ポジション帝王、金出佐見槻
ダダダッとやってきて、そのままの勢いで扉を開け放ったのは、細身で長身の男性だった。現役の学生に間違えられてもおかしくないような若い見た目をもつが、先日、三十代に入ったばかりである。
若く見えるのは、ワインレッドカラーのメッシュをさりげなく入れた明るい茶髪が無理なくとても似合っていて、ストリート風のファッションをスタイリッシュに着こなしているからかもしれない。上半身はいま若者を中心に大流行の、メタリックカラフルなコスモモードの大ぶりなパーカーを思いきり着ているが、ボトムスはダメージタイプのオールドジーンズをクラシカルに合わせているし、スニーカーはあえて革靴風のビッグスタイル、ぱっと見ではただじゃらじゃらとつけただけに見えるリングやネックレスやピアスも、全体を引き締めよりよく見せるようによくよく計算され、統一されたものだった。
そういう工夫や、自分への客観視、いつまでもいつまでも好きなファッションをしていたいという情熱やこだわりが、彼を、いつまで経ってもお洒落な人間に見せていた。
そんなファッションにふさわしいフレッシュな笑みは、しかし、一歩間違ったらたぶんシニカルにも見える。一歩間違えば不相応でダサいファッション、一歩間違ったら単なる嫌味な表情、しかし、彼は一歩間違えない方法を知っていた――意図的にずらすことや、たまに素が出てしまうことはあっても。
そして、彼自身の意図しない方向性で、たまにコントロールできずに目立ってしまうことがあったとしても。だからこそ、彼は基本的にはいつも、自分自身の立ち振舞いを一歩間違えないようにしている、ともいえるのだし。
彼は開け放ったドアが、そのまま自然の力で戻るのを見ていた。両手を広げて、おおげさな素振りで。
手品師に似ていた。手品を披露する。観客は驚くだろうが、手品師は当然トリックを知っているはずだ。だが手品師はだからといって大人しくしていることはない。あたかも自分もマジックにかけられるみたいに、ちょっと驚いたような素振りさえ見せながら、自分自身がおこなったことに対して、慎重に、慎重に、それでいて危ういほどに大げさに、反応してみせるのだ。
パタン、とドアが閉じると、彼はそれこそ手品師のように右手を胸のところに添えて、お辞儀をした。ぱちぱち、となぜか素子が笑顔で拍手をした。
「
「来たね、金出佐くん。先生も僕も木枯くんも待っていたよ」
見槻は体勢をもとに戻した。
ソファに並んで座り、依城寿仁亜の説明を聞いていた木枯木太はその言葉に顔をしかめたが、彼はいつもこうだ。出会ったばかりのころこそノリの悪いやつだとちょっとムカついたりもしたが、いまでは慣れっこだし、なんとも思わない。いや、……からかい甲斐があるという意味では、なんともは思っているのかも。
ちなみになぜ寿仁亜と木太が向かい合ってではなく並んで座っているかというと、向かいのソファには寧寧々と可那利亜が並んで座っているからだった。そちらはそちらでなにやら深刻な話をしていたらしいふたりは、それでも、見槻がちょっと笑いかけると、それぞれに反応を返した。寧寧々はまるで意識していないのではないかというほど小さな笑みとともに小さな会釈をして、可那利亜は大ぶりの笑顔に、まるで親しい相手にそうするかのように大きく手を振って。
寧寧々とも可那利亜とも面識はない。だが――見槻はどうも、可那利亜に目を奪われた。……これは、そうかもしれないな。自分で勘づいたことがあって、これは、あんまりよろしくないなあ、と心のなかでだけ見槻は苦笑いした。
だから、当たり障りのない対応をしておくことにした。
「ども、冴木先生の二番弟子の金出佐見槻っす。対策本部に参加させてもらうんで、よろしくー」
「ああ、よろしく。私たちも対策本部に参加するのだが、詳しい自己紹介はいったん人が集まりきったらと思う」
「よろしくねー、あたし可那利亜っていうの。見槻くんかあ。おしゃれだし、若いよねえ、すてきー。ねえ、若いっていいねえ、ネネ」
可那利亜と名乗る女性のほうが、よっぽど若いと思ったが――ってことは、ますます嫌な予感は的中かもしれない。だからやはり当たり障りのない対応をしていくことにした。いやいや、そんなことないっすよ、お姉さんのほうがよっぽどおしゃれっすー、とかなんとか、言って。誤魔化した、……誤魔化せた。たぶん、誤魔化せた、はず。
金出佐、という名字は、奏屋から派生した、らしい。らしい、というのは見槻自身が成人するまでそのことを知らず、それなりには優秀だったゆえに他人よりもすこし早い成人を迎えた大学生の段階で、急に、父親からそう告げられたからだ。それで、まだ自分ごととして、いまいち実感をもてていなくて。……でも、それがたぶん真実なんだなと思う瞬間は、わりと、多く、あるからだ。
奏屋、という、美しく権力のある、しかし呪われた一族のことは、もちろん知っていた。だがその一族と自分の名字を結びつけて考えたこともなかった。おなじく金出佐という名字をもつ父は、普段のまるでなんにも考えていなさそうな陽気さとは打って変わって、真剣に、悲痛に、どこか悔しそうに、成人した見槻に向かって語った。奏屋に比べれば数は少ない金出佐という一族の、奏屋に比べればこれといった特徴もなく平凡な容姿で社会的立場もまちまちの、奏屋に比べればまだ軽い呪いの、しかし、……たしかに呪いを受けたとわかる金出佐という一族のことを、語った。
金出佐という名字はもともと、奏屋をそばで守る、つまり奏屋を身に添って助けるという意味で、奏屋を守りたい人間たちがみずから名乗りはじめたものだった。最初は
奏屋の人間は美しいが、見た目以外の老いが早く、寿命が短く、最後はほぼ例外なく全員が全身を腐らせて死ぬ。その宿命から奏屋を忌み嫌う人間というのは一定数いて、それとおなじように、奏屋に魅せられる人間も一定数いた。
新しい遺伝子技術の産んだ、因果な一族のそばで生きたいと、願う者たちが出てきた。彼らを手助けしたい。公私ともに。そして、彼らとともに歩みたい――そんな人生に憧れる人間たちが、金出佐というひとつの社会的グループをつくったのだ。
その子孫が、父であり、見槻だった。金出佐のグループの活動は、細々と、しかし着実に続いている。しかし彼らはもはや父とも見槻とも遠縁すぎて、名字だけを形式上受け継いだようなかたちになっていて、基本的には彼らのだれとも交流も面識もないし、ほとんど縁などはない、と父は言った。
『父さんは奏屋という一族に魅せられたわけじゃないんだ』
父は、疲れたように言った。どうして、と見槻は問うた。
『見槻、この話は今夜限りにしてほしいんだ。父さんのほうから話しはじめたのに、勝手と思うかもしれないが、父さんもそう何度もしたい話ではないんだ』
父はそう前置きをして、話し出した。
父はかつて、少年のころ、奏屋の少女を愛してしまったのだということ。
少年だった父は見槻とおなじく、金出佐という名字のことも、その由来すら、知らなかった。ただ、愛した少女が、……奏屋という名字と宿命をもっていただけと、いうこと。
父は、その恋の結末について語らなかった。愛して、そしてどうなったかさえ、語らなかった。ただ、愛してしまったのだと。そのことだけを、苦く、苦く、吐ききるように述べただけだった。
そんな父には質問をすることすら悪いと思った。でもそれでも見槻は、……ひとつだけ、これだけは、やはり問わずにいられないことがあった。
『……父さん、でも、ひとつだけ聞いていいかい』
『ああ、いいよ』
『父さんの愛した、その少女というのが――つまり、俺の母さんなの』
父は、黙った。
父はずっと、不在の母についてなにも語ってくれなかった。幼いころから、見槻がなにをどのように訊いても、ずっと。いつも笑顔で冗談を交えて、でも教えてはくれなかった。
いつからだろう。父のもつ根本的な淋しさに気がついて、察して、自分ももう母のことを尋ねなくなったのは。でも、……そんなに大きなころでも、なかったような気がする。
母の不在と、それについて説明のまったくないこと。
そのぶん、いや、それを補って余りあるくらいに、父は見槻を愛してくれた。父の子どもで、見槻は誇らしかった。母のいないことに対して不満なんかなにひとつなかった。
ただ――母について、なぜなにも教えてくれないのだろうという気持ちを、ずっと心の奥底に沈み込ませてきたのだと、……見槻はこのとき、はじめて気がついたのだった。
父は、はたして。
『……違う、とだけ言っておこう』
振り絞るように、そう言った。
そして。……もうひとつの事実を、見槻に伝えた。
『いいかい、見槻。金出佐の人間は、どうやら、奏屋の人間に惹かれるようにできているらしい。……奏屋ほど、しっかりとした公の記録がないから、推測するしかなかったのだが、おそらくは金出佐の遺伝子も、……奏屋ほどではないとはいえ、普通の人間とは少し異なる、一定のパターンの特徴を、もっているんだと思う。だから奏屋に惹かれる。無条件で愛したくなる、守りたくなる。……だが奏屋の人間を愛してはいけないよ。彼らと私たちは、遺伝子的なレベルで徹底的に相性が悪いんだ。愛しあいたく、なるよ。そういう意味での相性の悪さではなくてね……愛しあってしまったら破滅しかない、という意味での、相性の悪さだ』
父が、自分のことを。
父さん、ではなく、私、と呼んだのは――はじめてだなあ、と見槻はそのときぼんやりと思っていたのだった。……いまは、どうでもいいのに。もっと考えることはあるのに、と思いながら。
……それから、もう十年以上の時が経ったが。
見槻は、じつはいまでも、自分の名字にまつわるその事実をうまく受け止めきれていない。
ただ、奏屋という名字をもつ人間の存在に対しては、妙に敏感になった。
この、可那利亜という女性も――きっと奏屋なんだろうな、と。いままでの経験と、認めたくはないが金出佐としての一種の勘で、……見槻は、そう思った。
たくさんのことがあった、とは言わない。父ほどは、たぶんなかった。しかし、それでも、この十年以上。すこしは、いろいろとあった。それこそもう思い出したくないこと、思い出すだけで、胸が疼いて、もういっそ掻きむしりたくなるような出来事さえも――。
「……よろしくおねがいしまーす。で、先輩、木枯、俺なにすればいいの」
女性ふたりに満面の笑顔で会釈をして、しかし見槻はすぐにソファの後ろから寿仁亜と木太に話しかけた。冴木ゼミを通じて出会った彼らは、いつでも気安くかかわれて、よい。
木太はいつも通りに嫌そうな顔をして身体をずらしたが、それすらもいまの見槻にとってはありがたいことだった。
「うん、いつも通り、攻めのポジションをお願いしたいんだ。そのお得意のマシンガンみたいな攻めのプログラミングを、どんどんやっちゃってほしいんだ」
攻めのプログラミング――自身のプログラミングがそう呼ばれることに、見槻は嬉しさも戸惑いも感じていたが、どちらも薄いといえば薄いものだった。べつに、自分で攻撃をしようと思ってしているわけではないのだ。
そもそもNecoプログラミングだって、とにかく技術さえつければあとは一生稼げる、父さんに恩返しをできるし大好きなファッションも揃えられるし遊びまくれる、というつもりで始めただけのものだった。
自分では、ただ単に、軽いノリでやっているつもりだ。深く考えるのが苦手だし嫌い、というのもある。だから、やりたいことを、ただひたすらにガンガンガンガンNeco言語に乗せる。するといつのまにかプログラムが目の前にできあがっているのだ。
そのぶんミスも多い。だから超優秀者になるのは無理かなと思っていたところ――冴木ゼミに拾われて、ミスはチェックをするから問題ないと当時はまだ院生だった寿仁亜に猛説得をされて、そしていつのまにやら気がついたら、金出佐見槻は依城寿仁亜に次いで銀次郎の二番弟子となっていたのだった。
いまでは、超大手といわれるIT企業で、異例の出世といわれる活躍をしている。役職名や肩書きはどんどんどんどん新しいものに更新されたり付け加えられていって、もう見槻は覚える気力もなくしたが、このままいってしまうともはや経営陣に加われなどと見当違いのことを言われるのではないかと思っている。とくに感慨もなく。
ちなみに、三番弟子は木枯木太である。これは単純に、学年順といえよう。
「いいっすけど、短時間でだと俺ミス出やすいっすよ?」
「かまわない、ベースは木枯ががっちりと守ってくれるし、僕も何度もチェックする。だから、攻撃することだけを考えてほしい。金出佐ほどアタックに長けたプログラミングをできるNecoプログラマーは、ほかにいないんだから」
金出佐、という響きに、可那利亜という女性が振り返った気がした。名前なら、さっきも自己紹介したはずなのに。
しかし見槻はあくまで気づかないふりをして、ちーす了解っす、と言って、ペーパーの資料をひったくるように受けとるのだった。
そして。最後にすこし遅れて、ポジション、女王のジェシカ・アンジェリカがやってくる。
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