ゆるしのフェーズの説明

「僕が、ゆるされて」


 皮肉めいて言わないようにしよう――そう思っていることじたいがすでに、僕がこの状況を皮肉めいて捉えてしまっていることの、なによりの証だったろう。


「僕が、じゃあ、ゆるされたとして。どうなるんですか、その後は」

「みんな、平和になります。ここにいるひとたちも、司祭も、そして犠牲になってしまったひとたちもみんな――助かるのです」

「それは影さん、……あなたに神が語りかけているんですか」


 司祭の格好をした影さんは、いかにもといったふうに、ゆったりとうなずいた――神、彼にとってはそれはもう、……まぎれのないもの。その正体がなんであろうとも。


「すべてのひとがひとしく、ゆるされていなければ、ならないのですよ。この世界は」


 影さんは、ゆったりと群衆を見回した。

 すがるひとたち。祈るように。身体を折って。……吐き気を催しているときみたいに。あるいは、僕を堂々と指さして。

 あれこれと、ぺちゃくちゃと言う。いわく――。



 みんながゆるされなくっちゃ。

 そうよ、そうでなければ。

 ゆるされないんだもの。

 私たちも!

 俺たちも!

 ゆるすためには。

 ゆるされなくっちゃ。

 ゆるされるためには?

 ゆるさなくっちゃ。


 でも、ゆるせるかしら。

 さあ、どうかしらね。

 罪人を。

 とんでもない罪人だわ。

 悪人よ。

 いえ、単に腐っているの。

 劣等者なの!

 でもゆるさないと。

 ゆるさないと?

 だって私たち助からないじゃない。


 どうすればゆるせるのかしら。

 ゆるせると思ったらゆるせばいいんだよ。

 そんなときがくる?

 なにを知ればいいの。

 なんにも知らなくていいの?

 いいやそれだとゆるせないもの。

 ゆるせない?

 ならそのままだって、いいじゃない。


 そうよ無理にゆるすことはない。

 そうだよでもゆるしたかったらゆるそうね。

 ゆるしたくて、ゆるさないと、ゆるしだって、ねえ。

 意味のない。

 意味がないものになっちゃう。


 だから心底、ゆるそうね。

 心底彼を、ゆるせると。

 そう思ったら。……救われるのに。



 ……ここにいる、たくさんのひとびとの。

 最初は、てんでばらばらだった言葉は、いつのまにか……ひとつの合唱のように、まとまっていた、――僕はそれだけで背筋がぞっとする。



「ゆるしのフェーズというのは、簡単ですよ罪人さん、本来は説明する必要もない……」


 影さんは、やっぱり。おっとりと、微笑んでいる。


「でも。フェアプレーのために。説明しろと、虹の神さまもおっしゃる、ので。説明します。つまり、ですからね。簡単です。……あなたがここにいるみなさまに、ゆるされれば、よいのです」

「それも、心底から、ってやつですか」

「そうです、そうです」

「ゆるされる、といったって。……僕はいったいこのひとたちになにを、ゆるしてもらえばいいんですか」

「それは。あなたの罪を。存在じたいを」


 笑い飛ばしたくなるのを、堪えた――僕の存在をゆるす? 無理だ、そんなの、無茶苦茶だ。だって僕だって自分自身の存在をゆるせていない。僕なんかの存在をゆるせる人間が……この世に、いるわけはない。


「……それは、よくわかりませんけど。ここにいるひとたちに、つまり僕のことを好きになってもらえという話と、おなじですか」

「いいえ。違います。あくまでも、あなたに必要なのはゆるし」


 でも、僕にはどうにもそういう話に思えて仕方がなかった。ここのひとたちに好かれれば、たぶん僕はゆるしてもらえるのだ、たぶん。でも僕がそもそもそういう人間であったら、……そもそも、こういうことにはなっていないし。


「ゆるしのフェーズのあいだ、あなたをあの棒に、拘束します」


 ああ。やっぱりね。……予想は、ついていたけれど。


「ゆるされる、ため、です。ご理解、いただけますね」


 僕はなんにも言わずに、こんどこそ薄く笑ってしまった――僕が理解しようがしまいが、そんなことはほんとうにほんとうに、……ここでは、どうでもいいことのはずなのに。

 それがやたらと滑稽で、……おかしくて。


 なにがおかしいっ、と僕をここまで運んできた男のひとりが言ったけど、僕はその顔を見て、本気で怒っている顔を見て、またしても、……おかしくなってしまった。

 

 いや僕はそもそもがおかしいんだ。わかっている、そんなこと。じゃあたぶん僕がおかしく思うのは僕がおかしいんだろうな。僕が、すでにおかしくなってしまっているからなんだろうな。そう思うとさらになんだか、滑稽で、おかしくて。



「おまえっ」

「司祭さま。もう、こいつ、くくりつけていいですか」


 ふたりの男のうちひとりは、激高して、拳を振り上げて。もうひとりはまあまあとそのひとりを宥めるようでいて、僕をその得体の知れない棒にくくりつける気、満々だ。



「ええ。どうぞ。……ですからね、罪人さん。ここにいる、すべてのひとに。きょう、この日が、すべてとっぷりと暮れて終わってしまう、前に。……あなたは、ゆるしてもらわなければ、ならないのですよ。ここにいる、すべてのひと、ひとり残らずです――そうでなければ、どんなに、ああ、おそろしいことになるか!」


 影さんは、天に両手を高く上げ。

 広場のひとびとは、それにいちいち感動して、声をあげたり、信じられないことに泣き声もあげたりしている、けれど。



 僕はだからひとり思う。

 ……どうだっていい、ほんとうに、どうだっていいよ、そんなこと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る