翌朝
翌朝は起きたときから頭と身体が鈍くて、精神全体が拒否反応を起こしているとわかった。
学校になんか、もちろん行きたくない。もちろん――でも行かねばならない。
休みたいなどと言って、家族、とくに母さんになにかを勘づかれるのはごめんだった。それにどちらにせよ、出席日数というのはつまり成績にかかわり、成績にかかわるというのは進路にかかわるということであり、すなわち将来につながってくる。よっぽど優秀な一部の人間は別だけれど、僕はどうやらそっちがわの人間では、ないみたいだから。
どころか――。
偏差値、二十九、という数字を思い出したとたんに背筋が震えた。朝食を食べているときだった。
目の前では母さんが食事をする僕を見ている。いつも家族全員にそうするように、テーブルにひじをついて頬に拳を当てて頬杖にして、柔らかい表情で、でもなにも言わず僕を見ていた。
そんな母さんだけれど、僕の体調がちょっと悪そうにでも見えたのだろうか。
「春、どうかした?」
と、ひとこと問いかけてきたけれど、ちょっとだるいだけ、と僕は言葉を返して――ごはんの残りをかきこんで、ごちそうさま、と立ち上がった。
制服で、通学かばんで。いつものスタイル。毎日のこと。
玄関で見送るときにも、母さんはなにか言いたそうな顔をしていた。でもいつものことだ。べつに。母さんはいつもそうだから、べつに――心のなかでわざと吐き捨てるようにそう言って、違和感は、無視することにして、……僕は今度はろくにいってきますも言わず家を出た。
歩くのだ。進むのだ。電車に乗って、……登校する。
簡単なことだろう。足が動きさえすれば。学校を目指そうという方向に心をセットしてしまえれば。あとはいつもの通り、自分が生きているだなんてことを忘れてまるで機械にでもなった気持ちで、進んでいくだけだ。そう、それだけ。それだけのこと。簡単なことだろう――だから僕の心よ、そんなにざわつかないでほしい。いつもの通りだ自分をごまかすだけだ、それですべてが済むのならば――それだけの代償は、たやすいことだろう?
住宅街から駅に向かうひとびとの足音や、駅前、そして駅の、人間のたてる音を、聞くでもなしに聞きながら、登校する。
ひしひしと思った。
学校は、僕を守ってなんかくれない。でも、家族だって、僕をほんとうに守ってくれはしない。
僕を守ってくれるもの――そう思ったら、ホームに風が吹き抜けた。爽やかで、肌に心地よくて、僕がこの世でたったひとりだなんて、嘘だろうって感じさせるような、
校舎は鉛のかたまりに見える。
連れだった生徒たちは朝から楽しそうにはしゃいでいる。
僕は昨晩さんざん考えた南美川幸奈のことを思い出す。
それらの事実が並ぶだけでほら、……こんなにも、残酷だ。
うつむいて教室に入る。だれとも目を合わせたくない。
とりあえず、座らなくては。自分の席に向かう。だけれど――そこに、僕の机はなかった。
どういうことだ。……昨日までは、ちゃんとここにあったのに。
「おはよっ」
背後から。
南美川幸奈――南美川さんは、明るい挨拶をしてきた。僕は顔をあげられない。
馬鹿みたいに、通学かばんを肩にかけたまま。……ぽっかりと穴が開いてしまったような、床が剥き出しになったその場所を、じっと見下ろしているしかない、……それしか、できない。
しかし僕は強制的に動かざるをえなくなる――背中に、容赦ないハイヒールの蹴りが入ったからだ。僕は振り向いた。そうでないと――さらにもう一発、蹴られてしまう気がして。
「挨拶してやってんだよ。無視してんじゃねーよ」
「……おはよう、ございます」
「くっら!」
……暗い、ということだろう。
南美川さんは、げらげら笑う。南美川さんのギャルの友達をはじめ、ほかのクラスメイトたちも、いっしょになって笑う。僕はちょっとだけ笑う。いっしょになって。なにもそうしたかったわけじゃない。どうしてそんなことをしてしまったのだろう、そんなことすら、ほんとうはわからない。でもそうしないと、いけない気がした。そうしないと、ここでは許されないような、ひりつく感触を覚えていた――。
南美川さんの隣では、婚約者が腕を組んでこちらを無表情に見ている。
「あとさあ、シュンの席のことなんだけどお」
南美川さんは、腕を組んで、勝ち誇ったように。
永遠の勝利を手にした、物語に出てくるどこかの国の女神のように――。
「今日から、もう、そこじゃないからね。……ほら。用意してあげてるもの」
南美川さんは、左腕をまっすぐ伸ばして、さし示す――。
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