昨日の続きを

「……気持ち悪い」


 影さんは、心底軽蔑したような眼差しで僕を見てきた。

 その後ろには、広場のひとびと――みな、似たり寄ったりの、とにかく僕を嫌悪する顔で僕を見ている。


 ……どうでもいいけど、午後の光が水晶に反射して、きらきらと光っている。スケート場みたいだ。ペットを連れていっていいスケート場なんかも、あったのかもしれない。南美川さんがあのうえでつるつると滑ったら楽しかったろうか――そう思って、でも彼女は散歩が嫌いなのだから、とあらためて思いなおした。……どうして、いまこんな、どうでもいいことばかり僕は思っているのだろう。


「どうして、そんなに、どうでもよさそうなのですか。自分の、ことですよ。あなたは、いま、自分がゆるされない、と。それなのに、どうでもいいという顔をしているのですよ?」

「やっぱり、……そう見えます?」

「そうでしかないですっ」


 影さんは、声を荒げた。


「……どうして、なんですかね。でも、僕は、……みなさんのおかげで、自分の罪がよくわかったわけですし」


 思ってもないことを、僕は言う。


「それで、いいんじゃないですかね」

「ほんとに、気持ちわるいひと、ですね……!」


 影さんはそう言いながら、距離を保ったまま僕の胸に手をかざした。

 ぼわりと、両手でかかえるほどの大きさの赤い球体が出てきて――なるほどこれが僕をゆるさないという結果か、と思った。ゆるしているひとがひとりでもいれば、このなかに青色が混ざったのかもしれない。


「残念ながらあなたはゆるされませんでしたっ」

「そうですか。……それは、ほんとうに、残念です」

「だから、だからっ。あなたは明日から、さばかれることに、なりますしっ。さばきの結果、あなたの罪が、ついに確定したら――あなたはみそぎ、そしてころされます!」

「それは、怖いですね」

「他人ごとのように……!」


 いいや、これは自分ごとだ。怖いというのは、ほんとうだ。さばきやら、みそぎやら、ころしやらのことではない。間に合うか――その計算が、頭のなかの計算が、ほんとうにそうであるのか、怖いのだ。


「あなたはゆるされなかった罪人なのですから、本日もそこでそのまま、両手を紐でしばられ、棒につながれたままに、過ごすのです。罰を受ける前に死なれても、困ります。わずかの砂糖水は、あげましょう。でも、それだけです。ひもじくても、なにもあげません」

「わかってますよ、それくらいは」


 影さんは、苛ついたような顔を見せた。けれどもなにも言わなかった。もう、なにを言っても無駄だと思ったのかもしれない。それでいい。そう思ってくれたほうが、都合がいい。



「みなさん!」



 影さんは僕に背を向け、広場のひとびとに向かって高く両手を挙げた。ひとびとは信頼しきったようすで、影さんの語りかける一挙一動を見ている。


「この罪人は、みなさんの決定により、ゆるされないことが決定いたしました。みなさんの賢明な判断だったと思います! よって、この罪人は明日からさばきに移行します。そのときこそ天より罪人がさばかれ、きっとみなさんの判断こそが正しかったことが証明されるでしょう!」


 拍手、喝采。


「もう本日ここには用はありません。向こうに、虹の神さまがふかふかの世界を用意してくださいました! おいしいものも、どっさりあるし、あたたかいお風呂、あたたかいお布団で、眠ることができます。……ここにいる、罪人とは、大きな違いなのです! それは、当たり前です。罪人には、罪がある! みなさんには、罪がない!」


 ……ひとびとは、やはり盛り上がっているけれど。

 影さん。やはり、僕は思う。筋違いなのだろうけれど、思う。


 なにがそんなに、彼をそこまで駆り立てているのだろうか。

 やはりどうにも、……言わされている、そのような気が、否めない。まるで人格が変わってしまったのではないかと思うくらいに、このひとは――なんどもなんども、そうやって、……そんなふうに尖った言葉を、繰り返す。



 影さんは最後に僕を冷たく一瞥して、ひとびとを先導していく。ひとびとは、僕を睨みつけたり、腹を蹴りあげたり、唾を吐きかけたりしていきながら、影さんに続いていったけれど……こういうことをされるのが初めてではなくてよかった、と僕はつくづく思った。睨まれるのも、蹴られるのも、唾を吐かれるのも、慣れている。もっとひどいことを含めて、……高校時代に、やり尽くされているのだから。このくらいでは――僕は、まだ。


 そして、広場は。

 あっというまに、静かになった。

 ……夕暮れが、はじまっている。

 空がすこし紅に染まってきている。それ以上に、夕暮れが空気全体に染みてきている――とってつけたような、機械鳥の鳴き声。まだこの世界に、機械鳥はいたのか。



 ……大きく、息を吸って吐いた。

 南美川さん。ぶじだろうか。本日の歩行ノルマは、果たせそうだろうか。葉隠さんは……約束を守ってくれただろうか。


 わからない。僕には。もう、信じるしかない。

 南美川さんもきっとがんばってやるべきことをすべてやってくれていると信じたうえで、自分の、なすべきことをなさねばならないのだ――。



 ……思い悩んでる、ひまもない。

 僕は、小さく口にした。

 他人が見れば、ぶつぶつとひとりごとを言っているだけに思えるような、内容を聞き取れない程度の大きさの声で。でも、発音だけははっきりと――そのコードをつぶやいたら、……さあ、昨日の続きがはじまる。今日はどこまでつくれるか。わからない。でも、眠れなくたってかまわない。いまはほんとうに時間がない。死にもの狂いでやらなければ――この世界では、ほんとうに、死ぬのかもしれないのだから。



 僕はつぶやき続ける。夕暮れは深まっていく。

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