事態が、動き出す

『それと』


 来栖春のメッセージは、表示され続ける。


『このプログラムは、送信はできても、受信システムをどうしても構築できませんでした。申し訳ありません。でも、ひとまずはそれでいいと思っています』

「あんだよ、それはよ」


 もちろん、そのような状況下であれば、受信システムを構築するのは大変困難だ。もちろん――わかってはいたが、銀次郎は苛立った。こちらからのメッセージを送ることができれば、大層、もっと楽だろうに。


『それよりも、優先順位の高いことがあるからです。それは、この世界で、この限られた状況で、プログラムをつくるということです。僕はこれから、このままプログラムをつくり続けるつもりです。でも、この世界のなかで作動させるのは、難しそうです。実行環境がないので……。ですので、先生にお願いしたいことというのは、僕のつくったプログラムを、チェックして、実行していただきたいということです。そうすれば、この世界の座標軸のずれは解除されて、みんな助かるはずです。すみません、ほんとうに厚かましいお願いと、わかっているのですが』

「厚かましい、本気で厚かましいに決まってんだろそんなん。それに」


 銀次郎はテレビを見た。

 テレビの映像は、いまだ進展のないということを示し続ける。その後ろにある巨大な虚無――そこから目を逸らすかのように、銀次郎はモニターに視線を戻した。


「……もし俺が、断ったら。そうでなくとも。もし、俺が気づかなかったら。もし、俺のところにこのメッセージが届かなかったら。……おまえはどうする気だったんだよ」

「来栖くんって、当時からそういう子でしたよねえ。慎重なようでいて、たまにちょっとびっくりするようなお願いごとをしてきたり。でも……結果的に、それでどうにか卒業していったんですよね」

「あれはな、俺が、面倒を見てやったからだよ。おまえ、こんなんで社会に出て通用すると思うなよって、俺がどんだけ説教したことか」


 ふたりの会話は、聞こえてないはず。

 けれどもまるでその会話のないように呼応するかのように、メッセージが浮かびあがった。まるでなにかをすこし躊躇するかのような速度で――。


『自分でも』

『考えなしだと』

『思います』

『でも、』

『いまの状況は、ぎりぎりで』

『こうする以外に思いつきませんでした』

『これが駄目なら』

『僕は、死ぬことになりますから』


 銀次郎は、両手で頭を掻きむしった。


「だあら、いったいどういう状況なんだよ……!」


『だから』

『先生に届いているかは、こちらからはわかりませんが』

『こうしてお願いするしかないです』

『お願いします』

『届いていたら、どうか。先生』


 銀次郎はさらに頭を掻きむしったが、唐突に顔をあげた。


「来栖のやつ、うるせえっ、そんなん言われなくともこりゃ大事件だ。どうにかするしかないだろうよ、Necoにかんする原因があるってんならなおさらだよ、Necoの第一人者の俺様が解決してやるしかねえだろ」

「やるしか、ないですものねー」

「……しかし、あいつ。俺にプログラムをチェックしろだ、実行しろだ? つまりは俺にサポートをやれってことじゃねえかよ。とんでもねえ学生だよ。覚えてろよ。こんな状況じゃなけりゃあな、俺様がいまさら、他人さまのサポートに回ることなんざ、ぜってえにありえねえんだからな。――状況が状況だからだよ!」


 銀次郎は、ある種の覚悟を決めて。

 コーヒーを一気にごくごくごくと飲んだ。

 音をたてて、コーヒーカップを置けば――その目は血走るかのように光り、彼が本気で事態を動かすことを示す。それを見てとった素子が、デジタルメモを手元に出し、指を動かして記録を始めた。


「素子、いまからやってほしい至急の仕事を頼む。まずは教務課に連絡。採点業務はほかのだれかに回す」

「深夜の連絡と、期限直前での約束不履行。社会評価ポイントの損失は免れませんが、かまいませんでしょうかー」

「かまわねえ。いまはそんだけのコストを払う価値のある状況だ。それに、俺のこれからやるこた、社会全体の利益にもなることだ。あとでいくらでも申し立てはできる。社会評価ポイントなんざ、いまはいくらでも支払ってやるよ」

「かしこまりましたー」

「それと、採点業務の代理を引き受けてくれるやつも見つけてくれ。そうだな、国立学府の駿河するが先生が最近は手が空いてると言ってたな。ただ駿河先生に対しては失礼なお願いかもしれん。少々心もとないが、ローカルプログラム大の鹿浜しかはまか、なんだったら院生のあいつだ、江東えとうにチャンスをやってもいい。もちろん相応の謝礼は出す」

「そちらも、かしこまりましたー。失礼でなく、そのひとのためになる、という意味でしたら、江東さんがよさそうでしょうか。でしたら、差し出がましいですが、おなじく院生の久保田くぼたくんも候補のひとりとして検討されてはいかがでしょうか」

「久保田か、そうか久保田でもいい。あいつも最近がんばっているからな。ここでひと仕事やらせたっていい。うん、そうかたしかに、江東と久保田に分担させてもいいな。相互チェック監視システムを導入すれば成果も確実にあがるはずだ。ただその場合は鹿浜かだれかに最終チェックを頼むことにする。とりあえず、三人に当たってみてくれ」

「かしこまりましたー。こちらも深夜連絡だとすると社会評価ポイントの損失が見込まれますが、かまいませんでしょうかー」

「かまわねえ。三人にはこっちの損失以上に、色つけて社会評価ポイントを与えておいてくれ」

「連絡だけ、の段階で、与えてしまってかまいませんか」

「そういうことだ」

「かしこまりましたー」


 銀次郎と素子とのやりとりに、具体的な数字は出てこない。具体的な数字はこれでもかというほどやりとりし、こういう場合にはこうすると、協定を結んできたふたりだ。素子はその協定のなかでずいぶんうまくやってくれる。だから、銀次郎は素子を信頼して、こうしてアバウトな指示を出したりするし、素子はそのアバウトさに厳密に応える能力と、確固とした職業倫理がある。


「それと、学生たちは俺の採点とフィードバックも含めて価値とみなし、この授業を取ったはずだ。詫びとして、二回の補講を全受講者に対して無償でおこなう。その旨も教務に伝えてくれ」

「僭越ながら、ひとまずはお詫びの文章を、教務課を通じて学生のみなさまに出していただいたほうがいいかとー」

「それもそうだな。そうしよう。数日中には掲示できるように」

「かしこまりましたー」


 ふたりがやりとりをしているうちに、画面にはまたメッセージが溜まっていた。こういうふうにプログラムをチェックしてほしい、こういうふうに実行してほしい。春の要求することは、だいぶおおがかりな作業システムが必要になることだった。

 そして、ひととおりの説明のあと――もうひとつのお願いが、ポンと、画面に表示される。


『それと、いくつもお願いごとをして、申し訳ありませんが』

「いまさらだよ」

『高柱寧寧々という生物学の先生を、ご存じですか』

「――ああ」


 だれだ、と思ったのも束の間、薄汚れた白衣でだるそうに煙草をふかす長髪の人物のすがたが、ぼんやりと脳裏に浮かんできた。

 研究者の世界は、広いようで狭い。

 銀次郎も超優秀者で、高柱寧寧々も超優秀者――超優秀者どうしは、意外なところで接点があったりする。そしてそれは、けっして珍しいことではない。

 

 銀次郎は記憶をたどる。

 高柱寧寧々は、たしかいわゆる再生生物学で有名な研究者だ。その独自の研究で、名高くもあるし、悪名高くもある。たびたび、研究者仲間のあいだで話題になる人物でもある。

 銀次郎も、院生のころから研究者である現在に至るまで、なんどか合同の学会やイベントで顔を合わせたことがある。銀次郎も喫煙室を利用するし、彼女も利用する。だからそれですこし印象に残っていた、というのもあるだろう。

 ただ、特別親しいというわけではないし、個人的な付き合いはない。


 なぜ、来栖がそんな別の畑の研究者と――気になったが、彼が語らなければ知るすべはない。いや、……高柱寧寧々本人から聞き出せば、あるいはわかるのかもしれない。


『すみませんが、そのかたに伝えていただきたいことがあります。ほんとうに、これは僕のわがままで、ほんとうに、申し訳ないのですが、それができなければ、僕はこのプログラムをつくって助かる意味も、なくて』

「――あああ、うっとうしい、こいつ、こういうとこだよなマジで。そんなふうにくどくど言われたらよお、こっちのやる気がなくなるだけじゃねーかよ。おい素子、もうひとつ仕事を頼むよ。生物学者の高柱寧寧々って人物にも連絡してくれ。深夜連絡の社会評価ポイントはたんまりやってかまわないから」

「かしこまりましたー」


 そして、素子は通話ツールで方々に連絡を取りはじめた。大層、丁寧な話しぶりで。

 銀次郎は腕組みをして、モニターを睨んでいる。――さてどうしようかと、思案しているのだ。

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