人間やめてんじゃん

 南美川幸奈。

 ……僕はこのギャルが苦手だと感じていた。

 笑い声がうるさいし、なんかちゃらちゃら派手だし、……それなのに勉強や他者評価は得てるなんて、なんか、ゆるせなかった。

 それに、ぶっちぎりでこの学校のトップの男と幼なじみらしく、仲がいいのも、なんかほんとに、……気に食わなくて。

 どちらも、僕はこのクラスではじめていっしょになった。この学校の主席と次席はデキてるらしいというウワサくらいなら耳に挟んだことはあったけど、……へえ、くらいにしか思ってなかったし。



 実際にどちらともクラスがいっしょになってみると、こんなにもうっとうしいもんなんだとは思ったけれど。



 南美川幸奈は、おそらく化粧とかもバッチリなのであろう、そのかたちだけは整った、でもけっして僕の好みではない、単にほんとうに表面が整っているだけの顔を、僕にまっすぐ向けて首をこくりと傾げていた。相変わらず、笑っている。……気持ち悪い。



「ね、それ成績表でしょ。みーして?」


 僕は、一瞬で呆れた。

 なに考えてるんだ、このギャル。

 他人の成績表をそんなに気軽に見ていいわけが、ないだろう。

 人権のなかには、プライバシー権も含まれるんだ。まさかそんなことも知らないわけがない、よな? 知らないんだとしたら、この女がこの教室にいるのは間違いだし、知ってて無視してるんだとしても、そんな不真面目な態度は研究者にはとてもふさわしくないんじゃないか?


 そんな気持ちはもしかしたらいま僕の顔に出てしまったのかもしれない。

 でも、べつに出てしまったっていいやと思った。十代という年代ゆえなのか、未成年という立場ゆえなのか、まあどっちでもいいんだけど、ともかく学校のクラスメイトのノリというのはどうにもしようがない側面がある。変なことでやたらはしゃぎ、おもしろくもないことでわあわあ大騒ぎする。……一ヶ月ほどこのクラスにいてわかったが、このギャルは、あきらかにそういうたぐいの人間だ。僕とは、わかりあえない。平行線だ。

 軽蔑していることをバレたところでそんなのいまさら――。



 思考は、そこで途切れた。というか途切れざるをえなかったのだ。

 許可も出していないのに、南美川幸奈は僕のほうに手を伸ばしてきた。その鋭い爪に、真っ赤な色に、僕はひるんでしまった。

 心臓がすこし、ばくんと跳ねた。……なんだよ、その鋭さとその色。攻撃するみたいじゃないか。そういうのが女子はおしゃれだと思うのかもしれないけれど――。


「え、ちょ、や、」


 だからだろうか。防げなかった。南美川幸奈は、僕の試験結果のアナログペーパーを、奪ってしまったのだった。


 僕が反論するスキもなく――南美川幸奈は僕の手から成績表をひょいとほんとうに気軽そうにつまみあげた。

 汚いモノでもさわるかのようにそのネイルがされた赤い爪でつまみあげ、じい、と眺めている。



 ……心臓がばくんばくんとうるさいほど鳴る。

 喉が、渇く。

 だって、どうするんだ。もしそれが、ほんとうに。研究者志望クラスの基準に満たないものであったら。

 一般平均点すら満たさないものであったら? いや、それどころか、下回るものだったら。かなり下回るようなものであったら――。



 この女子に、つまりは次席に、バレてはいいものなわけ、ないじゃないか。



 返してよ、と言おうとした。でも喉に言葉が張りつく。ひりつくのだ。どうして、どうして。ほら早く言え、僕、言わないと、言わなかったら、どうなるんだ、この状況は、この女子は、ギャルは、そうはとても見えないけれどじっさいは次席なんだぞ。成績がいいんだ。それなのに――。



 南美川幸奈は。

 するといきなり、ぷっ、と噴き出した。




「やっば。なにこれー、人間やめてんじゃん。つか、逆かあ。あんた、人間やめたいワケ?」



 ――人間を、やめる?


 あまりにも。

 あまりにも、過激な言葉じゃないか、そんなのは。

 僕が? 僕のことを、言っているのか?

 人間を、やめる?


 いやたしかに。

 僕は、次席なんてもんじゃないし、ましてやこの女子の彼氏みたいに、首席でもない。

 けれども僕だっていままでそこそこの成績を維持してきているのだ。

 それも、ずっと、ずっとだ。それこそ、小学生のころから、中学、高校、ずっと悪くないところをキープしている。

 そういう人間がいちばん人間未満から遠いものなんじゃないのか?

 人間をやめる羽目なのというのは、もっともっと、底辺なやつで――。


 ……でも、しかし。

 やはり、衝撃はあったのだ。

 僕の成績はもしかしたらここではそんなレベルなのかという、その可能性だけでだって、頭を殴られたような衝撃、けれどもなにもかもが唐突で実感がない、絶望はこのあとじわじわと毒のように全身にまわるのか。

 でも言わざるをえなかった。被害を。被害を、なるべく少なくするんだ。広まってはいけない。



 一刻でも、早く――僕はそう思い、顔を上げて、腰を浮かせて、南美川幸奈をまっすぐ見て、手を、要求するために手を伸ばした――。



「……か、かえし、て、」



 ガン、と南美川幸奈の容赦ない蹴りが僕の股間に入った。


 僕は痛みにうめいてうずくまる。……そうか、この女、ヒール靴で登校してるんだ……総合偏差値で60以上の人間は、社会人になる前から服装の自由を得ることができる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る