第ゼロ章 僕は、劣等者。
悪夢だろう
完全に、こんなはずじゃなかった。
僕は、教室の隅に座り込んで、うなだれていた。
手もとには、アナログペーパー。試験結果。とても他人に言えない数字が、容赦なく、そこに刻み込まれている。
五月、初夏。天気ならば、よい。よく晴れていて、この教室からも青空を見渡すことができる。雲ひとつない、シンプルできれいな青空。
光を、クリアに取り入れる一面の窓。一年生のときと比べて、やけに景色がいいなと最初は思ったけれど――なんのことはない、一年生といま所属しているこの研究者志望クラスでは、与えられる景色の権利も異なるということだ。
そもそも教室だって娯楽室みたいなつくりなんだ。カラフルなカーペット。テストの結果をわいわい言い合うクラスメイトたちとは意識的に距離をとって、僕はその上に座っていた。……もともと、ひとと群れあうのは嫌いなほうなんだ、僕は。
シンプルな青空。そんな景色とは裏腹に、僕はいまひどく混乱している。
先日の定期テストの結果が、返ってきたのだ。
……僕の点数。
半分取れる、というレベルではない。いやいや。半分の半分にだって、届いていない。こんな点数、……人生で、ほとんど見たことないよ。
……えっ。いや。その、さ。なんで?
いくらなんでも……こんなに、下がるものなのか?
……おかしい。いままでは、こんなはずではなかった。
中学でもそこそこ勉強はできた。標準偏差よりはすこし上の高校に入ってからも、それなりについていってるつもりだった。そしてそういう成績を維持するための努力も、僕はとりあえず怠ってはこなかったから。能力主義の現代社会だけれど、僕はその点、コツコツ努力できるってことで、いちおうここまでやってきたのだ。
だから研究者志望クラスに来たのだ。やっていけると思ったから。僕はもっと上にだっていけると思ったから。そうじゃないと――だって、報われないじゃないか、なにが、ってひとに訊かれたら、正直ちょっと困るけど、でも、……僕は、その方法論でいちおういままで、ここまで、標準偏差を大幅に下回るということはなく、やってきたのだから。
……うん。だから、こんないきなり、いくらなんでも、下がるというわけが、ないよな――?
そこで僕はちょっといいことに思い当たった。……そうか、つまり今回はたぶん、問題が難しかったのだ。研究者志望クラスとはいえ、ちょっと、高二の春にいきなりぶちかますようなレベルの問題では、なかった。あきらかにもっと先にやるべきだろうっていう。
そもそも習ってないようなことも出してきたし。学校が、ふつう、習ってないことなんか出すか? テストっていうのは、習ったことを確認するためのものだろう。もし習ってないものを出してきたならば、それは僕たち生徒のせいではない。先生や、そういうテストにゴーサインを出した、だれかえらいひとのせいではないか?
そうだよ。僕はだって、いままでやるべきことはやってきた。やるべきことをやったら、それだけ報われるってことを僕は知っているんだ。それが、ここで急に、前ぶれもなく説明もなく途切れるわけがない。
なあんだ。そうしたら、もしかしたら、先生とか学校がわのせいなんじゃないか。
いまに、説明があるはずだ。なんらかの補償行為も。現代では、旧時代と違って、生徒にも未成年者に対しても当然、人権や自由意思が尊重されなければいけない。
理不尽に難しいテストを出したことだって、責任があれば、生徒に対して謝罪するべきなのだ。
そうやって標準偏差について考えていると、ほんのすこしだけれど気が晴れていくような気がした。そうだよ、こんな晴れた五月の、まだ新生活がはじまったばかりのときに。きっと平均点がそもそも低かったんだ、そもそも出すべき問題じゃなかったんだ。そうだ、そうだと自分に必死に言い聞かせる。
だって。だってさ。そうじゃなければ、もし普段の基準で考えるならば、こんな点数そもそも、ありえないんだ。どんだけ、平均より下なんだ。どんだけ偏差値が低いんだよ。そう思わなければ。もし、これがほんとうに、僕の実力であるならば。そうであったならば。僕は。僕は――こんなのは。
こんなのは、悪夢だろう。
そんなわけない、そんなわけない、いや、いや、でも――でも。そんなふうに、ぐるぐる、ぐるぐる、またしても思考が妙にぐるぐる渦巻いて。
……いったんは膨らみかけた感情は、ふたたび、萎んでいってしまった。
「まずいよ……」
僕はうなだれたまま、思わずつぶやいた。
「へーえ。なにが?」
至近距離で声がして、わっ、と僕は声を出した。
僕の目の前に、クラス替え時点で次席の、南美川幸奈が――しゃがみ込んで、頬杖をついて、にこにこしていた。
金髪で、きょうも、……赤いリボンを過剰なツインテールに揺らしている。
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