水晶の檻

 新月。

 今日は、この世界でも月が出るのだ。昨日はたしか、真っ暗だった気がしたけれど。


 僕は、膝を抱えていた。

 おなじ空間にいるひととの距離がなるべく生まれるように、いちばん隅の、角のところに、そうして座っていた。


 南美川さんは、僕の体育座りのあいだで伏せている。寒いだろうから、なるべく僕の身体で包み込むようにしている。

 ときおり心配そうな視線をちらちらと送ってくるのがわかるが、それにまともに反応する気にもなれず、僕はさらに膝に顔をうずめた。



「……そないに警戒しはらずとも」

「警戒、してるわけでは、ないです」



 葉隠さんも、僕といっしょに閉じ込められてしまった。

 ゆるしのフェーズに成功しなかった僕と葉隠さんは、水晶でできたこの檻に、閉じ込められてしまったのだ。


 さきほどの、熱狂のなかで。ひとびとの同意が得られたあとの、司祭の行動は、速かった。

 僕と葉隠さんと、なんだかついでのように南美川さんをひとところに集めて。

 僕たちを中心として、人々が円で囲んできて冷ややかな視線を向けてくる状況で。

 あのよくわからない異能力で、指先を向けてなぞるだけで、あっというまにこの水晶の檻をつくってしまい。



 鉄格子ではなく、水晶でできた格子。その隙間からは芝生の広場がよく見える。

 すこし向こうには、かがり火が見える。バーベキューみたいな、おいしそうな匂いがする。ときおりしゃべり声や、控えめだけれど笑い声も聞こえる。僕たち以外の生き残った人間たちは、あそこでいま焚き火を囲んで休息しているようなのだ。……当然、こちらは、寒いし、なにも食べていないし、笑うどころの話ではない。


 この檻は、床も天井も水晶でできている。

 そのせいで、この真冬の寒さを存分に吸い取ってしまって、寒いし。


 透明な水晶は、光の加減や、ちょっとした動きですぐに色を変える。ときおり、虹色にさえ光る。いまはなにを反映しているのか、透き通った水色に色づき、ときどきつやつやと輝いている――。



 僕のアパートの部屋くらいの広さはあるだろう。

 だから距離を保つ程度のことはできた。

 それでも、僕は、落ち着かなかった。檻の隙間は充分あるといえ、部屋みたいに密閉された空間に、他人とともにいるだなんて――そもそも南美川さんがいることでさえ、最初は戸惑ったのに。



 はーあ、と葉隠さんがわざとらしいため息をついた。



「私ら、どうなるんやろうね。勢いで、こんなんしてもうたけど、まさかこんな扱いになるなんてな。なあ、来栖さんもそう思うやろ?」


 はい、と返すことすらできずに、僕は膝に顔を埋めたまま、ぼんやりとその薄闇に視線をやっていた。



「こないなことになるなんて、思わなかった。なに? まだ、もしかして、南美川さんに私らが会いに来たのが昨日で、まだ……一日と、半日くらい? 信じられへん。もうずっとこのお祭りに巻き込まれてる気が、しよる」


 僕はさらに強く、膝に額を押しつけた。


「どうなってるん。むちゃくちゃや。どうしてこないなことになってるんや。理解しがたい。納得できへん」


 ああ、おなじ空間に、ひとがいるのが、……こんなにも嫌だ。


「昨日、公園に閉じ込められるやろ。今朝、みいんな獣になったり喰われたりやろ。そんでサクリィゲームとやらや。広場も変なんなって、氷漬けにされよるひともおって、いやしのなんやら、はじまって、私は里子と美鈴と喧嘩して……なあ」


 僕は、肩を震わせた。いまの、なあ、というのは、あきらかに僕に向いたものだったからだ。


「あんなあ、来栖さん。さっきから私がこないにいろいろ言ってるんに、なーんも言わん、ってわけ?」

「いや、あの、……はい」

「ふしぎなおかたやなあ」


 葉隠さんが、動く気配がした。

 僕の肩はさらに大きく震えた。電流でも走ったかのように。自分でも、情けない。でも、……自分でも、どうこうできるものではない。


「なあ、来栖さん……」


 寄ってくる気配がする、葉隠さんが、こっちににじり寄ってくる気配がする。

 立ち上がってはいない。なかば、四つん這いで。這ってきているんだ。こっちに。なんで。どうして。なんのために。なにを意図して――。


 僕は、体育座りのなかで、ちょっとだけ顔を上げて。

 南美川さんの顔を、真正面から見た。



 僕はたぶん、よほどひどい顔をしていたのだろう。

 すがりつくような。

 南美川さんは唇を真一文字に結んで、なんとも言えない硬い顔をしている――。



「来栖、くん」



 葉隠さんは、僕の肩を叩いた――それだけで僕の全身は情けないほど、びくりと震えた。

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