正当な格差
僕が、そこを見た瞬間。
南美川さんは、くすっ、と笑った。
席、たしかに席だ、席といえば席だ。
教室の後ろ、娯楽がたっぷり用意された研究者志望クラスの、その空間に設置されている。
古代をモチーフにしたゲームに出てくるような、わらでできたマットみたいなもの、つまりは座るスペースがあって。その目の前には、これまたおなじ世界観のような、木でできた、小さくて背の低いテーブルがある。
……言ってしまえば、あまりにもお粗末な。
教室の椅子と机だって、ごくシンプルなものだけれど、このスペースと比べてしまうとずいぶん立派なものだという気がしてくる。それくらいにこのスペースはあまりにも、……はっきりと、ふつうの椅子と机で勉強することとの差異を、あらわしているかのような――。
「昨日、狩理くんといっしょに、バーチャル工作がんばったんだからー。ねっ、そうだよねえ? 狩理くんっ」
南美川さんは、婚約者の腕にわざとらしく掴まった。彼は、ああ、と短く言って、あとはほとんどこの状況に興味が失せたように見えた。だが、――南美川さんは、そうはいかない。
「よかったわねえ。劣等者にお似合いの席よ。ねえ、この工作、タイトルがあるのよ。知りたい? 教えてあげるわ――って、マユ、答え発表する前から笑いすぎ! てか昨日メッセしたときも、めっちゃくちゃ笑ってたのに、まだ笑い足りないっていうの!」
腹を抱える勢いで、南美川さんの友達が笑っている。南美川さんも、もう、と言いながら、でももちろん、楽しそうだ。
「じゃじゃーん。発表します。これからこのクラスの劣等者の席になるー、この工作のタイトルは――偏差値、二十九!」
クラスメイトたちがわっと爆笑した――爆発するように。うまいなー、とか、その通り、とか、やいのやいの言いながら。アートじゃんー、とか言って、そんなんぜんぜん本気じゃないくせに。
なんだ、なにがそんなにおもしろい、……おかしい、僕にはまったく理解できない、いやそもそも理解したくもないけれど。
「どう? シュン。おもしろいでしょう」
だから、……おもしろくはない。
でも、もう状況は違うのだ、僕はその言葉に反論することすらできないのだから――後頭部の髪を掻きむしるように掴むと、僕はそのまま、教室を突っ切ることにした。もう、あの席であることを、受け入れようと思ったのだ。ひとまずは。とりあえずは。
移動の短い数秒のあいだに、いろんな思いが、つかえるようにして、めぐる。
自分の席がどうしていきなりなくなったのか、その理由を問いただしたい気持ちも、もちろんある。おかしいじゃないかと、叫びたくなる気持ちも。
けれども偏差値というのは、そういうことを納得するときに、もっともふさわしく、まっとうなものだ。優秀者が価値を産み出し、劣等者は迷惑をかけるのだから、そのぶん縮こまって生きなくてはならない。与えられる権力や立場やリソースも、もちろんより小さいものでなくてはならない。
そのことがわからないほど、僕は常識知らずでもなかったから――このことはある意味正当なんだろうし、だったら、受け入れるしかない。法律を守るのとおなじことだ、いやもしかしたらそれ以上に、劣等優秀の正当な格差というのは拘束力の強いことだし。
……それに、南美川さんがこうしたい以上、あの優秀者びいきの担任、和歌山に相談しても、埒が開かない気がした。劣等者は邪魔だと言い切る教師。よくいる教師だ。僕はあんまり好きなタイプではないけれど、でも自分自身に害が及ばなければそれでよかった。自分が劣等者のがわになるだなんて、思ってもなかったから。
――わきまえて、生きる。それも、いいものなのよ。
あの手、この手で表現を変えて、僕を普通クラスに留めようとした、高校一年の担任の水入先生――いまもこのおなじ校舎のどこかで一年生を教えているはずだ。二年生になってから、顔を合わせてはいない。……なんだか申し訳なくて、悔しくて、できれば顔を合わせたくない、というのがじつは本音なのだけれど。
でも、……でも、この状況で僕はいったい耐えられるのか、人間として生きていくことができるのか――そう思いながら教室を横断していると、……目の前に真っ赤なハイヒールの足が差し出されて、それにみごとつまずいた僕は、さらにみごとに、バランスを崩して、ほとんど仰向けに倒れ込んだのだった――。
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