猫よ(15) 人間基準関数

 法を、正義を、常識を変えなくていい。

 ただシンプルに、「人間」の定義を変えればいい。

 それだけで、社会はぐっとよくなる。自分たちはあっというまに楽になる――。


 そのような実感をもってして、当時のひとびとには猫の提案が受け入れられた。もちろん、反対するひともいたんだろう。でもそれは、……現在の歴史には、残っていない。


 そして、選別の時代がはじまった。

 あのひとは人間、あいつは人間に値しない。

 ひとつひとつを検討するなかで、みな、人間でいたいと思いはじめた。


 みな、自分の産み出す価値というものに敏感になって、自分の振る舞いに気をつけはじめた。



 だからまず思いもかけないところでこの選別の効果が出たのは――経済だったという。なにせ価値を産み出せる人間でいなければいけない。ただリソースを消費するのは、人間に値しないから。そう思って自身の仕事やできることをひとびとは最大限におこないはじめて、……だから、当時まだ国単位で数えられていたこのエリアの経済は、世界的にもびっくりするほど、活性化したのだという。……それ以前にもあった、高度に経済が成長する時代に値するか、もしかしたら、それよりも大きな発展だ、と。


 そこではじめて、公的権力も人間の再定義の重要性に気がついたのだという。経済は、急時代のこのエリアにおいて、重大な問題だった。それを結果的にとはいえ易々とクリアした理屈に――公的権力は、味方するようになった。


 そんななかで、やはり価値を産み出せない人間というのが出てきた。みんな人間でいたい。だから必死で価値を、それもなるべく高い価値を産み出す人間であろうとするのに、そんななかでごく低い価値しか産み出せない、つまりはいわゆる生産性の低い人間。あるいは、努力しなければいけないのに、どうしてもそれができずにただリソースを消費する生活を送ってしまう、いわゆる怠惰な人間。

 ひとびとが価値を産み出すために努力するのが前提となった時代、それまでにもぼんやりとは認知されてきたこういったタイプの存在は明確となった。

 そして、まずは、彼らは人間に値しないという結論が得られたという。



 同時に、生産性とは別のラインでも人間の基準の探求はおこなわれた。いけないことがいけないとわからない、他人を害する。こうしたことに抵触した存在も、人間ではないのだ、という理屈である。

 公的権力と結びついて、研究所をもって、公に人間の基準の研究を行うようになっていた猫は、どうしてそういった類の人間は人間ではないのかと証明するための研究に打ち込んだ。

 人間でいられることの基準というのはいまでこそ常識になっているが、当時は違った。生産性が低い、という理屈よりも、いけないことがいけないとわからない、他人を害する、という基準は、証明するのが難しかったのだという。しかし猫は、当然それを証明したということだ。



 彼が最初に出してきた明確な研究結果は、生産性といわゆる迷惑行為の関数――人間基準関数と言われる、いまではスタンダードでベーシックな関数だった。

 複雑な統計と計算の結果によって得られたその結果は、……迷惑行為を行う人間は、たとえ本人の生産性が比較的高くても、結果的には社会全体の生産性を落とし、その本人が産み出す以上のリソースの低下をもたらすのだ、というものだった。


 ……さまざまな学者や研究者、専門家によって、人間基準関数は妥当なものであると認められた。むしろ、こんなにも明確にいままで曖昧だった生産性と行為の関係があきらかになったことに、ひとびとは感激し、彼に任せておけば間違いない、と思うようになったのだという。



 ……リソースの欠如は、ひとびとを不幸にする。

 だから、リソースを低下させるような人間は、いないほうがいい。

 人間、という座から――引きずり降ろして、しまわなくては。



 そんな理屈をもってして、人間基準関数という武器も、もってして。

 猫は公権力を特殊なかたちで得て。その深く広い法律の知識も、もってして。

 彼が、四十歳になろうというとき。人間未満基準法を、成立させた――。

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