サブジェクティブの強くて怖いところは、なんといっても連帯責任というところにある。被評価者の評価ポイントが前年度を下回った場合――自身の社会評価ポイントをクリティカルとして削ったうえで、被評価者に移動させなければならないんだな」

「先生からはご説明しにくい内容かと思いますので、よろしければ、僭越ですが説明させていただきますー。先生がとってもとっても優秀な学生さんにパワハラをしたとします。そうですね、国立学府でも優秀なほうの学生さん、くらいのイメージでしょうかー。この場合、先生は学生さんに社会評価ポイントを移動させなければなりません。加えて、その学生さんがかりになんらか社会評価ポイントを落とす事件でも起こして当該年度の社会評価ポイントが低くなった場合には、そのぶんの補填もしなければならない、ということですねー。ご自分の社会評価ポイントから」

「……罪のスペシャル・サブジェクティブの理論としては、やはり相手が罪と問われるほどのなにかを受ければ生産性も落ちる、という視点にもあるかと思います。なので、当該年度の社会評価ポイントのぶんはすくなくとも保障する、と」

「ただ、パワハラを受けた学生さんが、そうですね、たとえば失礼ながら新時代情報大学のごく標準的な学生さんでしたら――軽く先生の社会評価ポイントの1/100未満であると思われますので、補填の必要はなくなりますー。……社会的に無視していい、微々たるものであるとみなされますので」

「そこまでいくと、優秀者の自由のほうが社会的に優先されるんですよね。優秀者は本来、どんな発言をしてもよいはずですから――ただそのせいで優秀な人間のメンタルが削れてしまうともったいないですから、……補填が、なされているだけかと」

「ふむ。なるほどな……連帯責任を果たさなくていい条件は、いま話している被評価者の社会評価ポイントが評価者の1/100未満であることと、被評価者と評価者は血縁関係または実質的な家族関係にないということ――つまり逆に言えば血縁あるいは家族関係にあれば、優秀性にかなりの差があっても補填しなければならないといけないのか」

「まあ、そういうことだな。ただ、スペシャル・サブジェクティブは義務じゃねえ……任意だ。つまりそこまで自身の社会評価ポイントを費やしてでも劣等にしたくねえ家族に対してだけで、いいんだ。逆に言えば――優秀な家族がかばってくれるのであれば、本人はいくら劣等な能力でも劣等にならずに生き続けられるということだよ」

「家族や愛するひとをかばうためだけに、優秀になろうとする方がいらっしゃるほどですからね……さらに申し上げるのであれば、この社会評価ポイントの仕組みの精神は、法律にも見られます。たとえばですが、実際に人間未満に処分しようとするとき――だれかひとりでも近親者が異を唱えれば、即時での処分はできません。猶予となります」

「家族にそんなに執着するのは」


 可那利亜は、ぽつりと言った。


「あたしには、わかんないけどねえ」


 だれも、返事をしなかった。

 それぞれに、それぞれの考えがあるのだろう――銀次郎としても、それはなんとも答えがたい事柄だった。

 しかし、銀次郎は言葉をつなげる。


「まあ、ともかくだ。社会評価ポイントを与えてもいい、と思われるほど愛されてるやつは幸せだよな――自分が優秀になる、って世間では当たり前の競争に、参加しなくていいんだからよ。まあ……愛してくれるやつが生涯自分に社会ポイントを与え続けてくれるなどと、本気の本気で、信じ続けることができるならば、だがな」

「実際、社会評価ポイントを当たり前のように与えていたのにある日突然、与えなくなるという事例は残念ながらごく一般的に見られますね――とくに、配偶者同士や、子どもから親へというパターンが多いです。親から子どもへという場合は、配偶者同士や子どもから親のパターンよりは社会評価ポイントの生涯付与率が高いですが――それであっても、中断するケースも充分に見られますね」


 寿仁亜はまたしても、どこか申し訳なさそうだったが。

 さきほども、しかり。寿仁亜ほどの超優秀者が、申し訳なくなる必要はなにもない。


 自分を愛してくれるひとが、社会評価ポイントを人間として生きていくのに充分与えてくれる。そう信じていたのに、ある年から急に社会評価ポイントを与えてくれなくなった――そして簡単に人間未満に堕ちる者は多いが、そのようなレベルの者など、……ここにいる人間たちには、やはり関係ないはずなのだから。


「……愛されれば」


 可那利亜が、不敵に――どこか不気味に、微笑んでいた。

 妖しく。


「優秀になれるなんて、幻想だわ」


 見目麗しい、実際に遺伝子操作の芸術品である極まった美をもつ可那利亜がぽつりとそう言うと――今度こそ、ほかになにか言い出す人間は、いなかった。

 プログラミングを読んでいるふりをしているらしい見槻も、木太も、知らないふりをしていたようだった。

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