ハイヒールのかかと

 ――なんでおまえらに謝らなきゃいけないんだ。



 内心、叫んだ。

 でも、その叫びは、通用しない。なぜなら僕は、まだ信じられないけれど、劣等者だ。劣等者は迷惑をかける。そのぶん謝罪して生きていくのは、当然だ。道端で見かける劣等者だって、そうしている。生きていてごめんなさいと叫ばされている、公的な劣等者――つまり人権制限者や人間未満なんてよく見る。日常茶飯事だ。……劣等ならば、存在じたいを恥じねばいけないのは、当たり前で。

 でも――。


「やっぱり、なにかの間違いなんじゃないのか」

「まだ言ってる、あんた、どんだけ認めたくないの? ほらっ、いいからさあ、さっさと頭下げろよっ」


 南美川幸奈はその直後、僕の頭を思いきり掴んだ――頭頂部の髪の毛が引っ張られ、鋭いネイルが突き立てられ、僕は呻く。暴力行為だ、ほら早くNeco、あのワンワン反響する警報を出してよ――Necoは不当な暴力を看過しない、この教室だっていまもNecoが見ているはず。しかし一向に、Necoが鳴る気配はない。それは、つまり、……僕が暴力行為を受けることは、正当だといっているに等しい。この教室全員の試験結果と僕の試験結果は、そして偏差値は、もうデータがいっているということだ。当然だ。Necoは――この社会のすべてのデータを、管理する。

 小学校や中学校のときにも僕は、こうやって暴力を受けかけたことがあった。でも、すぐにNecoの警報がけたたましく鳴って。暴力を振るおうとしたのやつがすぐさま、指導、を受けることになって、暴力を振るおうとしたやつの社会ポイントがちょっと下がることになって、ちょっと劣等になって、それで終わり。だから僕はいくら教室で孤高でいたって、暴力を実際に受けることなど、なかったのだ。いや、でも、暴力だなんて――振るわれかけるだけだって、身がすくむ、……不快なものなのに。


 こいつはほんとうに僕に暴力を振るってしまえるというのか――。


 頭をわし掴みされ、僕の座っている椅子が思いきり、赤いハイヒールで蹴られた。同時に僕の身体は全力で突き飛ばされ、床に打ちつけるかのようにして尻餅をついてしまう。痛い。すでに、痛い。だれか、助けて、Neco、ほかの人間――でもだれにもそんな気配はない。クラスメイトたちは、嬉しそうに愉しそうに、あるいは関心なさそうに――こっちを見たり、目を逸らしたり、……それだけだ。

 僕は立ち上がって座りなおそうとするが、その椅子を、南美川幸奈は蹴り飛ばした。椅子はあっけなく倒れてしまう。僕は呆然と膝立ちになっていた。今度は、その襟首を、またしてもわし掴みにされた、強く締め上げるかのように――息が、苦しい。僕は両手を伸ばす、振り払おうとする、でも、……力が、入らない、抵抗できない。


「自分の立場がわかってないようね」


 どうして、そんなに僕を睨むんだ。どうしてそんなに――愉しそうなんだよ。


「あんたは、劣等者。わかる? もう、まともな人間ではいられないの。いままでは、どうだったか知らないけどね。……ここは研究者志望クラスよ? いままでの、そして、これからの優秀さをね、約束された人間だけが集まってるの。それなのにどうしてあんたは、……この教室に、いるの?」

「……それは、僕だって、優秀者の可能性を、目指したかった」


 から、と言い切ることはできなかった――南美川幸奈が、僕の襟首を離したからだ。僕は今度は背中から教室の床に倒れ込み、木の床に背中を打ちつける。体勢を整える間もなく、南美川幸奈は立ち上がって、そんな僕の腹に真っ赤なハイヒールの底をほとんど垂直に思いきり降ろしてきた――僕は呻いた、痛い、なんだこれ、……釘でも刺されたみたいだ、こんな、こんなことするなんて、正気じゃない、おかしい、こいつは、……頭が、おかしいんじゃないか。

 だれか、止めてよ――心のなかで叫ぶが、その気配もなくて、……クラスメイトたちはわらわらと、ギャラリーとして周囲に集まってくるだけだ。



「あのさあ。夢見ないでくれる?」



 南美川幸奈はそう言うと、ハイヒールの底でまた、僕の腹をさらに激しく刺してきた。僕はさっきより大きく呻く、痛い、……痛い、だから痛いんだってば。

 はるか高みにその勝ち誇ったような笑みがある。

 南美川幸奈を、僕は睨みあげる。やめろ、とかろうじて言った。でもそのハイヒールを僕の腹から、どかさない。どころか、ますますねじ込んでくる――。


「痛い、……痛いってばっ、やめろよ――」

「あんたが夢見るのもやめてほしかったんですけど」


 鈴の鳴るような声で、ころころと、……南美川幸奈は。



「劣等者が夢見るほど、社会にとって迷惑なこと、ないんですけど? ……この教室だって、そうだよ。あんたひとりの劣等さを取り戻すためにさあ――わたしたちが、これからどんだけもっと、もーっと、優秀にならなきゃいけないのか、わかる? わかんないんでしょ? だから、そんなふうに勘違いできるんだよねえ、夢とか、なんとかさ、――ほんと劣等者って救いよう、ないわね!」



 南美川幸奈は迷惑迷惑言うわりにとってもとっても楽しそうな甲高い声で、言い切って――膝を持ち上げると、高いところからさらに垂直に僕の腹に一気に、その、ハイヒールを、……釘のようなかかとを下ろした、僕はいよいよ叫び声をあげてしまう、嫌だなんだよこんな声僕が出したのか僕が、僕が、……僕はこんな声、出したくもないのにどうして――。

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