ポジション魔王、木枯木太

 面倒そうに扉をゆっくりと開けて、のしのしと入ってきたのは、大柄な男性だった。縦にも大きいが、どちらかというと横に大層、大きい。年齢不詳に見えるが、これでもまだぎりぎり二十代である。鼻が大きく、目が小さい。そこにちょこんと乗るかのように、小さなフレームに小さなレンズの眼鏡が収まっていた。ぱっと見では気がつかないが、プラチナでできた、高級な眼鏡だ。

 服装には気を遣っているようだった。グレーを基調としたスーツ風のアカデミックフォーマルスタイルは、有名なブランド店のオーダーメイド。腕にはシルバーの細工が細やかに施された上質な腕時計。派手ではないが、全体的に調和がとれ、じつは驚くほど高額なものばかりで揃えていた。

 ただ、それであるのに、洒落たという印象をふしぎと与えない人物でもあった――その小さな目が、ぎょろぎょろと独立した生き物のようにあたりを見回す。愛想の欠片もなく、警戒心が剥き出しで、不満そうで、不機嫌そうだった。

 それでいて、どこかふしぎな自信の感じられるたたずまいでもあった。


 ドアは、開きっぱなしで部屋に入ってくる。素子がすかさず洗練された動きでそのドアを閉める。そんなことなど気にも留めないといったようすで、のし、のしと、彼は銀次郎の座りその後ろに寿仁亜の立つデスクに、歩いていった。素子だけでなく、寧寧々と可那利亜は目にも入っていないというようすだ――もっともそのふたりも、自分たちの話し合いに夢中になっていたので、ある意味では好都合だったかもしれないが。


 彼は銀次郎とパソコンのあるあたりを、じっと見下ろした。銀次郎はいま重要なところなのか、集中していて顔をあげない。まるで代わりとでも言わんばかりに、寿仁亜は彼に向かってにこりと微笑みかけた。


「来たね、久しぶり、木枯こがらし

「……こんばんは。依城先輩」

「うん、こんばんは。どうも大変な状況らしいけど、今回は全員揃うらしいから、諦めずポジティブに頑張ろうね」


 木枯木太もくたは、げえっと言わんばかりに顔をしかめて少し舌を出した。


「……や。その。ポジティブにはなれんですし、諦めるときゃあ諦めますが」

「ははは、そっか、そうだよなあ。木枯はそういうふうに考えるひとだ。嫌いじゃないよ、僕、木枯みたいな考えかたも。それに意思が一貫しているし、しっかりとしていて、良いよね」

「……はあ」


 それをこの先輩から言われたのは、いったい何回目だろうか。何百回目?

 いちいち長所を見つけて誉めようとしてくるので、大変収まりが悪い。このひとはだれに対してもそうだ。全員の長所を無理やりに見つけるのは、けっきょくのところ全員をけなしているのとおなじと木太は思うのだが、どうもこの先輩の言葉を変えるなら、彼と自分は考えかたが根本的に異なるようだ。


 だが、それであっても木太は寿仁亜がけっして嫌いではなかった――木太のいう、嫌いではない、というのは、つまり滅ぼすほどに憎くはない、ということを意味するけれど。

 寿仁亜は一見ただの偽善者だ。偽善者は、善人よりはマシだが、やはり反吐が出るほど嫌いだ。だが、寿仁亜は偽善者は偽善者でも、ただの偽善者ではないことを木太はもはや知っている――彼は彼でひとつの美学があり、矜持があり、築きたい国があるのだと思う。

 築きたい国を築くということは、つまりそれまでの国を滅ぼすということだ。ということは、木太に言わせれば、寿仁亜はいつでも笑顔で穏やかな偽善者だけれど、それはあくまで築きたい国を築くための方便あるいは技術であって、ほんとうはなにかを滅ぼそうとしている――その炎が見えない木太でもないから、寿仁亜の偽善は、許せてしまったのだ。


 それに、寿仁亜にはそれだけの能力も実績もあることを木太はよく知っている。木太のほうが学年がだいぶ下だという事情もあるのだろうが、それを差し引いても、寿仁亜は木太を焦らせるのに充分なものを多くもっていた。


 区切りがついたのかもしれない。銀次郎は、顔をあげた。


「おう、木枯。待ってたぞ。二番目だな」

「……はあ」


 ふたりの会話は、それだけだった。それだけでふたりとも充分なのだ。銀次郎は木太を必要として、待っていたし、木太はそれに応じてここまでやってきたので、それ以上とくに言うことはない。そして、それで充分に、銀次郎と木太の師弟関係が成り立っている。

 互いに、師匠だの弟子だのは基本的に要らない性分だ。それであるのに明確な師弟関係を自覚的に結んでいる。それだけで、ふたりの信頼関係は充分すぎるほど充分なのだった。


 銀次郎は顔を伏せてタイピングの作業に戻った。やはりその代わりと言わんばかりに、寿仁亜が木太に向かい直った。

 銀次郎と寿仁亜のあいだには、それはそれで、師弟関係がある。寿仁亜はよく銀次郎の助手みたいな仕事もおこなう。一番弟子ということもあるのだろう。だが、ではそれで銀次郎と寿仁亜の師弟関係に対してなにか思うところがあるかといえば、それはまったくないのだった。嫉妬も悔しさもなく、ただ、それはそれでと青空のように思えるのだった。そのことも、木太にとっては珍しいことだった。


「木枯、ご覧の通りまだみんな揃ってない。でも、事態が急ぎだということは、わかるよね?」

「まあ、それは」


 概要を読んだ。ニュースにもなっている公園事件。

 まだ、これがNecoの関連する事件だなんて思わなかった一昨日や昨日。異次元空間と化した公園の前で、レジャーシートを敷いて家族だの友人だのなんだのを待っている人間どもを見たときには、消えたやつらなんざそのまま消滅しちまって一生帰ってこんでいい――そう思ったものだが、まあ、Neco関連の事件ということがわかり、かつ冴木銀次郎がその対策本部のリーダーとあれば、それはそれ。解決に向けて、協力せざるをえない。



 木太には、家族も友人もいない。いや、自分でそう思い込んでいるだけなのかもしれない。家族と呼べる関係の人間はいちおう存在しているし、こうして大学の冴木銀次郎ゼミの知り合いもいる。だが、木太に言わせれば、家族も友人もそんな親しげな関係の相手は、いないったら、いないのだ。

 人間ならば全員殺したい。滅ぼしたい。それほどまでに、憎い。それが、彼の本音だった。


 木太は、けっして優秀者ではなかった。子どものころにはとくにそれが顕著で、どちらかというと遅れを心配されているほうだった。クラスメイトや同級生たちにも、そのことは明らかだった。

 加えて、むかしからこの容貌、体型だった。どんな見た目をしていようが、たとえ、醜かろうが、優秀であればさほど問題ではない。優秀者をけなすことはできない。優秀者は、社会に貢献するすばらしい存在として崇められる。容姿の自由さえ、保障される。

 だが反対に劣等であれば、それは問題になってくるということだ――劣等なんだから、優秀者のもつものを奪って生きてるようなものなんだから、せめて他人を不愉快にしないように、礼儀、行動、そして容姿に至るまで、なにもかもを気をつけなさい。

 そう教えられてきたし、それは実際、社会の当たり前だった。


 豚、と言われて木太は育った。

 クラスの、優秀なイケメンや、優秀なブサイクや、優秀な女子に、醜い豚と言われ続けてきた。

 こちらのほうが劣等だから逆らえはしなかった。

 ときには豚の真似事をさせられた。滑稽な、豚の鼻や尻尾の飾りものを装着させられ、教室の床に這いつくばってブーブーと鳴く木太を、木太よりも優秀なクラスメイトたちはエンターテイメントとして楽しんだ。これこそが優秀者の権利だよなあ、と優秀者どうしでうそぶきながら。

 人豚ひとぶたと木太は呼ばれた。

 人権を、正式に剥奪されてさえいないのに。


 一生、思い出したくはないできごとだ。


 家族は、助けてはくれなかった。家族は優秀な兄たちに夢中で、劣等で、豚な木太のことなど、どうでもよかったのだ。見て見ぬふりも、あいつらと同罪だと思った。


 木太はそうやって人間を信じなくなり、憎むようになった。

 そして、ただ自分が優秀になるために、なるために――足掻いて、強くなり続けて、そうしてやがて、このエリア全体のインフラを管理する仕事に就いて、いまでは優秀者の部類に入って。インフラ管理の仕事で着実に大きな実績を積み上げ続けてきて。このまま実績を積み上げれば、超優秀者にも手が届くことがわかってきて。

 その過程で、いまや自分よりも劣等になったかつてのクラスメイトや同級生たち、家族に、ささやかな滅びの復讐をしたけれど、それはされたことに比べたらほんとうにささやかなことだったと、木太は思っている。

 そういうのは、ありきたりな話なのだと――木太がそう知ったのは、新時代情報大学での大学生活も、終盤に差しかかってきたころだったけれど。



 目の前では、劣等などという言葉とはまるで縁のなさそうな大学の先輩が、自分に向かってきらきらとしたまっすぐな振る舞いで、やるべき説明について、説明している。


「急ぎだから、みんなの到着はまだだけど、やれることには着手してもらいたい。だからとりあえず、木枯にやってほしいことは僕から説明しようと思うんだ。僕はいちばん最初に到着しただろう。それで先生の話をおうかがいして、暫定的な問題の全体を見てみて、みんなになにをやってほしいかの方針は見えたから」

「……先輩って」

「ん、なんだい木枯」


 いまさらのことを、木太は言う。


「俺みたいな人間に対しても、フツーっすよね」

「ええ?」


 まるで理解できない、とでもいうかのように、寿仁亜はきらきらと笑った。


「普通に扱ってるつもりは、ないんだけどな。もしそう捉えてしまったのだとしたら、ごめんね。木枯ほどの実力があるひとを普通に扱えるはずがないからね」

「……はあ」

「木枯の構築するベースシステムがなければ、今回のプロジェクトは正直に言って成功する見込みがかなり低くなる――今回だけではない、いつもそうだね。木枯のベースシステムは、いやあ、やはり、すばらしいよね。意思が一貫しているし、しっかりとしていて、良いよね。なくてはならないものだよ」

「……そうすか」


 いったい、この先輩、どこまでわかっているのか、いないのか。……ポジション国王とか呼ばれてはいるが、その実、化かし狐みたいな男め。

 ただ、たしかにこのゼミを通して知り合った人間たちは、教授も先輩も後輩も、滅ぼしがたいなとは思うのだった。

 木太の夢は、いつか自分のNecoプログラミングで世界全体を破壊して、憎い人間は全員滅ぼすか従わさせて、自分の国をつくること――しかしいざその日がくるときも、彼らだけは、ほっといてやってもいいかもしれない、とは思うのだった。……自分らしくない、と湿った自己嫌悪を感じつつも。



 そして、次にやって来たのは――ポジション、帝王、だった。

 ……彼とポジション女王、ジェシカ・アンジェリカで、全員が揃うことになる。

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