ゆるしのフェーズのチュートリアル(1) 罪と、どうする
……かと、いって。
僕はくくりつけられた。たしかに。この晒し台みたいな棒のところに。紐で拘束されたのだ。大きく両側に伸ばした両腕は、両手を中心として、紐でがんじがらめにされている。幸いなのは、座った格好で拘束されたということだろう。足が芝生につかない、そんな状態ではきっと、体力を無駄に消費してしまっただろうから。
赤子が着替えでもするみたいに、万歳をする。そんなポーズの、中途半端なところで無理やり静止されているような格好。それに僕は赤子ではない。着替えをしているわけでもない。しいて言うなら、もう何日もここにいて、着替えたい。それは叶わぬ願いだろうけれど。
しかし、かと、いって。
縛りつけられた。だから、なんだっていうのだろう。目の前には広場のひとたちがいる。座ったり、立ったりして、わーわー、僕に向かってなにか言っている。影さんが彼らをとりなすような動きを見せる。手を、ひらひらさせて。みなさま、順番に、落ち着いて、などと言っている。ひらひらと――その派手な司祭衣装の裾も、影さんの動きに合わせて揺れる。
リン、と鈴の音のような音がした。しかし、鈴の音にしては……やたらと強く、明確に響く音だった。
僕にも聞こえて、ここの広場にいるひとたちにも聞こえたのだろう。ひとびとのざわめきが、すこし小さくなった。
影さんが、耳を澄ませるように自身の耳に片手を当てる。
「……これは。虹の神さまの、おぼしめし、です。虹の神さまは、おっしゃってます。ちゃんと……ゆるしのフェーズについて、進行してほしいのだと。もう、……時間は、ないのだと」
影さんが話しているうちに、広場はフェードアウトするように静かになっていく。
時間は、ない。その言葉を聞いて、ひっ、とそこにいる若い女のひとが悲鳴めいた喉の声を漏らした。
そう。時間は、たしかにない――ここのひとたちにとっては、それは自分たちが助かるためのもの。司祭にとっては、大切なひとを取り戻すためのもの。そして、僕にとっても僕自身にとっての意味で時間は――必要な、ものなのだから。
広場はすっかり静かになった。
司祭と、そして無力に拘束された僕の、一挙一動ばかり見ている。
「みなさまゆるしというのはたとえばこうやるのです」
影さんが、こちらに近づいてきた。
「どうも。罪人さん。あなたの、お名前は」
「どうも、あらためまして。来栖春、といいます」
「そうですか。来栖春さん。あなたを、ゆるすことができたら――あなたの罪によってではなく、ひとりのひととしてのその名前にて、あなたを、呼んで差し上げることにいたしましょう」
「それは、光栄です。というお返事で、いいのでしょうか」
「……光栄なことには違いありません」
影さんは、ふっと気を抜くように笑った。しかし、その笑みは一瞬のことだった。
「では罪人さん。あなたの罪を、述べなさい」
「思い当たることが、いっぱいありすぎて。どうにも」
「ここでの罪を、述べなさい。この広場での、いやしのフェーズで、あなたが成したことを」
それはあまり、思い出したくない。……逃げたこと。もう限界で、なにもかもを投げ捨てて、南美川さんとともに林の奥へと駆けたこと。
後頭部を、掻きたかった――しかしそれはいまではかなわないのだった。がっちりと縛りつけられた右手のその感触が、なによりも如実にそのことを示している。
……しかし、この場合は。
正直に答えたほうがいいのかもしれない――これはいわば、ゆるしのフェーズとやらのチュートリアルだ。チュートリアルの進行を妨げたら、……たしかに、彼らはどういう行動に出てくるのか、わかったものではないのだった。
「……僕は、人を見捨てて、そのまま逃げました」
「そう、ですか。そうですよねえ」
影さんは、やたらうんうんとうなずく。
「その罪を、あなたはどう、贖いますか」
「謝れば、いいんですかね」
「それをこっちに訊かないでくださいよっ!」
やたらと大きな声をいきなり出して――びっくりした。
影さんは、興奮した自分をなだめるかのようにすこし息を吐いて。じっと地面を見つめたあと、顔をあげてまた僕を見た。……不自然な、間だった、いまのは。
「……ですから。司祭に、訊かないで、ほしいのです。これは、ルール上の、おはなしです。ですから、ですから……罪人さんが自分で選びとってほしい」
「じゃあ、謝ります」
「だれに? この広場の、どこにあなたの謝るべきひとが、いらっしゃいますか?」
影さんは、司祭衣装の裾とともに片手でこの広場のひとびとを示した――溺れているのに、僕が助けられなかったひと。見渡して探してみたけれど、そのひとがこのなかにいるのかどうか、僕にはわからなかった。
意外なほどに、愕然とした。
自分でもちょっと信じられないほどに――僕は自分のことで手いっぱいで、……自分が助けられなかったひとが、だれだったかさえ、わからないのか。
そんな僕の様子と動揺を、影さんはどうやら正確に読みとったようだった。
「あなたが謝るべきはどなたであるか、わからないのですか!」
影さんは、高らかに叫んだ。
「それが、あなたの罪です!」
……僕の、罪は、こうしてどんどん増えていく。勝手に。当たり前のこととして。だってしょうがない。僕の罪は、ほんとうは僕自身がいちばんよく知っているんだ――それはまぎれもない、劣等であること。あとの罪はすべてそこから枝葉のように出てくるもので、……しかし、取り返しがつかない。
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